あなたに初めて会った日
一人の少女は一人の男に釘付けだった。
ホールの中に響く音はピアノの旋律。
力強く
速く
洗練された指の動き。
「すごい…」
皐月は法悦とした顔で土浦梁太郎を見ていた。
思わず両手で己の頬を包む。
それぐらい聴き入ってしまったのだ。
「同じ普通科なのに…」
力強く弾けるその手を見たいとじっと遠くから手元を見ようと必死になる。
結構な距離なのでもちろん見れないのだが。
いや、何もここで見る必要はない。
皐月はそう思うと大人しく奏でられる音に身を任せ、速かった旋律が最後軽やかに終わる瞬間少し寂しそうに眉を下げた。
土浦は夕焼けの差し込む廊下を歩いていた。
「土浦梁太郎くん!」
「ん?」
呼ばれた土浦はいつものちょっとした仏頂面で振り向く。
そこには少し息を切らせた皐月がいた。
「えーと…」
「初めまして、私2組の東雲皐月と言います」
皐月はそういうとずかずかと土浦に近づきその手を掴む。
「お、おい!?」
皐月のいきなりの行動に土浦が驚くのも無理はない。
なんせ手を掴むだけでなく、その手をじっと眺められているのだから。
「…」
「おい…」
じっと土浦の手を見て動かない皐月に土浦もどうしたものかと冷や汗をかく。
「…綺麗」
「は?」
やっと言葉を放ったと思えば的外れな答えだった。
「この大きな手から、あんな綺麗で力強い音が流れるのね」
「…っ」
じっと手を見てきたかと思えばいきなりこんな返答なのだ、そんな事をいきなり言われると思わず土浦は思わず顔を赤くさせた。
「本当にすごい、とても引き込まれたの。とても好きになったの」
皐月はその手を眺め終えると指一本一本に触れていく。
「お、おいお前…っ」
手ばかり見られ、どうしたらいいのかわからない土浦。
ただでさえ女に手をまじまじと見られ触られた事がないだろうに。
そんな土浦をおかまない無しに皐月は指をなぞる。
「ちょ、いい加減やめろ!」
土浦は空いてる手で皐月の手を掴んで制した。
その行動に皐月はやっと正気に戻ったのかハッとする。
そのまま見上げて土浦の顔を見ると赤くなっていて、つられて皐月も顔を赤くした。
「ご、ごめんなさい!!」
先ほどまでなんともなかったというのにいきなり変な汗が背中を伝う。
更には耳まで真っ赤になった。
土浦はため息をつくと落ち着いたようでゆっくりと口を開く。
「どうしていきなり手を?」
「…さっき、ホールでピアノを聴いている時、どんな手がこの音を流しているんだろうと思って…」
土浦の問いかけにぽつりと呟く皐月。
「近くで見たいと思ったの…この音を出す人を、その手を」
まだ少し赤くなった顔をもう一度土浦に向ける皐月。
そんな皐月の表情を見て土浦は不覚にもドキリとしてしまった。
「そう…土浦くんは思ったより大きくて、なのに繊細にあの音を出す。すごいわ」
「…何もすごくねえよ。他のやつの方が凄い」
「そんな事ないわ。技術なんかじゃない、その気持ちが私に伝わった事が凄いと思うわ」
「なんだそりゃ…恥ずかしいやつ」
そう言ってそっぽを向く土浦の顔はまんざらでもなかった。
皐月はふわりと笑って掴んでいた土浦の手にきゅっと力を込めた。
「よかったらもう一度聴かせてくれないかしら、土浦くんのピアノ」
「はあ?なんでまた」
「すごく好きになったの!」
皐月は笑顔を向けると土浦の手を引っ張り足を進める。
「お、おい…!」
「すごく聴きたいなって思ったの、お願い」
皐月は頑なだ。
もともと土浦は押しに弱い方なので半ば諦めたようにため息をついて皐月の足が進む方へと自身の足も歩めた。
「ったく…いきなり手を掴んできたやつにピアノ弾いてくれなんて言われたの初めてだよ」
「ごめんなさい、でもどうしてもあなたとピアノを聴きたいの」
「…そうかよ」
他でもない土浦のピアノがいい。
そう言われた気がした土浦は嬉しくならないわけがなく、少し照れ臭そうに笑った。
皐月はそんな土浦の笑顔を見てなんとも言えない気持ちになったのだが、今はその心をそっとしまった。
「曲はなんでもいいわ、土浦くんの好きな曲がいい」
土浦の横に並び、本当に楽しみにしていると伝わるような声色で話す皐月に土浦もむず痒い気持ちになった。
「…わかった」
その気持ちがなんであるか。
それをお互いに知るのはもう少し先のお話。
2018.01.11.
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