私が可愛くないのなんて知ってる


車で少し走らせた後にナミの家の近くのコンビニに停めて、大きく溜息をついた。
分かってる。トラファルガー先生は悪くないし、別に私のことを卑下したことはないのも分かっている。
出会った時からそんな態度は微塵も出さなかったのも分かっている。
だから他の先生とは違うのだと意識していたのだ。

けれど、それは私に惚れているからで。
惚れているのを抜きにして他のナースへの態度で考えてみるとやはりナースを小馬鹿にしていると思える態度は少しだけ見えてくる。
携帯を取り出せば先生からのメールで話したいとか、電話くれとか、迎えに行くとか。
迎えに来られても私は車だし、並走して帰るというのか。

『頭冷やしたいので友人の家に泊まります』

それだけメールを送ればすぐに電話がかかって来たが、拒否のところをタッチしてナミに電話をかけた。

「もしもし、ナミ?」
『随分と久しぶりね』
「うっ…ごめんって。色々忙しくてなかなか報告が出来ず。それでさ、今家?」
『もちろんよ』
「良かった。今から泊まってもいい?」
『……いいわ。全部話してもらうから』
「もちろん」

電話を切ってコンビニでお酒とお泊まりのセットを買うとすぐにナミの住んでいるマンションへ向かった。






「なんだか色々と話しが進んでいたわけね…」

ナミに今までのこと…、先生とくっついて今、同棲していることと、今日の喧嘩のことを話した。
話終わってからも私はイライラが止まらず、少しでも半減できるよう盛大なため息をつく。
ため息というのは脳がストレスを感じた時に落ち着ける為に出す場合もあると何かの本で読んだことがある。
まさに今、ものすごくストレスを感じている。

「それで、あんたはまだ苛々してんの?」
「もちろん。ローがあんな反応してくると思わなかった。心の中では馬鹿にしてたのね」
「私は看護師でも医者でもないからアンタたちの喧嘩がものすごく下らないと思うけど」

そう言われると確かにそうかもしれない。
でも、仕事上のプライドを傷つけられた気持ちすらもないものだろうか。

「ナミの仕事を馬鹿にされたら?」
「んー…まあ、勝手にしなさいって感じね。確かに腹は立つだろうけど」
「ほら!腹立つでしょ!」
「でも出て行くほどではないわよ」

ナミの言葉に、私は言い返す言葉を失った。
冷静にそこまで怒ることなのかと言われると…どうも尻込みしてしまう。
感情的になるのは良くないし、今は何言われてもドクター二人組を言い負かす自信もなくて…

ブルブルと携帯が鳴り出して、私が取るよりも素早くナミが電話を取り出した。

「あっ!」
「はいはーい?」
『……誰だ』

電話を取ったナミを睨みながら私は黙ってその声を盗み聞きする。聞き取りづらいのが気になってナミの方へ行こうとしたら、ナミがスピーカーにして私たちの間のミニテーブルに携帯を置いた。

「名前の親友をしてます、ナミです。初めまして」
『…名前と付き合ってるトラファルガーだ。近くに居んのか?話しがしてェんだが』

私は首を横に振った。
話したくないから電話も取らないようにしていたのに。

「名前は話したくないみたい。どうします?」
『なら明日病棟で話しかけてもいいか』
「ダメです。私に話しかけないで下さい」
『あ?…スピーカーか。名前、おれが悪かった。確かに正直なところナースを下に見てたっつー自覚はある。でも、お前と会ってからそんなこと思わなくなった。間近でお前の仕事を見るようになったからな…。それまではナースの仕事ってのがどんなもんなのか、ざっくりとしか知らなかったから』

先生の意見は間違いなく正しい。
腹が立つぐらい正論だし、腹が立つぐらい私と仲直りしたいのに必死だ。もうとにかく私は腹が立っているのだ。

「………いたっ!」

私の顔を見てナミが私の頭頂部を叩いた。
いきなりなんだと言うのか。

「アンタね、私前も言ったわよね?素直じゃなくて可愛いのは20まで」
「…もっと上だった気がいたっ!」
「もしもし。トラファ…トラ…トラ男は仲直りしたいのだろうけど、この子は頑固だから怒ると長いのよ」

トラファルガーだよ、と教えてあげたいが、トラ男というあだ名が可愛くて修正はしなかった。
トラ男っていいな。私もそう呼ぼうかな。
私がそんな事を呑気に考えていると、電話越しに先生の低い声が聞こえてくる。

『頑固なのは分かってんだが…おれは喧嘩したくねェ』
「……あー、もう!名前!アンタが悪い!」
「ええっ?!何でよ!」
「こんな男居ないわよ?!喧嘩して子どもみたいに勝手に出て行ったのはアンタなのにこんな真剣に謝ってきて!喧嘩したくないですって?もうアンタがいらないなら私が貰っちゃうわよ」
「いらないなんて言ってない!」

思わず声を張り上げてしまった。
ナミがニヤリと笑って、電話越しに先生が笑った気がする。

「…明日はちゃんと帰ります」
「だそうよ、トラ男」
『…もう怒ってねェのか』
「………」
「名前!」

ナミに頬を引っ張られて「いひゃいれす」と呟くと、手を離してナミは立ち上がった。

「トラ男。とにかく、一晩頭を冷やさせるから」
『…悪ィ。世話んなる』
「こちらこそ悪いわね。こんなめんどくさいアラサー相手に頭下げさせちゃって」
「めんどくさい…?」
「今のアンタはいつ捨てられてもおかしくないぐらいめんどくさいわよ。アンタ、向こうが惚れ込んでるって自惚れて胡坐かいてたらいつか目移りされるわよ」
『それはありえねェ』
「…自惚れさせる原因は男にあったか」

別に自惚れているわけでもないし、私だって目移りさせるようなこと…ああ、今現在してしまっているか。
怒っても仕方のないことだって分かってもいるのに、ここまで来ると意地になってしまっているのかもしれない。
素直になって家に帰るっていうのもその意地が邪魔をして拒んでしまう。

「とにかく、病棟で私に話しかけないでください」
『ならせめて明日は帰ってこい』
「……考えておきます」

電話を切ってナミが空になったお酒の空き缶を拾い上げて新しいものを差し出した。

「まあ、このくらい年齢いくと素直になれないし、プライドもあるから気持ちは分かるわ」
「……」
「でも、それは言い訳よ。それより臭うわね」
「?さっきシャワー浴びたのに臭いかな?」
「そっちじゃないわよ。そのあんたらの喧嘩の原因男。第三者の私からしたら何だか話しが出来過ぎてるというか…なんか私の中の勘が警告してるのよねぇ…」

お酒に口つけながら悩ましげな溜息をつき、テーブルに肘をついて私の鼻を摘まんだ。

「まあいいわ。その男についてはトラ男に聞くとして…とりあえず明日、あなたの家に泊まりに行く」
「ええ?!せんせ…トラ男さんもいるんだよ?!」
「だからよ。会ってみたいし、色々と聞きたいこともあるし。私は親友の幸せを見届けなきゃ気が済まないの。そのためにはどんな男なのか実際に会って確めないと」

そろそろ寝ると二人してお酒を飲みほすと、ナミのベッドの下に布団を敷いて目を閉じる。
先生と出会ってから結構一緒に寝ていたから、一人で眠るのは久しぶりすぎて、別に寒くもないのに体が震えた。
とても寂しいと。
一人では経験もしなかったこの思い。

自分で自分の体をぎゅっと抱きしめて、寂しさを紛らわそうとしても紛れることはない。
私の中でこんなに先生の存在が大きいと思わなかった。
こんなに先生…ローが好きだったなんて思わなかった。

喧嘩ってやっぱり嫌だな。ナミの言う通り、そんなに怒ることでもなかった。つい、ルイス先生に言われた言葉に感情的になって先生まで目の仇にしてしまったのだが。冷静になってみれば、トラファルガー先生はいつでもどんな時でも味方になってくれる。

明日、やっぱり私からも謝ろう。仲直りしよう。

そう決意をしながら、私は眠りに落ちていった。







「おはようございま…主任?顔が怖いですよ?」
「聞いて、苗字さん。ドクター対ナースの戦いよ」

私は主任や師長、何人もの先輩や後輩たちがステーションで怖い顔をしてステーションの中心にある円卓で話している中へ入っていく。
何かインシデントか問題でも起きたのかと思えば、主任と師長は怒りながら円卓テーブルを叩いた。

「夫が話したいことがあるとメモを残してたから何かと思って医局へ行ってみれば私たちの悪口のオンパレードよ」
「えっ」
「私もフランシス先生に呼ばれて師長と一緒に聞いたのよ」

主任と師長揃って医局で聞いてしまったらしい。

師長と主任、そのほか先輩も後輩も白熱している中、バーキンさんにこそっと私は聞いてみた。

「ドクター全員なの?」
「そうみたいですぅ…先輩、先生から何か聞いてないんですかぁ?」
「…実は喧嘩中なの…」
「ええっ?!」
「しー!」

大きな声をあげそうになるバーキンさんの口を押さえた。
どうやら師長と主任の報告でみんなはそれどころじゃないらしい。

「トラファルガー先生も悪口言ってたんですかね…」
「…分からない」

フォローの仕様がなかった。
昨日の喧嘩の内容も同じようなものだったし。

その後、ピリピリした中みんな情報収集に戻り、時計を見ればそろそろ朝の申し送りの時間。今日はこの消化器外科病棟ではオペがないため、ドクターは全員病棟へ上がってくるはずだ。

「来たよ、ドクターたちが」

主任が嫌な顔をして言うとみんなも冷たい顔をして顔を上げる。本日はドクター勢揃いだ。

「やあやあ、おはよう」
「おはようございます。回診へさっさといってらっしゃいな。私たちは“時間の無駄なミーティング”をしますから」
「えっ」

部長先生が師長の言葉に固まり、トラファルガー先生が私をガン見してきた。
そんなに見てきても困る。
私はふいっと顔を背けて、申し送りの為に円卓へ集まった。

「な、何を…」
「あらあらあらあら。どーぞ、ドクターはお忙しいでしょうから回診へ回ってらしてくださいな。私は“暇そうに師長テーブルで勤務表と睨めっこ”しておりますから」
「……回診に回るぞ」

ドクター達が私たちナースの冷たい視線に気がついたのか、すぐに回診に回るために病室の方へ行った。

「部長先生そんなこと言うなんてショックですね…」
「フランシス先生もバツが悪そうな顔してたし、トラファルガー先生はいつも通り我関せずな感じだったけど、ルイス先生なんか逆に機嫌良くて気味が悪い」

ポツリポツリとそんなことを話してから申し送りを再開させたが、今日は病棟の空気が重い。
これはトラファルガー先生と喧嘩の話をしている場合ではないかもしれない。
本格的にドクターVSナースの状態だ。







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