思い出したくもなかった黒幕の存在


互いの呼吸がぶつかり合う距離で乱れた呼吸の名前の鼻に自分の鼻を擦り付ける。
キスで赤くした顔に熱い吐息が堪らなく愛おしい。
おれの胸板に額を押し付けながら呼吸を整える彼女の後頭部を撫でれば、綺麗に纏まっている髪が少し乱れてしまっていた。

「悪ィ。髪、乱れた」
「ん…大丈夫です。あ、先生の白衣にファンデーションが少しついちゃった…」
「ああ、こんくらいなら見えねェよ。そろそろ飯、行くか」

おれから少し体を離し、髪の毛を纏め直している姿を見てまた乱したくなる。
名前と付き合うようになって、綺麗なものほど乱したくなる自分の新しい性格を発見したのだが、さすがに今それをすれば怒られるに決まってる。
というか、乱したくなると言ってもコイツ限定だが。

「どうでしょう?」
「綺麗だ」
「ありがとうございます」

髪型のことじゃなくお前自身のことなんだけどな。
美人な女だというのに、最近更に磨かれている気がする。艶が出た。
まあ、コイツを女にしたのは紛れもなくおれだが。

2人でカンファレンスルームを出て、財布を取りに医局へ向かう。
名前は休憩室に取りに行くと言っていたが、せっかく2人きりのチャンスだというのに休憩室でコブを連れてこられても困る。
おれが出すから一緒に来いと強引に誘えば素直に一緒に医局へ向かってくれた。
人目につかないように非常階段を使って2人で降りながら、名前はおれに呆れたようにため息をつく。

「最近、トラファルガー先生に甘いですよね、私」
「そうか?もっと甘くていいぐらいだと思うがな」

「順調に進んでおります、若様」

下の階からそんな声がしてすぐに名前の口を手で塞いで、抱き締める。
人差し指を自分の唇に持っていけば、名前は小さく頷いた。

無視して通り過ぎなかったのはその声の主がルイスで、“若様”という単語に嫌な予感を感じさせたからだ。

「はい…はい…。大丈夫です、あの2人が別れるのも時間の問題かと思われます。…苗字には別の奴を近づけましょう。…はい。分かりました。では、失礼します。ドフラミンゴ様」

全身の毛が逆立った。
どうしてだ。奴は海外に居るはずだし、もうおれからは目を離したかと思っていた。

ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
奴はおれの遠い親戚であり、大きな裏組織のボス。
おれが大学生に入るまで、組織に勧誘されていたがずっと断り続け、避け続けていた。
両親と、奴の弟であるロシナンテ…コラさんが守ってくれて海外へ飛んだと聞き、それからなんの音沙汰もなかったのに。

どういうことだ。
コラさんはどうしたんだ?
ルイスは奴の部下だったのか?おれと名前を別れさせて何しようってんだ…

「ロー。大丈夫?」

ハッと顔を上げた。
名前がおれの頬に手を添えて心配そうに覗き込んで来た。

コイツには何て話す。
むしろあの男がコイツに何か危害を加えたら?
だからと言って身を引くのか?無理だ。何があっても守るから離れたくねェ。

「ルイス先生は居なくなったよ。今の話し…何か知ってるの?」
「…黒幕が誰なのかは分かった」
「……ロー。顔色がすごく悪いわよ」
「悪ィ、おれは早退する。お前は早退出来ねェか?込み入った話しをしてェんだが」

裏でアイツが糸を引いているとなると、なるべく早く手を打たなければ何かをされる。
あの言い方的に、今日の病棟での出来事はわざとルイスが引き金を引いたのだろう。
まあ、結果的に名前が見事解決させたんだが、あの口振りを聞くとまだ和解したことを知らない。

「仕事終わりではなく?」
「できれば早く。相手が次の手を考えている間におれの方も手を打っておきてェ」
「分かった。師長に話してくる」
「今部長と一緒だろうから電話して同時に言うぞ」

胸ポケットに入っているPHSを取り出し、すぐに部長に電話をかける。
今日は急ぎの仕事もないしオペも入っていない。
医師も充分の数が居るし、看護師の数も充分居たはず。
もしルイスがこの病棟を引っ掻き回すのを故意にしたとしたら、今日は医師も看護師も出勤している人数が多く、都合もいいのでは…と考え出したら鳥肌が立ってきた。

電話で早退のことを伝えれば、師長もその場に居たらしく名前も帰っていいと言われた。病棟には体調不良と伝えておくと。

電話を切っておれの車の鍵を名前に渡す。

「お前はそのままでもいいから先に車に乗ってろ。バーキンに言って休憩室からお前の荷物をおれが取ってくる」
「え?」
「お前は体調不良ってことになってるし、病棟にルイスが居たらお前と引き合わせたくない」
「…分かりました。じゃあ、バーキンさんに申し送る内容をメモするから待って」







病棟へ向かうと師長がすでに話していたのかバーキンに荷物を渡され、すぐに着替えてから車へ向かった。

「ナミには連絡しておいた。今日は急用が出来たのでお泊りは今度にしてと」

名前の言葉に頷いて、とりあえず先に携帯を取り出し、電話をスピーカーにして助手席に座る名前に持たせて車を走り始める。
まずはコラさんに近況を確認するのが先だ。

『もしもし、ローから連絡くんの久しぶりだなぁ』
「コラさん、久しぶり。いきなりで悪ィんだが、最近のドフラミンゴの状況ってどうなってる」
『ドフィ…?お前、まさかなんかあったのか?!』

コラさんの慌てた声におれは心を落ち着かせるように溜息をついて話し始めた。

「前に結婚を前提に付き合いたい女がいるってとこまで話したよな」
『あー!お前に全然落ちない女の子!』
「その女と今、付き合って同棲してる」
『ええ?!そ、そうなのか?そ、そりゃあ早い展開で…おめでとう』

恥ずかしそうに顔を背ける名前がちらりと見えて可愛い…とか思っている場合ではない。

「つい最近、新人の医師がやってきて仲違いさせられて。その男がドフラミンゴと関わりがあることが分かった。故意におれから離す為にやっていたらしい」
『……それでか…。話が繋がった!ロー!おれもすぐに帰国する!ドフィは最近女の養子をとったんだ!たぶんお前を手に入れるためにその女の養子と結婚させる気だ!』
「まだ諦めてなかったのかよ…」

もうあれから何年経ったと思っているんだ。
ドフラミンゴのことすら忘れていたというのに。

『あっちもお前がこんな早く同棲すると思ってなかったんだろうなァ』
「だからこんな強引なやり方をしてきやがったのか」
『彼女の方は大丈夫か』
「今スピーカーで全部聞いてる」
「初めまして。ローさんとお付き合いさせていただいてます苗字・名前といいます」

凛とした声で自己紹介を始めた名前。
日ごろから思っていたが、コイツ結構度胸あるな…。

『お、おう。びっくりさせちゃったよな。ドフラミンゴってのは日本でも海外でも裏社会を牛耳っているボスで、ローは頭も良くてなんでもできる奴だろ?だからずっと勧誘されててなァ』
「そういうことでしたか。大丈夫です、コラさん。ドフラミンゴが何をしてこようとローさんに裏社会へ行かせる気はサラサラありませんから。何があっても私が引き戻します」

車内が一気に静かになる。
おれも、電話越しのコラさんも言葉を失った。

じんわりと広がるその言葉を噛み締めて、抱きしめたい衝動を必死に抑えて運転を続ける。
何でコイツはおれの心を引っ掻き回すのがこんなに上手いのか。
天然の男殺しだ。コイツ。

『すげェ…。ローは幸せ者だな…』
「いい女だろ、コイツ」
『ほんとな!帰国したら真っ先に会いに行くからよ!』
「お待ちしております」
『とにかく二人とも気をつけろよ。何かあったらまた連絡をくれ』
「分かった」

コラさんとの電話を切った後に何か考えていた名前はしばらく黙っていたが、おれから声をかける前に口を開いた。

「ロー、貴方の実家に行きましょう」
「実家?」
「貴方のご両親はドフラミンゴのことを知っているのでしょう?」
「まあ…知ってるっちゃ知ってるが…」
「私がドフラミンゴなら今回の破局が失敗に終わったら、その養子の女を貴方のご両親からまず落とさせると思う」

方向を実家の方へ変えて、おれは問いかけた。

「なぜ?」
「外堀から攻めるのよ。貴方の女性の経歴からして貴方から攻めても無駄。そうなるとこの歳になって話しに出てくるのはお見合いよ。養子の女が貴方のご両親に気に居られれば、ご両親はお見合い相手として貴方に進めてくると思う」
「………」

すげェな。おれでもそこまで考えることが出来なかった。
いつも頭の回転のいい奴だと思ってはいたが、本当に頭が良くて回転のいいやつ。
しかもさりげなくおれの女の経歴のことまで頭にいれて…何だか居た堪れない。

「私と付き合っていることはご両親も知らないのでしょう?」
「何も知らねェな」
「先手を打ちましょう、ロー。男と女の関係はそんな単純ではないことをドフラミンゴに分からせてやりましょう」

赤信号になるとおれは黙って名前の肩を抱き寄せた。

「お前本当にいい女だな。どれだけおれを惚れさせんだよ」
「こんないい男を逃がしたくないだけ」
「くくく…あー…今すぐ抱きてェ…」
「とりあえずこれで我慢して」

触れるだけのキスをして、名前は「青」と信号を指摘し、おれは再び前を見る。

「着替えを買って…手土産も。私が服を買う間にローさんはご両親に連絡して」
「分かった」

そろそろ両親に紹介しようと思っていたがちょうど良かった。
両親へドフラミンゴのことも伝えようと思っていたから、これで話しもスムーズにいきやすい。
先ほどの名前の言葉が胸に広がって、昔の様なドフラミンゴへの恐れや怒りがなく、自然と大丈夫だと安心させられた。

名前と一緒に居れば何でも乗り越えられる。
頭も良くて、美人で強い女。こんな女、他に居るはずもない。

何が何でも離さねェ。
さっさと終わらせて思う存分、イチャついてやる。






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