あなたの前では素直になれない


目が醒めるといつもは感じない人の体温が私を包み込んでいた。
顔を上げると目の前には整った顔のトラファルガー先生の姿。鋭い目は閉じられていて、少し幼く見える寝顔。

昨日のことを思い出して一気に顔が熱くなった。
キスして胸を触られた。

服の中に手を入れられそうになって慌てて止めたんだった。あの時に脈を計られてたらきっと揶揄われていただろう。それほど鼓動は早まっていた。

トラファルガー先生にまだ好きになってねェのかと聞かれて、思わず分かりやすいようにスケールを出したが、2なんて嘘だ。
本当はもっと高いし、もう異性と意識し始めている。
けれども、素直になれない自分は虚勢を張った。
それにまだ胸を張って好きだと言えるほど、自分の心に自信がないのは確かだ。

ヘッドボードにある時計を見れば、いつも起きる時間。
体を起こそうと動いた時に隣で寝ている先生の腕が、私を力強く抱きしめた。

「ローさん、朝ですよ」
「…キスすれば起きる」
「…」

頬を両手で包み込んで唇を寄せ、キスをすると驚いたようにトラファルガー先生の目が開いていた。

「…なんで驚いてるんですか」
「いや…初めてお前からキスされた」
「そうでした?」
「間違いなく、そうだ」

体を力強く抱きしめられて、甘えるように私の胸に頬を摺り寄せた。
童顔な顔でそんなことをされると私の母性本能が擽られる。

トラファルガー先生がすごく可愛く見える。

「胸、柔らけェ…」
「…」

発言は可愛くない。
胸を片手で揉みながら顔を谷間に埋めている体を引きはがして、私はベッドから降りた。

「早く支度して行きますよ。早い時間じゃないと誰かに見られるかもしれません。私は電車で行くので」
「は?同じところに行くのになんで別々の交通手段で行くんだよ。おれの車で一緒に行けばいいだろ」
「誰かに見られたらどうするんですか」
「付き合ってること言えばいいだろ。期間付きだろうと今はおれたち恋人同士なんだから」

堂々としたがるトラファルガー先生に、私はもしかして回りから固め落とす気かと勘繰りたくなる。

「なんか先生…私との付き合いをバレてほしそうな気がするんですが」
「…気のせいだろ」
「そうですかね…」
「そうだろ」

ベッドから起きて寝室から出ていく先生の背中を眺めながら、私も後を追う。
朝食は先生の買ってくれたパンをトースターで焼いて、コーヒーを淹れ、ダイニングテーブルへ並べると着替えた先生が席に着いた。
誰かと向かい合ってこうして一緒にいただきますと挨拶をするのは、この間のトラファルガー先生に手料理をふるまった以来だ。

「一緒に目覚めて、一緒に飯食うって…いいな」
「それは私も思いました。一人暮らしだと味わえないですからね」
「また泊まりに来いよ」
「機会がありましたら」
「んなもんいくらでもつくってやる」

トラファルガー先生のこういう男っぽいところはやばい。
バレないよう顔を背けてパンを頬張った。

「…顔、赤いな。くくく、ちょっとはスケール上がったか?」
「どうでしょうかね」
「ちなみにその好きのスケールはいくつになったら本当のお付き合いまでいけるんだ」
「10に決まってるじゃないですか」
「道のりなげェな…」
「諦めてはどうです?」
「…残念ながら諦めてやらねェよ」

コーヒー片手に鼻で笑いながらいう姿は、本当にカッコいい。
鼓動が早くなった気がして、熱いコーヒーを冷ましている風に見せながら深呼吸を繰り返した。
私のこの動揺を先生が知ったら、早く言えよと笑うだろうか、おれで遊びやがってと怒るだろうか。

「あ、そういえばいい忘れてました」
「…」
「私、来週から研修行くので1週間は会えなくなります」
「は?なんだよそれ」
「行きと帰りの交通費と手間が嫌でホテルを取ったんです。一週間こっちに帰ってきません」
「…マジかよ…」

朝食が終わり、2人して支度が終われば玄関で顎を掬い取られてキスをされる。

「研修中、浮気すんなよ」
「期間限定とはいえお付き合いしているんですから、そんな不純なことしません」
「お前…期間限定とかいうなよ…」







結局、先生に押し切られる形で一緒に車で出勤することになった。職員用の地下駐車場だし、早い時間に着くように出たので誰とも会うこともなく更衣室に行くことができた。
病棟に上がっても、夜勤者がバタバタと走り回っているだけで日勤者は私が一番のようだ。

情報収集を行っていると、珍しく早く出勤してきた師長に声かけられた。

「苗字さん、申し訳ないんだけど、研修から帰ってきたら1か月間リリーフに行ってほしいのよ」
「リリーフですか…」
「以前、整形外科にリリーフ行ってくれたでしょ?向こうの師長が貴女を気に入っちゃってね。ほら、整形ってごっそり看護師辞めたじゃない?それでいろんな病棟からリリーフを頼んでなんとか回してるみたいなんだけど」

中堅の看護師がごっそり辞めたのは恋愛のもつれだそう。
整形外科のドクターが同時に看護師3人を相手にしていたため、それを知った3人が大喧嘩となり、同時に退職してしまったのだという。
整形の先生は確かにチャラチャラしているイメージがあるが…本当にそんな刺されそうなことが起きたのが、失礼だが刺されればいいと思った。

「お願いできるかしら…?」
「はい。行きます」
「良かった!よろしくね!!」

師長に頼まれては断れない。
トラファルガー先生には今日、うちに来て夕飯を食べさせる予定だから今夜言えばいいか。あれだけ人手不足の病棟なのだから恐らくは残業が多くなる。そうなれば必然的に先生と会える時間も少なくなるだろう。

期間が無駄になってしまうことが可哀相だが仕方がない。
そして、私自身も少しだけ寂しいと思ってしまうところに自分で驚いた。

やっぱり好きなのだろうか…。








『それはもう好きでしょ』

「やっぱりそうなのかなぁ…」

『私の知らない間にそんな楽しいことになってたなんて!あー!直接会って聞きまくりたいわ!!』

仕事も定時で終わらせて、トラファルガー先生はまだ仕事があったため先にスーパーに来て買い物中にナミに電話したのだが。
電話越しでナミが盛大にため息をついたのが分かった。

『ねえ、名前』

「なに?ナミ」

『いくらあんたが美人看護師でも、あんたは変わり者よ』

「…いきなり失礼な」

『でもその変わりもんのあんたにここまで惚れ込んで、諦めずにアタックしてくる男は居ない。断言するわ、絶対に居ない!』

「…そうかな」

『だってキスまでさせて、部屋に泊まったくせにヤらせないって男からしたら相当な我慢よ?好きな相手なら尚更だし。しかもそこでも好きじゃないって…ここまで来るとその医者に同情するわ』

「えー…そうかぁ…」

『それにうかうかしてると、そんな優良物件。横から掻っ攫われてもいいの?』

「…」

『医者でスタイルよくて、頭良くて、顔もいい。話しを聞く限り男らしい性格してるし、女には困ってなかったからこそ自分に自信がある』

「…すごいねナミ…」

『そんな男がフリーなら色んな女が狙ってると思うわよ。さっさと自分の気持ちいいなさい。素直じゃなくて可愛いのは20代前半までよ!』

「うう…耳が痛い…」

『あんたのために言ってるの!あんたがいらないなら私に紹介しなさいよ!』

「…」

『嫌なんでしょ。それが答えじゃないのよ』

あれ?以前だったらバーキンさんとくっつけばいいとか、諦めればいいと思っていたが…どうやらナミと話していくうちに徐々に私の気持ちは確かなものになっていたらしい。

「分かった。また報告するね」

『彼氏として紹介されんのを楽しみにしてるわ。じゃあね』

お礼を言って電話を切った。
ナミに相談したのは正解だったようだ。私のふわふわした気持ちもしっかりと自覚できたことだし。
ただ、今、気持ちを言ったところで先生を悶々とさせてしまう日々が続いてしまうだろうし、私自身も悶々としてしまう気がする。
隠し通せるだろうか。いつものように冷たく対応していればいいか。

気持ちを伝えるのは整形のリリーフが終わったころ…約2か月後かな。ちょうど限定期間の間だし、言っても言わなくても距離は変わらないのだろうし。

そんなことを思いながら買い物を済ませて、家路についた。







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