10 姉上の様子が変だと気づいてはいたけれど、まさかなにも言わずに消えてしまうとは思わなかった。病院で目が覚めたその日に入院費用だけ残して消えた姉上は、半年経っても姿を現すことはない。せめて連絡の一本でも寄越してくれてもいいではないか。 変わることなく過ぎていく日々が億劫で、現実逃避をするように目を閉じる。瞼の裏に浮かび上がるのは、姉上と過ごした輝かしい日々だった。あの頃に戻れたら。あの時無理にでも姉上を連れて来ていたら。……後悔ばかりが頭を埋め尽くす。 「おい、じじい」 「…………」 「おい、聞いてんのかじじい。もう難聴になったのか?」 「……チッ。お前が姉上の子どもじゃなけりゃ殴り飛ばしてまさァ」 顔だけは姉上そっくりな甥の中身は憎らしいほど俺にそっくりで(姉上に外見が似ているということは俺の外見にも似ているということだが、認めたくない)、姉上を敬う態度はするものの、それ以外の人間には年上だろうとお偉いさんだろうと生意気な口をきく。口だけではなくたまに手も出す総太の実力はそこら辺の隊士にも負けないほどで、人が足りないときには緊急要員としてかりだされることもあった。 「仕事サボってんじゃねーよ。きびきび働け」 近藤さんが用意した特注の隊服を身につけた総太は(子どもサイズの隊服がなかったのでわざわざ発注した)、まだ五歳程度とは思えないほどしっかりとした性格をしていて、自ら仕事を欲する。母親がいなくなったと聞かされたときもその姿勢を崩すことのなかった総太が、本当に憎らしい。 「お前さ、いい加減母上のことを引きずるなよ」 「……」 「母上はそんなこと望んでねえ」 「…………お前になにがわかるってんだ」 子どもらしからぬ表情をした総太を睨みつけると、ヤツは笑う。 「母上はアンタらに迷惑をかけたくなかったんだよ。だから消えたんだ。……本当は、俺を預けることだって戸惑ってたんだ」 たいして人生を過ごしていないというのに懐かしむように目を細めた総太が姉上と過ごした日々を語る。決して裕福ではなかったが、とても幸せだった、と。 「一年前から、母上は変わった。病気が発覚した頃だな。それまで通り俺を愛してくれたことには変わりないが、俺と一緒にいる時間を武道を教える時間につぎ込んだ。……きっと母上は、俺にここの隊士になって欲しいんだと思う。少しでもアンタらの負担になんないようにさ。だから俺は、母上のために新選組に尽くす」 切なそうに総太は言った。 「お前、馬鹿だな」 「……ああ? じじい、調子に乗んなよ」 「お前は姉上の負担なんかじゃないし、ここでだって負担なんかじゃない。姉上はお前が大切だから手放したくなかったんだし、ここの奴らはお前を歓迎してらァ。――総太は、必要とされてる」 俺の言葉を聞いた総太が意外そうに目を見開き、下手くそに笑う。嬉しそうな顔をしたかったらしいが、ここ半年そんな顔をすることがなかったのか顔の筋肉が強張っているらしい。俺はそれを見て初めて総太を姉上の息子ではなく自分の甥として認識した。 121212 次のページ# 目次/しおりを挟む [top] |