まだ私が幼くて幸せだった頃、
母に『人魚姫』というアンデルセン童話を読んでもらったことがある。
人間に恋をした人魚姫の恋は実ることなく、彼女は泡になって消えた。
だけど、
私はずっと疑問だった。
王子さまを殺せば、人魚に戻ることができたのに、彼女は何故 王子さまを殺さなかったのだろう?
そうすれば自分は泡にならずに済んだのに。
自分という者がありながら隣国の姫と結婚を決めた王子なんか、私なら絶対殺してる!
それなのに……何故?
***
「ヴァレット?」
フェッロファミリー幹部の一人、アズーロ・ヴェネルは葉巻に火を点け応えた。
「あぁ。お前には女王のロイヤルガード、チャールズ・グレイのヴァレットとして奴の懐に潜入してもらう」
彼の口から吐き出された紫煙は、名前の身体を取り囲むように流れていった。
……この男の煙草の匂いには嫌悪感を覚える。
「しかし、ヴァレットは男にしか勤まらないのでは?」
「男のヴァレットは高い賃金を取られる上に、我儘だと。
安くて従順な女の方が、お貴族様にとっては好都合らしい」
そう言ったあと、アズーロは厭らしく口角を釣り上げた。
「何があったか知らねぇが、お前はずっと伯爵を殺したがってたじゃねぇか」
「……」
アズーロ・ヴェネルは葉巻の火を灰皿に磨り潰し、イタリア訛りの下品な英語で最後の命令を下した。
「奴を殺せ」
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