「しえる……?もしかして、貴方がエリザベスの婚約者?!」


「?!」




先程までの戸惑いの表情を一変させ、名前は瞳を輝かせて、パッとシエルの手をとった。

その様子を横目にセバスチャンはクスリと笑う。






「流石は社交的なエリザベス様。顔が広い」


「リ……エリザベスはたしかに僕の従姉妹で許嫁だが……」






予想だにしなかった人名の登場にシエルが狼狽えながら答えると、名前はより一層その瞳を輝かせた。







「やっぱり!話には聞いていたけど、こんなに可愛らしい婚約者だったなんて!!

私はエリザベスとはお友達なの!今日は彼女の贈り物を選ぼうと思って来たのだけれど、よければ一緒に見繕って下さらない?」




「えぇっ!?」













すっかり興奮状態の名前の提案に、シエルが困惑の表情を浮かべていると……







『何言ってんの?ダメに決まってるじゃん!』






そこには慌てて妻の腕を引っ張るグレイの姿があった。












その様子に最も驚いたのは名前ではなく、シエルとセバスチャンだった。

いつも自由奔放で大胆不敵な笑みを浮かべているグレイが明らかに動揺していたからだ。






「チャールズ?」




『……レストランの予約の時間が迫ってるよ。それに、今日は元々下見だけの予定だったでしょ』


「えっ!もうそんな時間なの?」







グレイが店内の時計を指さすと、名前はそちらに目をやり表情を変えた。








『というわけで、ボク達は今日はこれで失礼するよ』











グレイは名残惜しそうな妻を強引に引っ張りながら、表に停めておいたグレイ家の馬車に乗り込み、夫妻は去って行った。









***















「全く……一体なんだったんだ。アイツらは」





後に残されたシエルは、怒涛の展開に疲れたのか大きくため息を吐いた。












「お仕事の邪魔になる前にお帰り頂いて良かったじゃありませんか。
ここに来るまえに劉様のところに寄っておいて良かったですね」




「えっ?」



「先程、劉様にお会いしたことで、坊ちゃんのお召し物に煙草の匂いが付着してしまって……グレイ伯爵はそれに気付いて帰っていったのでしょう」



「ま、まて。一体何の話をしている?」












話がみえず、シエルはセバスチャンに聞き返す。

その様子に端正な顔の執事は口元に弧を描いた。




「名前様……もといグレイ伯爵夫人は妊娠されていたのですよ」


「なっ……!確かなのか?」




シエルはセバスチャンの思わぬ発言に驚愕した。

先程会ったばかりの名前は腰回りも細っそりとしていたし、そんな素振りも見えなかった。










「えぇ。魂の気配が1つのお身体に2つありましたので」






俄かには信じられないが、セバスチャンが言うのであれば間違いないのだろう。






「成る程……。タバコの臭いから妊婦である夫人を遠ざけたかったから、あんなに早く退散したのか。それなら合点がいく」






妙に納得している小さな主人を横目に、セバスチャンはひっそりと口角を上げる。


ふと、名前がシエルの手を握ったときのグレイ伯爵の顔を思い出した。







(まぁ、それだけではないでしょうが……)













「それにしてもあのグレイが父親だなんて、明日のロンドンは槍でも降るか?」


「ふふっ。グレイ伯爵も奥方には形無しでしたね」







いつも女王陛下の権力を笠に着て、他者を振り回すグレイの人間らしい弱点を見つけたことで、2人の男は妙に愉快な気持ちになった。







「セバスチャン、グレイ伯爵夫人に来季のファントム社の新商品 乳児用製品をお送りして差し上げろ」






シエルは、店長にもらった新商品のリストに目を通しながら執事に告げた。





「宜しいのですか?グレイ伯爵と坊ちゃんはそれ程 懇意な間柄には思えませんが」








従者の皮肉めいた疑問に対し、シエルはニヤリと悪戯っぽい笑みで答えた。








「何を言う。ボクの商売相手はこどもだ。それはあのグレイ伯爵の子供といえど例外じゃないさ。それに、奥方は我が社の商品をお気に召してるらしい。将来的に良い顧客になるだろう」












嗚呼、流石は坊ちゃん。



顧客が産まれる前から、パトロンの確保に努めるとは。









セバスチャンは主人の商魂逞しさに舌を巻いた。












「イエスマイロード」










「君は遠い虚ろの幻」
続く??



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