イルカさんは静かに寝息を立てながら熟睡しているようだ。
ベッドサイドで言い合うと起こしてしまう。
キャプテンの腕を掴んで引っ張っていくと、とりあえず医務室の奥にあるカルテ庫の中に入った。
明かりをつけてドアを閉めると、私はキャプテンを睨みながら少し声を荒げた。
「治療中の病人を見守るのは看護師の仕事ですよ」
「だからそれは病院での話しだろ。海賊船にそんな手厚い看護は必要ねェ」
「夜間に急変したらどうするんですか。脱水以外の何かが起こるかもしれませんよ!」
「おれの診断に不満っつーことか」
「違います!!そうじゃなくて、何が起こるか分からないんですよ?!」
「んなもん健常者だって言えることだろ」
壁に凭れ掛かりながら腕を組んで、こちらを睨みながら言ってくるキャプテンはなかなか威圧的だ。
私だけが興奮しているけど、淡々と冷静に言い返してくる言葉にぐっと息が詰まりそうだった。
だけども私の看護師としてのプライドもあって、負けじと口を開いた。
「たかが脱水だとしても病人は病人です。病人がこの船に居る限りはここの船の看護師として看護をしていく義務があります」
「医者が必要ねェっつってんだ」
「医者は命を助け、看護師はその名の通り看て護るんです。私は医者じゃありませんからここからは私の仕事です」
「……ならもう何も言わねェよ。好きにしろ」
キャプテンは明らか怒ってるけど私も怒ってる。
確かにここの船長でもあって医者でもあるキャプテンの指示は仰がなきゃいけないのは分かってる。
だけど、やっぱり病状の経過観察は私の仕事だ。
キャプテンから逃げる様にカルテ庫の扉に手をかけて、開けようとしたら後ろからキャプテンの腕が扉を抑えた。
開けられなくなった扉に、後ろを振り向いて文句を言おうとしたら片手で両頬を掴まれた。
「むぎゅっ」
「てめェがおれに口答えする生意気な看護師っつーのはよく分かった」
「むむ!私もキャプテンが分からず屋の医者だってことがよぉくわかり…いたっ」
手で口を押えられたかと思えば首筋に噛みつくように吸い付かれ、リップ音が聞こえてきた。
「うっ」
そのまま舌が首筋を這って、3回ほど吸い付かれると漸く解放された。
「…」
「虫よけだ。イルカのベッドで一緒に寝るなよ」
「そんなことしません!も、もしかしてキスマークなんてつけてませんよね?!」
「いや」
「今の行為は何ですか」
「内出血をつくってやっただけだ」
「それは言い方の問題でキスマークのことです!」
くくっと笑っているキャプテンはもう怒っていないようで少しばかり安心した。
いや、キスマークは本当に困ったけど。
仕方なく、つなぎの袖に腕を通してジッパーを上まで上げた。
後で鏡で位置を確認しよう。
「…医者が怪我をさせるなんてひどい世の中です」
「海賊だからな」
「…」
そう。目の前に居るのはお優しい医者では決してない。死の外科医。海賊の船長。億越えの賞金首だ。
カルテ庫を一緒に出るといつの間に起きていたのか、ベッドの上で座っているイルカさんと目が合う。
そして、私とキャプテンを交互に見ながら固まった。
「あ…えっと…お二人で…カルテ庫で…一体何を…」
何かを誤解されている。
別にやましいことは何もしていないのだが、キャプテンとそういう間柄のため多少は動揺した。
心を落ち着かせるように息を吐いて、冷静を装い、淡々と返した。
「イルカさん起きたんですね。起こさないようにキャプテンとカルテ庫で話していたんです」
「…話し?ナニかじゃなくて?」
「くくく、どうするか。ナマエ」
やっぱりイルカさんが想像しているのはどうやら厭らしい誤解だったらしい。
先程まで言い合いの喧嘩をしていたはずのキャプテンまでもニヤニヤしながらこっちを見てくる。性格悪いな、この人。
「イルカさんが想像しているようなことは一切何もありません。私たちはイルカさんの治療方針について話していただけです」
淡々と伝えるとイルカさんは笑いながら「そ、そうだよなー」とベッドに横になった。
隣りでキャプテンがイルカさんのカルテに使った点滴と先程の診察内容を書き込んで私に渡してきた。
「熱が上がってくるようだったら報告しろ。点滴は内容がこれで、今日中に3本落とせるよう調節しろ」
「日付が変わるまでにですね。分かりました」
「…あ、ナマエ」
「イルカさん起こしちゃいましたか」
時刻はすでに日付を跨ぐところ。
最後の点滴が終わって、イルカさんの腕から針を抜くところだった。
「点滴終わったので針抜いちゃいますね」
「おう、ありがとう…」
針を抜いて能力で塞ぐと、イルカさんは起き上がって頭をかいた。
体温計を渡して熱を測ってもらうと、もう熱は下がりきっているようだ。
ほっとして、イルカさんに笑いかけた。
「熱も下がったみたいですし、もう後はゆっくり休むだけですね」
「あー…すげー体軽くなった。でも、めっちゃ汗かいた」
「体拭きます?タオル濡らして持ってきましょうか」
「え、マジ?」
「背中とか手伝いますね。あ、とりあえずキャプテンにちょっと報告してきます」
熱が下がったのと、点滴がとりあえず終わったこと。
それをキャプテンに報告するために隣りにある船長室へ向かった。
小さくノックをするとすぐに「入れ」と言われて、挨拶をしながらドアを開けた。
医学書を手に持ちながらいつものようにソファに座って、視線だけこっちに向けてくれた。
「イルカさんの熱が下がりましたし、点滴も終わりました」
「ああ」
「目が覚めて、汗いっぱいかいたみたいですから体を拭いてあげようと思いまして」
「…おれも行く」
「え?」
「診察する」
もう診察の必要はないのでは?と思ったけど、すでに立ち上がり腕を引かれて医務室へ戻った。
イルカさんはすでにつなぎを脱いで下着姿でベッドの上に座っていて、キャプテンの姿を見ると驚いてベッドから落ちた。
「なっ、えっ、キャプテンがなぜ?!」
「元気そうだな、イルカ」
「お、おお、おかげ様で、こ、この通り元気に…」
洗面器にお湯を張ってタオルを入れる。
キャプテンと反対側のベッドサイドへ行こうとしたら、キャプテンに手招きされて素直にそっちに持って行った。
私の手から洗面器を奪い取ると、イルカさんに突きだした。
「自分でできんだろ。背中拭いて欲しいならおれがやってやる」
「いえ!自分でできます!」
「だろうな。別に腹切ってるわけじゃねェんだ。尽くしすぎる看護は患者のためになんねェ、だろ?」
「確かに…」
キャプテンの言い分に納得せざる負えない。
オペ後で安静が必要でもなければ、痛みがあるわけでもない。
しかも、出来ることをやりすぎるのも確かに患者のためにならない。
「すいません…」
「分かればいい」
頭を撫でられると、顔を上げて固まってるイルカさんと目が合った。
「…」
「…」
しばらく見つめ合ったイルカさんは、今度はキャプテンを見た。
「あの、キャプテン」
「何だ、イルカ」
「おれの思い違いだったら、失言かもしれませんが…」
「…続けろ」
「もしや、お二人ってお付き合いされていたり…」
私の顔がかっと赤くなり、熱くなった。
さっきは淡々と返せたのに、お付き合いとか直球すぎる言葉はまだ慣れてなくて、しかも今のやり取りでどうしてそう思ったのか動揺して。
とにかく否定するために口を開こうとしたらキャプテンに腕を引かれて後ろから羽交い絞めにされると、刺青の入った大きな手が私の口を押えた。
「んー!」
「誰にも言うなよ、イルカ」
「!!アイアイ、キャプテン!!」
「ってことでこいつのレンタルはここまでだ。何かあったら呼べ」
そのままズルズルと引きずるように船長室へ連行されると、漸く解放された。
「何するんですか!イルカさんに…ああ…バレた…」
「お前あんな反応してたらおれがどうこう言う前にバレバレだろ」
「うっ」
それは痛いところ突かれた。
確かにあんな顔真っ赤にして否定したところで揶揄されて…いやいや、キャプテンが真顔で否定すればいいことだっただろ。
ここの船では船長が白と言えば白、黒と言えば黒状態なのに。
そう言い張ろうと顔を上げたら、キャプテンが舌打ちして腕を掴まれた。
「体力有り余ってんだったらおれの相手しろよ」
「…は?」
「おれと喧嘩してェぐらいに体力有り余ってんだろ」
「はっ?いえ、ちょっと!」
想定外のキャプテンの言葉に動揺していたら、腰に腕が回されて持ち上げられ、ベッドに勢いよく下ろされた。
慌てて体を起こそうとしたが、すぐに覆いかぶさってきたキャプテンに両手をシーツに押し付けられた。
「キャプテン…船では…」
「おれはそのことに関しては同意してねェ…今日は隣にイルカが居るんだ。声、抑えろよ」
罵声を浴びせるための口は塞がれて、キャプテンの膝が私の股に当たるとあの日の快感を思い出したかのように体が疼いた気がした。