お前と行く職員旅行


今年の職員旅行は温泉街のある街の散策と、宿泊ホテルの施設である水着で入れる混浴の温泉テーマパーク貸し切り。
一泊二日で、夜は大宴会。
医者、看護師、理学療法士・作業療法士、薬剤師、放射線技師、医療事務…その他正職員限定の職員旅行。
病棟ごとに大型バスに乗って出発したバスの中。

おれは隣で先ほど配られたこの職員旅行のパンフレットをじっくりと読んでいる名前をちらりと見る。

「部屋は?」
「先生は一人部屋のようです。というよりドクターは全員が一人部屋のようですね」
「いや、おれの部屋を聞いたんじゃねェんだが」
「私の部屋を知ったところでどうする気ですか」

声を顰めて睨んできた名前に思わずため息がこぼれそうになって、息を飲みこむ。
もう付き合っていることを隠さなくていいと話して1か月以上も経っているが、その間にスタッフにおれの女についての話しをするタイミングはなかった。
そもそも、他のスタッフがおれにプライベートな話を聞いていると名前が「プライベートなお話は勤務時間外でお願いします」と切りやがるせいで…あれは絶対にわざとだな。

相変わらず名前自身は男が居ないと言い張るし、おれの傍で合コンに誘われているところも口説かれているところも見ていた。
だから今回の旅行でおれは病棟どころか他のスタッフにも牽制するために、名前の阻止をもかわしながら公表してやると意気込んでいる。

「苗字先輩、トラファルガー先生、ポッキー食べますぅ?」
「苗字さんポッキゲームしよーよ」

前からポッキーを差し出しながら声をかけてきたのは名前の後輩であるバーキンと、おれと同じ病棟の医師であるフランシス。
最初は名前がバーキンと座っていたのだが、おれが来た途端に「あー!私フランシス先生とお話したかったんですぅ。トラファルガー先生、席変わっていただけませんかぁ?」と機転を利かせてくれた。
本当にコイツは付き合う前からこういうことに関してはいい仕事をしてくれる。

「バーキンさんありがとう」
「おれももらう」
「ポッキーゲームは?」
「フランシス先生。先生としたがる女性スタッフは大勢いると思います。私は結構ですので」
「んー、相変わらずのクール」
「ありがとうございます」

本当に通常運転の名前に安心するが、二人が再び前を向いたところでポッキーを一つ口に咥えて名前の顎を掴んだ。

「ほら」
「…トラファルガー先生。ふざけるのも大概にしてください」
「チッ」

顎を掴んでいた手を振り払われてチラリとおれの横、通路を挟んで隣に座っているスタッフの方を見た。

「場所を考えてください」
「そりゃ悪ィな。空気読めねェもんで」
「……なんか嫌な予感しかしない…」

声を顰める名前とは違い、普通のトーンで話す。
甘ったるいポッキーを咀嚼し、喉に流し込む。

甘ェ。
いつもだったら口直しと称して名前の口内に舌をねじ込んで、おれの口内を甘ったるい味から名前の味で中和させるというのに。
まぁ、そもそも名前も食べているから結局はチョコの味なのだろうが。
そんなキスの想像をしてしまい、思わずムラつく。

「あー、キスしてェ」
「っ!これだから甘い物を食べさせたくないのに!」

ポツリと呟けば隣で鞄からガサガサとコーヒーを取り出した名前がおれにそれを差し出してきた。

「口直しにどうぞ」
「おれが期待してたのはこっちじゃねェ」
「…はぁ」

片手で頭を抱える名前の様子に口角が上がった。
いつも翻弄されているおれが、今は完全に名前を翻弄させている。
ベッドの上では翻弄させてやれているが、こうしてベッド以外で翻弄させられるのは数えられるほどしかない。

「名前」
「苗字です。トラファルガー先生」
「くくく、愉しいなァ?」
「全く愉しくありません」

体ごと窓の外へ向けると、おれは足を組んで口角を上げる。

「こっち向けよ」
「嫌です」
「向いた方がお前には都合がいいと思うが」
「断固拒否します」

くくっと笑った後に腕を伸ばして名前の肩を引き寄せた。
顔を真っ赤にした名前が慌てておれの胸板に両手を置く。

「わ、分かりました。離し…」
「?」

こちらを向いた名前の顔が真っ赤になり、口をパクパクさせる。
名前の視線を追って後ろを振り向けば、通路越しに座っていた整形外科の看護師たちがこちらを凝視しているのが見えた。
おれはぐいっと名前の体を引き寄せて耳元に顔を近づけ囁く。

「な?素直に向いといたほうが良かっただろ?」
「……はぁ…。嫌な予感の正体が少し分かった気がする…」
「ここ一か月、お前が阻止してきたツケが回ってきたな」
「…何のことでしょうかね…」
「白々しい奴」









高速道路を走っていたバスが休憩のためにサービスエリアへ立ち寄る。
バスを降りた瞬間、おれと名前の元へやってきたのは先ほどの整形のナース二人。

「苗字さん!久しぶり!」
「あー…はい。お久しぶりです」

過去に整形へリリーフに行っていた時に一緒に働いていたらしい。
その看護師二人はちらりとおれの顔を見ると、すぐに名前に詰め寄る。

「それで?!トラファルガー先生とはどういう関係?!」
「何のこ」「付き合ってる」

この期に及んでまだとぼけようとしている名前に対して、すかさずおれの言葉をかぶせる。
整形のナースは興奮するように声を上げ、おれにも詰め寄ってきた。

「恋人同士ってことですか?!もしかして内緒の付き合いですか?!」
「いや。別に隠してねェから大いにこのことを広げろ」
「なっ?!」
「ほら、トイレ行きてェんだろ。行くぞ」
「あっ、ちょ!」

このままだと何かしら言って誤魔化しそうな名前の肩を抱いて無理やり歩き出す。
整形ナースの様子を見る限り、あっという間に周りに言うだろう。
このサービスエリアでの休憩が終わってバスへ戻った時が楽しみだ。

おれがニヤニヤしながら歩いていると、肩にのせていた手の甲に小さな痛みが走る。
どうやら抓られたようだ。

「痛ェ。別に隠さなくていいってお前も了承したじゃねェか」
「そうよ。でも、こんなベタベタするのは了承してない」
「ベタベタじゃねェよ。イチャイチャだろ」
「同じよ!」

顔を真っ赤にしておれの手を振り払うとトイレの方へ逃げるように向かった。
おれの方も用を済ませて自販機で飲み物を二人分買っておく。
ガタンっと音を立てて飲み物が取り口に落ち、拾い上げようと屈むとがしっと肩を掴まれた。

「トラファルガー先生、聞いたよー?苗字さんと付き合ってるんだってぇー?」

声の主は前に座っていたフランシスだ。
というか話しが回るのが早過ぎねェか。
おれが「ああ」と肯定するとフランシスは盛大な溜息をついた。

「マジな話かぁ…。そこで整形ナースたちが興奮して話しているのを聞いちゃったんだよね…。まさかあの鉄壁ガードで有名な苗字さんを落とすなんて…」
「鉄壁ガードな。確かに相当苦労した」
「連絡先の入手すら困難なんだよ?彼女すぐシュレッダーにかけるから」

懐かしいな。そういや最初は確かにそうやって切り刻まれた。
というかコイツも連絡先を手に入れようとしていたのか。

「いつから?」
「…いつからでもいいだろ」
「どこまで進んでる?」
「同棲してる」
「ってことは体も…」

返答の代わりに鼻で笑ってやるとフランシスはショックを受けたように項垂れて、おれの肩から手を外してハッなった。
表情のよく変わる奴だな。

「もしかして、バーキンさんも知ってる?」
「そういうことだ」
「だから席変わってくれって…あー…全て繋がったぁ。ちなみにおれは人のもんに手を出すほど野暮ではないから」
「そりゃ良かった」

別に手を出そうってんなら喜んで相手をするところだが。
誰にも渡す気もないし、手放す気もない。

フランシスとバスに戻ればまだ名前とバーキンの姿が見えない。
だが、整形ナースの視線と自分の病棟のスタッフの視線を感じて笑みが零れる。
どうやらしっかりと話題になってくれたらしい。

「あれ本当か…?」
「いや、でも…トラファルガー先生と苗字さんって組み合わせだぞ?あり得るか?」

席に着いてからもそんな会話が耳に入ってくる。
どうやら同じ病棟の男のリハスタッフのようだ。
聞きにくればすぐに答えてやるのに、まだ噂程度にしか思っていないらしい。

出発の時間が迫って、ギリギリに戻ってきたバーキンと名前。
名前は周囲の視線にすぐに気が付いたのか、おれと目があって徐に溜息をつきやがった。

「遅かったな」
「お土産コーナー見てたので。席を元に戻しませんか」
「早く座れよ」

席を立って通路に立ち、親指で先ほどまで名前が座っていた席を指すと名前は口元を引き攣らせた。

「トラファルガー先生」
「素直に言う事を聞いてたほうがお前の被害は少ねェだろうなァ」

唇を尖らせて素直に席に着くと、その隣に座る。

「怒ってんのか」
「…ローに振り回されてる感じが愉しくない」
「おれは最高に愉しい」

呟くような声はおれにしか聞こえなかっただろう。
つまらないだろうと思っていた職員旅行の出だしは最高に愉しくて、おれにとっては幸先のいいスタートとなった。






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