不味くなった酒と煙草
古びた酒場は穴場で、海賊が騒ぐ声も聞こえてこない。
そもそも今日は完全に非番なので私は私服だ。
非番の日はどんなに海賊が騒いでも、海軍としては働かないと決めている私は、化粧もしていつもより煙草を吸う本数も多い。

「お疲れ様」
「かんぱーい」

樽型コップをぶつけ合って、この島での特産の酒をぐいっと煽った。
少し辛口だが、この辛さが煙草と合っていい。
まあ、一つ文句を言うとしたら酒ではない。

「あれ?煙草変えたのか」
「すっごく変えたくなかったんだけど」
「むしろ禁煙すりゃいいだろ」
「スモーカー大佐が禁煙したらしようかな」
「あの人は能力からしてやめらんなそうだな」

そう言いながら笑うのは同僚のルーイ少尉。
私と同期のくせに私より地位は一つ上だ。

あの日から数週間後、私は煙草を変えた。
だいぶ迷ったが…トラファルガーに執着されるのはごめんだ。

もうあの島を出て、数週間が経過したがハートの海賊団の目撃情報を掴むことは出来なかった。
この島には本部からの連絡で巡回してほしいとあったため、立ち寄ることになったのだが、結構平和だ。酒も美味い。

「うちの大佐には参ったな…」
「はぁ…本当だよ…。腹いせに甲板掃除は命じられるし…」
「お前も災難だな」
「私ね、次に本部に行くことがあったら異動願いだそうと思ってて」

出来れば東の海を担当したい。
もうここの北の海ではトラファルガーと嫌でも鉢合わせることになりそうだ。

飲み干した酒樽をカウンターに置いてマスターにおかわりを伝え、煙草に火をつける。
あの人と同じ煙草を吸い続けて、私自身もあの味に慣れてしまったから、やはり他の煙草の味はしっくりこない。

「はぁ…」
「異動したらおれと呑めねェじゃん」
「一人で呑むし、しかも…」
「?しかも?どうした?」

私は話しを続けようとして固まった。
カウンターには何人か座って呑んでいたのだが、ルーイの向こうに3人挟んだその先。
見慣れた帽子に刺青だらけの手。
ばっちり私と目が合って、その目の下には目つき悪さを際立たせるはっきりした隈。

いやいやいやいや。どんな偶然。
ありえない。見間違いだ。

すぐに視線を外して、酒をぐいっと煽る。
ピリッとした舌触りが最高だ。そして煙草の煙を吸えば…もう完璧だ。

「どうしたんだよ」
「…いや。何でもない」
「まあ、お前の突然のよく分からない言動はもう慣れた」

今日の私は非番なのだから、捕まえる気もなければ話す気もない。
ぷるぷるぷるっとルーイの腕から電伝虫が鳴りだして、顔を見合わせた。

「休みの奴はいいな」
「サボって呑んでるのバレても知らないよ」
「やべ、匂いする?」

ルーイの顔が私の近くに来て、私も顔を近寄らせて匂いを嗅ぐ。
酒の匂いはほのかにするがそんなに強くはない。

「ニンニクでも噛みながらいけば?」
「そっちのがくせェだろ」
「まあ、近寄らなきゃ大丈夫。電話切れるよ」
「おう」

カウンターにお金を置いたルーイは電話をしながら慌てて店を出ていった。
マスターに再びおかわりを頼んで、隣のルーイのお金とコップを回収する。

「久しぶりだな」
「ぶはっ」

思わずお酒を噴出した。
ルーイの座っていた私の隣の席に座ったのは先ほど見間違えたのではないかという人物。
帽子で目元に影を作らせながら、酒の追加を注文しているが…まさか一緒に呑む気なのだろうか。
全力でお断りしたい。

私がお金を出そうとするとその腕を刺青だらけの手が力強く掴んだ。

「痛いんだが…」
「帰んじゃねェ」
「貴様と酒を酌み交わす気はない」
「さっきのお前の男か?」
「は?」

意味が分からない。
私の男…ああ、恋人だと思っているのか。
ルーイを男として見たことはないし、向こうも意識していないと思う。
いや、どちらにしろ目の前の男には関係のないこと。

「婦女暴行で通報するぞ」
「お前が捕まえないのか」
「私は非番の日は一般人の女として完全に分けている」
「ならおれと呑んでも何も問題はねェな」

いちいち腹の立つ男だ。
いつまでも腕を離してくれないどことか、握られて骨がみしみしと言いそうなぐらい強い。手形をつける気なのか。

「やめろ離せ。痕がつくだろ」
「痕?いいじゃねェか」

ニヤリと笑ったトラファルガーがさらに強く握ってきて、本気で痛い。

「分かった!呑むから離せ!」
「最初から素直にそう言やいいんだ」
「…クソ…海賊め…」

諦めて席に座り、飲みかけだった酒に口をつけて新しい煙草に火をつけた。
匂いが違うからこれを吸ってれば離れるだろ。

「煙草かえたのか」
「ああ」
「へェ。それであの男とはどういう関係だ」
「貴様には関係のないことだ」

煙草を変えたことについてはそれだけか。
せっかく不味い煙草で我慢しているというのに、この状況が全く変わっていない。

「…まあ、あの男がお前の男であろうと関係ねェな」
「その通り。貴様には関係ないことだ」
「奪うのは得意分野だ」

話が通じていない。会話のキャッチボールが成立していないことに気付いているのだろうか、この男は。
何を思ったのか顎を掴まれて無理やりトラファルガーの方に顔を向かせられる。

「…何だ」
「化粧してんな」
「するだろ。私は女だ」
「知ってる」

本当にコイツとの会話は難しい。
しかも、なかなか強い力で掴んでいるせいで顔を元の位置に戻せない。

私は目の前で人の顔面をじっと眺めている何を考えているのか分からない男を睨みつけた。

「顔、近いぞ。離れろ」
「さっきの男もこのぐらい近かっただろ」
「海賊の貴様が近いと貞操の危機を感じる」
「海賊じゃなく、男だからだ。アイツもおれと同じ男だ。危機感持てよ」

トラファルガーがまるで怒っているかのように低い声で私に注意をしてきた。訳が分からない。
なぜこんな説教をされなければならないんだ。

「海賊と海兵を一緒にするな」
「…分かってねェな」
「何が。さっきから…というかいつも貴様の言っている意味が分からない!ちゃんと分かりやすく言え!」

ため息をついたトラファルガーは私の顎から手を外した。
私は解放された顔を真っ正面に戻して、酒を飲み干して煙草を吸う。
トラファルガーがため息をついたのが聞こえてきて、ため息をつきたいのはこっちだと声を荒げそうになる。

「海兵が間違いを犯さねェっつー確証はあんのか」
「…そ、それは…」

トラファルガーの言葉が突き刺さった。
問題を起こす海兵は居るし、海兵から海賊になった者もいるぐらいだ。

「海兵だろうと海賊だろうと、人間だし、男は男だ。目の前に好きな女が居りゃ欲情だってすんだろ」
「よくじょっ…!!!」

淡々と語るトラファルガーの言葉にたじたじになった。
何も言い返せないのは正論だと思ってしまったのか、慣れない単語に動揺してしまっているからなのか。
どちらもだろう。

口を閉ざして何かを考えるトラファルガーの横顔をチラッと見て、私は煙草の煙を吐き出す。
さっきよりも酒も煙草も、更に不味くなった。
それはきっと、居心地悪くした隣の海賊のせいだ。



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