一寸先ダーク | ナノ
 我が郭都谷高校は百二十年の伝統を誇っているらしく、その旨を祝う垂れ幕が、体育館奥の旧校舎に垂れ下がっていた。遠目にそれを眺めながら、なーにがお祝いじゃ、といちごカフェのパックジュースをズズッと啜る。昼休みのこの時間、学校中どこもかしこも往来が盛んだ。購買からいちごカフェを買って帰ってきた私は、教室廊下側の最後列、慣れ親しんだ自分の席に腰かける。自分の席と対角の位置にある席を見た。そこには、私のビジョンを裏切った件の男子生徒・逢木直流が座っている。
 逢木直流はクラスメイトだった。
 これは、あの告白未遂行事件後に発覚したことで、私はそれまで彼が同級生であることさえ知らなかった。
 まさか、自分のクラスメイトの顔と名前さえきちんと憶えていなかったとは。記憶力に自信のある私にとって、このことは衝撃的かつ屈辱的な事実であった。しかし、よくよく考えてみると、ひとえに縁がなかったというだけの話。私のクラスの担任は、あんまりそういうのに気が回らないタイプなので、いまの年度になってから十月現在に至るまで、一度たりとも席替えを行なっておらず、おかげでというべきか、私と彼の席は、教室の中で一番離れている。逢木と別守。。窓際最前列と、廊下側最後列。関わりの薄さは最強、濃さは最弱といった具合である。私がビジョンを見る体質でなければ、はたまた、彼が確定事項を覆すようなことをしなければ、私たちは、きっと永遠に、互いを意識しなかったに違いない。
 反実仮想は脇に置く。現在、私と彼の運命の歯車は回り始めてしまったわけだから、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、そう、現在のことだ。お互いを意識しまくってるはずの、現在の話だ。私はいちごカフェを飲みながら、自分の席と体格の位置にいる彼を、半目で見つめる。
 逢木直流。お前はとても罪深い男だよ。
 寄せては返す、波のような男だよ。
 初めて確定事項が覆った日からちょうど一週間経ったけれど、その一度に飽き足らず、あれから二度も、三度も四度も、私への告白を拒みつづけるとは。おかげで私は、何度も何度も身構えては、それが徒労に終わるような、空しい思いを味わわされたよ。
 たとえば昨日、また目が合ってビビッときたのに、実際はなんにも言わないで、いまみたいに友達と談笑していたよね。なんで? 優柔不断? 好きなら好き、嫌いなら嫌いでバーンと言っちゃえばいいのに。わけもわからず焦らされる私に悪いとは思わないわけ。最初は意地悪でコテンパンに振ってやろうと思ってたけど、いまは違う。考えるふりくらいはしてあげてもいいかなって、そう思ってるんだよ。私の意地が軟化したいまが告白するチャンスだよ。さあ、こっちを向いて、貴方の本心を聞かせて!
 ふと、窓に背凭れて友達と話している彼と目が合った。

『別守さん、好きです、大好きです!』

 目が合った一瞬間いっしゅんかん、ビビッとビジョンが見えたのに―――また、彼は私に告白しなかった。
 何故だ!? 何故お前は私に告白しない!?
 ほんの撫でるだけで終わり、すぐ逸らされた彼の視線に苛立ち、私のいちごカフェのパックを持つ手に自然と力が入る。圧で押し上げられた甘味が口内に広がった。
 悔しい。悔しいというか腹立たしい。ビジョンのように私に告白してくるそぶりも見せないのだ。目は合うけど、一瞬だけ。その視線の離れかただって、恥ずかしくて目を逸らすというより、偶然合って必然離れただけって感じなのだ。おかしい。私は貴方にとって、告白しようと思ってる女の子のはずでしょう。男の子ならさっさと告白してこい、逢木直流。一寸先に垣間見た貴方は、あんなにもまっすぐだったのに。
「もう、懐ちゃんってば。足開かないの。音立てて飲まないの。あと睨まないの。女の子なんだからー」
 ずっと携帯スマホを弄っていた、私の一つ前の席の友達が、机の下から私の脚を叩いた。短くしたスカートはそれを防御するに至らず、ぺちんと素肌同士の音が鳴る。
 私は逢木くんから視線を外し、友達のほうへと向けた。
依本よりもと。手ぇ湿ってる」
「そ、そんな恥ずかしいこと言わないでよ! ていうか、懐ちゃん」椅子に横向きに座っていた依本は身を乗り出し、私の机に頬杖を突く。「最近ばり不機嫌じゃん。どうしたの?」
 首を傾げた拍子に、ふわふわとカールした依本のロングヘアが、胸元や机に雪崩れこんだ。依本の髪の色は、私の茶けた黒髪よりもよっぽど明るい色をしていて、深緑の制服によく映える。だから枝毛もよく見える。しかも三つ子ちゃんじゃん。私はそれを教えてあげようとして、けれども思いとどまる。これ言ったら、また恥ずかしがって怒るかもしれないな。たちまち閉口した私は、素直に依本に打ち明けることにした。
「……依本よ」
「なあに?」
「貴女は私を裏切らないと誓うか?」
「まじでなに言ってんの?」
 いえね、ここ一週間、自分を好きなはずの男の子に、裏切られつづけてるだけですよ。
「や、わかってるよ? 貴女が私のことをズッ友だと思ってくれていて、私のことを好きなことくらい。こんなことを聞くのもおこがましいくらい。でもさ、絶対そうだと言いきれるほど強い確信を得たとしても、裏切られることってあるのよ。あったのよ。だから、やっぱりそういうのって、直接聞きたいのよ。永久恋愛えくれあちゃんもそう思わない?」
「次その名前で呼んだら殺す」
 怖っ。声がまじだ。
 私のお友達こと依本永久恋愛ちゃんは、このとおり、自らのキラキラネームを相当嫌っていた。その名前でいじめられたことも、母親と喧嘩して家出したこともあるらしい。顔に似合わず過酷な運命を背負って生きてきたようだ。普段は、その甘い名前に似つかわしい、女の子女の子した雰囲気をふわふわ漂わせているのだが、たちまち地雷を踏み抜けば、本性の鬼神が飛び出てくる。
「あとやっぱなに言ってんのかわかんない」鬼神が鳴りを潜め、私の友達が帰ってくる。「でもー、私と懐ちゃんはー、ズッ友だよん」
 依本は私の小指に自分の小指を絡めてきた。だから、湿ってるんだって。
 でも、やっぱり解せない―――依本に応えるように私も小指をクネクネ動かしながら、逢木くんのことを考える。貴方はいったいなにがしたいの。私のビジョンを裏切りつづける、貴方はいったい何者なの。
 それとも、まさかとは思うけれど、私のビジョンが間違ってるとか?
 これまでずっと感じていた確信は偽物で、本当は、私にはビジョンなんて見えてなくて。だとしたら、話したこともない男の子から好意を寄せられているなんていう、悪質極まりない妄想癖のが私にはあるのだと、そんな不名誉な可能性が浮上してしまうのではないか。しまった。いよいよ私の自意識過剰が致命的なものになってしまう。それだけは避けたいから、とっととビジョンどおり告白してこい、逢木直流。
 コイコイ、と唸りながらいちごカフェを飲んでいると、また一つ、めんどくさそうな、数秒後のビジョンが浮かんだ。

『今日の日直って別守さんだったよね? 四限目の体育の場所、先生に聞いてきてもらいたいんだけど』

「…………うっ、うあっ、アイタタタ!」
 いきなりお腹を押さえ、前のめりに倒れこむように背を丸めた私に、慈しみ深い依本は「懐ちゃん?」と心配そうに囁く。
 その数秒後、すぐ近くの教室のドアが開いた。
「あっ、いたいた! 今日の日直って別守さんだったよね? 四限目の……って、どうしたの? お腹痛いの?」
 教室のドアから顔を覗かせたクラスメイトが、お腹を押さえる私を見て、そう尋ねてきた。私の代わりに、「そうみたいなの。急に蹲りだして」と答える依本。慈しみ深いクラスメイトも心配そうに「大丈夫?」と尋ねてくれる。
「うっ、い、痛いーっ」私は捻り出すような声で言う。「急にすごい腹痛が……なんか立てないくらいなの……」
 慈しみ深いクラスメイトは、やはり、「えっ、それは大変!」と私の身を案じた。
「んんん、まだ休み時間あるし、保健室で薬もらってきたほうがいいかな……えっと、ちなみに、私になにか用だった?」
「あ、いいのいいの!」慈しみ深いクラスメイトは、慈しみ深く手を振ってくれた。「別のひとに頼むから気にしないで! お大事にね!」
「うん。ありがとう」
 会話を終えると、その慈しみ深いクラスメイトは去っていった。私はそれを見送り、完全に見えなくなったところで、パッとお腹から手を離し、背筋を伸ばした。
「懐ちゃん?」
「引っこんだわ」
「生理が……?」
「腹痛が」
 フム。やっぱり私の見るビジョンは本物のようだ。ビビッとひらめいたとおりの未来が、数秒後にきちんと訪れている。もちろん、これまで百発百中の常勝記録を打ち出していたこの体質を、たかだか男の子一人のために本気で疑っていたわけではなかったけど。このビビッも、あのビビッも、なにもかも同じ。一寸先を照らすフラッシュ。逢木直流からの告白のビジョンが異質なだけで、あとは全てが現実となっている。
 困った。ビジョンが本物であることから、やはり私の能力は本物だということは証明されたのだが、彼がビジョンどおりに告白してこないことの理由はまだわからない。
 照れ屋だとか、奥手だとか、公衆の面前で告白をぶちかませる人間に、そんな理由は見こめないし。もしくは、大勢の前で告白される私のことを慮って、我慢してくれているとか? だとしたら、ちょっと好感度上がっちゃうなあ。まあ、たとえ一対一で告白されても困るんだけど。だって私たち話したこともないんだし。
 んー!
 彼がなにを考えているのか、さっぱりわからん!
 この一週間、一人で唸ってきたけど、いよいよ、考えこむにも限界がきた。恥を忍んで白状するが、私は、勉強があまり得意ではない。幸い記憶力はよいため、暗記系の科目はそこそこの成績を取れているけれど、頭を使うような問題の出る科目となるととことん無理なんて状態だった。お手上げである。降参。いまの状況にもだ。どうして逢木直流が私に告白してこないのかなんて、どれだけ考えたってわかるわけがない。お手上げだ。
 ただし、降参するつもりは毛頭ない。
 何故なら、彼は私を好きなはずだからだ。惚れた弱みという言葉があるように、恋愛において、マウントを取っているのは常に惚れられた人間のほうなのだ。私と逢木直流とでいうなら私にあたる。惚れられている私がどうして降参しなければならないの。どうせなら告白されたい。あわよくば振りたい。




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