鮮血と烈風(4/8)

時間は遡り、栄光の大地が地上に姿を現した、その日の夜も遅くの事。

アッシュはアルビオールの見張りをクロノと交代し、宿屋に戻ってきた。クロノの話によると、アッシュが途中で話し合いの場から抜けた後も、結構遅くまでルーク達は話し込んでいたらしい。が、流石に夜中になった今はもう全員就寝したようで、宿の中は静かだった。夜間にあまり騒ぐのは、他の客の迷惑にもなる為、当然ではある。けれどそんな誰もが寝静まる中……一階の奥の部屋から、小さな物音が聞こえた。店主か関係者かとも思ったが、こんな夜更けにコソコソしているのも怪しい話で。まさか、コソ泥か何かか?と不審に思ったアッシュは、そっと気配を殺し、物音が聞こえた部屋……食堂に近付き、警戒しながら中を覗いてみると……



「誰?…って、何だアッシュか」

「ってお前かよ」



居ちゃ悪い?なんて面倒そうに返しながら珈琲を飲むシンクが、そこにいた。しかも驚いた事に、シンクは客が座るテーブルの方ではなく厨房の中にいるではないか。室内には彼と自分以外、関係者は見当たらない。



「つーか、何やってんだよこんな所で…」

「宿の主に厨房を借りてマカロン焼いてるんだよ。サクのリクエスト」

「(本当に何やってんだよ……)」



確かに、室内にはお菓子の甘い匂いが微かに香っている。シンク曰く、今から焼き始める所だったらしい。リクエストをするアイツもアイツだが、いくら頼まれたからとはいえ、わざわざ店主に厨房を借りてまで…しかもこんな夜中に作る奴がいるか?と、アッシュは内心呆れを通り越して思わず脱力する。シンクとはそれなりの付き合いだが、シンクの意外な一面を知った気がする。ちなみに、宿の店主には厨房を借りる許可もきちんと取ってきたんだそうな。シンクの性格上、無許可か店主を脅しでもしたのかと思ったが、どうやら違うらしい。妙な所で律儀なのは、サク譲りなのかもしれない。



「ついでだから、アッシュにも珈琲淹れようか?」

「ああ…」



ついでかよ。というツッコミは寸での所で飲み込んだ。彼が皮肉屋なのはいつもの事だし、何より今のシンクはいつもよりむしろ好意的な感じだったからだ。めずらしい事もあるものだと、アッシュは戸惑い混じりに珈琲を受け取り、カップに口を付けた。…って、しかもこの珈琲、何気にかなり美味いじゃねーか。そういえば、シンクが食事当番の時はいつもハズレが無かったな…なんて事に思い至る。実はコイツ、かなり器用なんじゃねーか?



「…美味いな」

「そう?…まあ、サクの仕事の合間に珈琲や紅茶はよく淹れるからね。僕がやらないと、仕事そっちのけでサクが淹れようとするから」

「ああ…成程な」



その光景が目に浮かぶ様で、アッシュは妙に納得してしまった。シンクの方も、不満そうな物言いとは裏腹に、その声音は穏やかなものだった。どうやら、満更でもないらしい。…直接そう本人に指摘しても、否定されてしまいそうだが。

それにしても…と、アッシュは思う。サクや自分以外…他人の分の珈琲を自分から用意した辺り、今日はシンクの機嫌が良いのかとも思ったが、その割には何か浮かない顔をしている……気がする。今までは仮面を付けた状態でしかシンクと顔を合わせていなかった事もあり、表情の違いを読み取る事なんて自分には出来ない。しかし、表情の変化から彼の心情を深く察せれずとも、彼の様子がいつもと違う事くらいは、アッシュにも分かった。

そして、その原因に思い至る事に関しては、とても簡単な事だった。シンクが悩む事といえば、サクの事かイオンや被験者(クロノ)に関する事であり、大抵の場合が前者であるからだ。先程も、サクの話になった時にシンクが僅かに表情を曇らせていた辺り、間違いないだろう。



「…なあ、シンク」

「何?」

「何か、迷ってないか?」

「………」



別に。と、即答してくるかと思われたが、意外にもシンクは黙り込んだ。言うべきか否か、考え込んでいる様子だ。シンクがここまで迷うのも珍しい…と、内心驚きつつ、アッシュもまた、どうするべきか悩む。

シンクも…俺自身も、以前とは変わったと思う。こんな風に、誰かに悩みを話そうとしたり、他人の話を聞いてやろうと思うなど、今迄には無かった事だ。自身の王族の特徴を持つ容姿やその生い立ち、特務師団長という立場もあり、極力他人とは関わり合いの無いようにしてきたが……アイツらに感化されているのかもしれない。加えて、特にシンクの場合は他人ではなく同僚に当たる上に、互いの事情をある程度理解し合っているという点も大きい。引合わされた当初、アイツからシンクと仲良くするようにとか頼まれた記憶もあるが……まさか、こんな風に本当に親しくなるとは、あの時は夢にも思わなかった。そして、それはおそらく…シンクの方も同じだろう。



「無理に聞き出す気はないが……珈琲の礼に、アイツの愚痴位なら聞いてやる」



アイツには俺も日頃から散々振り回されているからな。自嘲も交えてそう愚痴を溢すと、シンクは少し驚いた顔をした後……それもそうだねと言って、小さく笑った。



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