お前との時間のために


「やあ、トラファルガー先生おはよう。今日はオペはあるのかな?」
「いえ」

ここの病院は以前居た大学病院よりもオペ室が少なく、他の科も使用するため必然的にオペ件数も少なくなる。
多いと毎日入ったりもするが、ない時には病棟周りや外来をすることが多い。

大学病院の時にはオペばかりで患者のことを見るのはオペ室ぐらいだったが、この病院では患者の元へ診察しに行く余裕が出来る。
最初こそ戸惑いはあったが、今では一人一人のオペ後の状態までしっかり経過を見れるからもう大学病院に戻る気は全くない。
まあ、名前がこの病院に居る時点で他に行くことはしないが。

部長はおれに近寄ると声を潜めた。

「苗字さんとは上手くいってる?」
「…はい」

名前との同棲生活も順調に、1ヶ月近く経った。
おれたちが一緒に住んでいることはバーキンと師長とその夫である部長だけだが、たまにこうしておれたちの事を聞いてくる。

「彼女の勤務時間と合わせたくないかい?」
「…出来るなら」

休みが合うことは少なく、彼女は月に5回も夜勤があるし、土日も出勤のことが多い。
おれも当直はあるが、新人や研修医や非常勤が当直や土日の勤務をすることが多い為、おれの当直は月に2回程度。土日はほとんど休みだ。
つまり、休みが合わない。

せっかく一緒に暮らすようになったというのにやはり休日が一緒でなければイチャつこうにも、疲れが残らない様に向こうも気を遣ってくるしおれも気を遣う。思う存分に発散することが出来ないのだ。
一緒に出掛けるのもあのソファを買いに行ったとき以来、どこにも一緒に出掛けていない。

「君たちの勤務を合わせてあげようと思うんだが、条件がある」
「…何ですか」
「新人医師の教育担当になって欲しいんだよ」

新人か…面倒くせェな…

おれの顔を見て部長は察したらしく、両肩を掴んで切羽詰まった声で頼み込んできた。

「頼むよ、君しかいないんだ。フランシス先生は去年お願いしたけど数ヶ月で新人を追い込んで辞めさせちゃったし、ガルシア先生は一昨年お願いしたけどかなり放置してて…結局は1ヶ月ぐらいで新人は辞めちゃったんだよ。2人とも教育に向かないタイプだから、ね?」

教育に向かないのならおれもそうだし、数ヶ月で辞めるように追い込むんじゃねェかと思うが。

「おれもその2人のような結果になるかもしれませんよ」
「やってみなきゃ結果は分からないよ。それに、君と同じ大学出身だ」
「…?」

なら何故その大学で医師をやらなかったんだ。
おれの行った大学の卒業生はおれも含めて大半がその大学附属病院に勤務したし、研修医の経験もそこでやるのが殆どだ。

「おーい、ルイス先生」

やるとは言ってないが、勝手に新人を呼び出した部長に呆れてため息が溢れた。
呼ばれてコツコツと靴を鳴らしながら近寄ってきた男が、おれを見るなり目を輝かせる。

「ほ、本当にトラファルガー先生だ…」
「ん?知り合いかな?」
「いや…」

全く覚えがない。
おれが首を傾げると男は握手を求めてきた。

「ルイス・レイです。お会いしたかった!!」
「は?」
「研修医をしていた時からトラファルガー先生のことはよく聞いてましたし、今でも有名です!だから自分も先生を追いかけてここの病院へ来たんです!」
「ならちょうど良かった、君の指導医になるから。トラファルガー先生。勤務のことはやっとくから、彼をよろしくね」

マジかよ…やるって言ってねェだろ…。
紹介までされては後には引けない。まあ、名前と勤務が合うのであれば…と無理やり納得して、おれは新人の握手を返す。

「トラファルガー・ローだ。今日、オペはねェから病棟行くぞ」
「はい!」





病棟へ向かうとナースステーションに入り、おれに気が付き声をかけてきたのはこの病棟の主任。

「あら、トラファルガー先生おはようございます」
「主任。コイツは新人のルイス。ルイス、こちらは病棟ナースのバース主任だ」
「よろしくお願いします。ルイス先生」
「…ああ」

ああ?ちょっと待て。コイツ随分とおれの時と態度が違いすぎねェか?もしかして、ナース嫌いか…。
あー…とことん面倒くせェ…。

「…。トラファルガー先生、今日は病棟ならチームリーダーにも…リーダーさん2人ちょっといい?」

主任が少し不愉快そうに眉間に皺を寄せルイスから目線を外し、円卓で仕事の話しをしている名前とリースを呼び寄せた。

「今日はAチームが苗字さんで、Bがリース君。こちら、新任の先生でルイス先生よ」
「リースでっす」
「苗字です。よろしくお願いします、ルイス先生」
「ああ、よろしく」
「…」

ナース嫌い何だろうが、この偉そうな態度は気に入らない。
別に相手が名前だということで気に入らないわけではな…いや、だから気に入らないのかもしれない。

年齢的にも、病院の経験年数も、相手のが上だ。
それに病棟で働くならナースの手は絶対不可欠。
仲良くなれとは言わないが、ある程度の距離は必要だ。

「今日はおれとコイツが回診に回る」
「まさかトラファルガー先生が指導医っすか?」
「悪ィか?」
「いやいやー、全然悪くないっす」
「私は仕事へ戻るので失礼します」

相変わらず冷たい態度で業務に戻っていった名前に安心感すら覚える。
変に優しくして惚れられても困るしな。

そのあとは情報収集でカルテを見てもらい、急ぎの指示はおれが出し、急がなくても良い指示をルイスに教えた。
さすが大学病院で研修医を過ごしたおかげなのか飲み込みは早く、仕事も早いタイプだろう。指導するのに苦労はしなさそうだ。

昼ごろになると名前が休憩に行くタイミングでルイスに声をかける。

「そろそろ休憩にするぞ。一時間後に病棟来い」
「先生は医局で食べないんですか?」
「おれは社食行く」
「ならおれも行きます!」

立ち止まってルイスを見れば、目を輝かしておれを見てくる。
しかし、休憩中にまでコイツの顔を見たくなかったし、名前と二人きりになるタイミングもなくなる。

どう言うか考えていると他のスタッフへ声をかけ終わった名前と目が合い、近寄ってきた。

「先生方もこれから休憩ですか」
「ああ。お前も社食だろ?」
「はい。一緒に行きます?」
「行く。ルイスはどうする?」

看護師嫌いの奴のことだ。
断ると思ってわざと問いかけたが、ルイスは名前を睨むと渋々頷いた。
せっかく二人きりになれるかと思ったが、まさか同意されるとは思わなかったので、拍子抜けだ。

「財布持ってくるので」
「なら先に行ってる」

ルイスの背中を快く送り出すと、エレベーター前には二人きり。

「名前」
「苗字ですよ、トラファルガー先生」

手厳しい奴だ。誰も近くには居ないというのに。
エレベーターに2人で乗り込むと、名前はふふっと笑い出した。

「随分と慕われてますね、トラファルガー先生」
「茶化すな」
「看護師嫌いの医者ですね。たまに居るんですよね」

肩に手を置いて引き寄せると腕の中に閉じ込め、ほのかに香るおれと同じシャンプーの香りがしてきて癒される。

「あ、ダメです。先生の白衣にファンデーションついちゃいます」
「…その方が堂々とお前とのこと話せていいな」

いまだに病棟では名前がフリーだと思われている。
たまにステーションで名前が合コンに誘われているのを聞くし。
いや、コイツ自身も自分から男が出来たと言えばいいことだが、言ったことがない。

「…それとも、バレないようにイチャつくスリルを味わってんのか?」
「そんな性癖はありません。あ、着きますので離れてください」

…相変わらず白衣を着ている時と家にいる時で態度が違い過ぎる。
最近ではおれが常に抱き抱えたがるのに慣れたのか、自分からおれの足の間に座るぐらい素直で可愛いというのに。
白衣を着れば一変して、クールで素っ気ない。
まあ、どれだけ冷たくともおれの気持ちが冷めるどころかのめり込んでいくのは変わらないが。

食堂へ着くと美味しそうな匂いが胃袋を刺激する。
名前と並んでメニュー表を見ながらいつものように相談だ。

「カルボナーラか…和風きのこ」
「パスタか。おれはカルボナーラにする」
「私はきのこですね。先生、焼き鮭定食じゃなくていいんですか?」
「今日の朝に食ったしな」
「奇遇ですね。私も焼き鮭でした」

クスクスと笑う名前におれも頬を緩めた。
一緒に食ったんだから当たり前だが、おれとのやり取りを楽しむかのように言うのが無邪気で可愛い。

「あ、トラファルガー先生に苗字さん、お疲れ様です。ここいいですか?」
「どうぞ」
「わあ、ありがとうございます」

おれと向かい合って座っている苗字の隣に病棟のリハスタッフが座った。
一緒にご飯を食べることは増えたが、2人きりになれることなどほとんどない。
こうして2人で食べていても必ず他のスタッフが一緒に食べることになるのだから。

まあ、家に帰ればいくらでも一緒に居られるのだからいいのだが。

「お待たせしました、トラファルガー先生」

別に待っちゃいねェが、と言いたくなる口を噤んだ。
ルイスは目の前のリハスタッフには少し話しかけたが名前の方は見向きもしないどころか居ないかのように話す態度。ものすごく気に入らない。

「おい」
「トラファルガー先生」

注意をしようとしたが名前に遮られ、小さく首を振った。
何も言うなと?おれが気に食わねェ。
だが、名前に止められると自然と素直に閉じてしまう口。
仕方がない。後で医局へ戻った時に個人的に注意をするしかない。

そう思いながら諦めて目の前の食事に集中することにした。







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