一寸先ダーク | ナノ
 というわけで、翌日、とうとう私は、彼に話しかけてみることにした。
「ごめん。そこ、よろしいかしら?」
 我ながら、マウントを取っているのは私、という性根の醜さが露呈するような台詞だった。
 昼休み。食堂の五人がけテーブルで、一人ポツンと座っていた逢木くんに、そう声をかけた私は、彼の返事よりも先に、自分の持っていた親子丼をテーブルに置き、席に着いた。隣の依本はいじらしくも「え、いいのかな」と呟いていたが、いいっていいって、焦がれる私が目の前に座ったんだから、彼も悪い気はせんだろう。ていうか、悪くなってたら許さん。
 私が彼に話しかけたのは初めてのことだし、彼の顔を間近で見たのも初めてのことだった。
 彼はびっくりしていたけれど、すぐに「いいよ。二人だけ?」と尋ねてきた。
「僕の友達も、このあと二人来るから、ごめん、人数が多いようなら、どこかから余った椅子を持ってきてほしいんだけど」
 彼の態度は実に普通で、大して会話のしない女子に話しかけられたらこんなことを返すだろうなというような台詞を吐きだした。
 私の代わりに「二人だけ。こっちこそ、ごめんね」と依本が答える。
 彼は「そっか。なら、どうぞ」と返し、しっとりと微笑んだ。ついでに、そばにあった濡れ布巾で軽くテーブルを拭いてくれる。紳士的なやつめ。私は置いてあった自分の親子丼を持ち上げて、「ここも」と促した。彼は文句も言わずにするすると拭いてくれた。もう少し焦ったりきょどったりすると思っていたのに、なんか余裕の反応だな……ちょっとつまんない。
 依本も椅子に座り、自前の弁当と水筒をテーブルに置く。私は、親子丼の乗ったトレーの位置を動かすふりをして、逢木くんのほうを見遣る。目は合わない。なにを考えているのか、どこを見ているのかも悟りにくい様子で、肘をついている。
 本当につまらなくなってきた。話しかけたときもそうだったけど、もう少し慌てふためいてくれたらかわいかったものを。他人よりも一つ分多く余裕を持ち歩いているかのような態度は、おとなびていて素敵だとも思うけど、人生を達観してる感じがして、ちょっと気に障る。間近で見た逢木くんは、真面目で穏やかそうな風貌どおりの、だけど、なんとなく不思議な雰囲気を持つ男の子だった。
 よく知りもしないクラスの男子生徒と相席することになったのがむず痒いのか、依本は世間話でもするかのように口を開く。
「なんか、変な感じだよねえ。私たち、同じクラスだけど、席は離れてるから。あのクラスになってから半年以上経つのに、全然しゃべったことなかったし」
「そうだな」逢木くんは頷く。「別守さんと、依本さん、だよね? ちなみに二人は僕のこと知ってる?」
「逢木直流くん。覚えてるよ」
 実際のところはつい最近知ったようなものなのだが、私は平然とそう答えていた。
 逢木くんは、フルネームで覚えられていたことがよほど意外だったらしい。緩やかな目をほんの少し見開かせてから、「……そっか」と返す。あっけない一言。けれど、こいつは私が好きなんだという、私の偏見に満ちた眼では、少し嬉しそうにも見えた。
「別守さん、記憶力いいんだ」
「記憶力って」依本はおかしそうに笑う。「同じクラスなんだから、さすがに顔と名前くらい把握してるよ」
「じゃあ、生野うぶの帰山きやまのことは? 学食買ったらあいつらここに戻ってくるんだけど」
「ああ! 出席番号順で、教室の左上のほうで固まってるよねえ、三人とも」
 へえ、そうなの。私は逢木くん以外ノーマークだったので知らなかった。依本の話を聞きながら、ここに彼女がいてくれて助かったな、と思う。私だけだったら、全く会話をしないまま、無言で反応を伺うしかなかったはずだ。話を聞いている分には、逢木くんを含むその三人、出席番号順に並んだときに知り合ったとかなんとかで、そのままつるむことになったらしい。友人グループを作るのにありがちな話。等身大の男の子って感じがする。もっと探りを入れれば、なにか掴めるのかしら。
 依本の「逢木くんも弁当なんだ?」という質問に、彼は「うん」と答えていた。
「私、毎朝ちゃんと手作りしてるんだあ」
「僕も」
「えっ、すごい」
「よく見せてよ」
 私はふと声をかける。聞き役に徹していてもよかったけど、せっかくだから話しかけてみることにしたのだ。突然の私の言葉に「えっ」と驚いた逢木くん。と、目が合った。ビビッと、ビジョンがひらめいた。

『好きです、別守さん。よかったら、僕の作ったお弁当、食べてみてくれないかな?』

 重っ。
 そう、思わずツッコミを入れたくなったけど、好意を前面に押し出してくれるような、初々しいビジョンだった。
 これが数秒後に訪れるとしたらと身構えて、なのに、目の前の彼は「ほら」とお弁当箱を開けてくれるだけだ。しばらく待ってみたけれど、それ以上の言葉は発さない。次第に逢木くんの顔色に困惑が滲みはじめる。困惑したいのはこっちだよ。相席を誘ったのもこちらからだし、告白してくる気配だってない。
 ふんだ、と思いながら、私はお弁当箱の中身をじっと見る。
「へえ、すごいじゃん、逢木くん」
 意外としっかりしたお弁当の中身に、私は素直に感心した。毎朝自分のお弁当を作ることもできない私からしてみれば、実に高度な次元。男の子が弁当を作るだけでも意外なのに。きっとしっかり者なんだろうなっていうのが伺える出来栄えだ。私と同様、お弁当箱を覗きこんでいた逢木くんが「毎朝適当に詰めてるだけなんだけどね」と顔を上げる。
「別守さんは弁当じゃないんだ?」
「うん。だいたい購買」
「お金かかるし、大変くない?」
「逢木くんみたいに上手には作れんからね。あと、ごはんにいちごカフェは合わない」
 いちごカフェとは、私の大好きな飲み物のことである。一口飲めば、舌にとろやかな甘さが広がる、飲めるピンクオパール。こう言うと、だいたい「なに言ってんの懐ちゃん」とツッコまれるのだが、私はそのいちごカフェが大好きで、気づいたら四六時中飲んでしまっているのだ。お昼ごはんのときだっていちごカフェをお供にしているのだから、万全な状態で飲みたい。
 ふっと、あるかなきかの笑みを浮かべ、「親子丼にもいちごカフェは合わないだろ」と逢木くんは言った。
「それがね、合う。味の濃いものにはなんでも合うよ」
「ソース物は合うかもね」逢木くんは続ける。「焼きそばパンとか」
「あとラムネ」
 追言ついごんした私の言葉に、依本も「ラムネ?」と首を傾げた。
 私はにやりと笑った。
「依本も、いっぺん試してみたらわかる。天国の味がする」
「天国の味があるってことは、地獄の味もあるのかな」
 これ、これ、いまは天国のほうの話をしようよ。神妙な表情のわりに上の空気味の発言をする依本の体を、私は揺する。だけど、「じゃあ、地上の味ってどんなの?」と呟きだしたあたりで、依本から手を引くことにした。依本は期待外れだったが、私の話に感化されたのか、逢木くんは興味深そうに「なるほど」と頷いている。
「そういえば、別守さんって、ずっといちごカフェ飲んでる。よっぽど好きなんだね」
 あら。私がいちごカフェ飲んでるのを知ってるなんて。よっぽど好きなんだね、私のことが。
 そんなふうに調子に乗った私は、普段ならまずしないであろう、大胆な行動に出てみた。
「……逢木くんも、いちごカフェの無限の可能性を体感してみようよ。ほれ、まずは一口」
 まるで間接キスを促すかのように、逢木くんのほうへパックを向ける。
 そもそも、今日は彼を知る以前に、手の平の上でコロコロ転がしてやるため、彼に話かけたのだ。話しかけて、本心が探れればしめたもの。それが無理でも、少しでも反応を引きだせれば作戦成功だ。そして、日頃の鬱憤も晴らしておきたい。
「ははは」逢木くんはまたしっとりと微笑んで言った。「嬉しいけど、そんなに好きなら君が味わいなよ。僕は僕で試してみるから」
 はあん? 私の厚意ゆうわくを、貴様。
 けれどすぐに「ありがとうね、別守さん」と言って、私のトレーにおやつのこんにゃくゼリーを置いてくれる逢木くん。許す。でも依本にも「おすそわけ」ってあげるのはやめて。私だけの特別にして。
 そこへ、ようやっと、生野とやらと帰山とやらが、テーブルに戻ってきた。相席している私たちを見て、最初は顔を訝しくしていたけれど―――友人である逢木と近い気性をしているようで―――彼らもすぐに私たちに順応した。しかし、メンバーが揃ってしまったことで調和が生まれ、逆にというか当然の摂理で、男グループである彼らと女グループである私たちに壁ができてしまった。これまでの、全てが期待外れで、淡彩で描かれたようなさっぱりとした雰囲気に、拍車がかかった。あっちはあっちで話が弾んでいるし、こっちもこっちで、「あそこのひとが持ってるコーラボトルめちゃくちゃ大きいね」「飛ばないミサイルみたい」とか他愛もない会話をしている。まずった。これじゃあ探りを入れられないじゃないか。逢木くんはこっちを見もしないし、なんか本当に相席しただけで終わってしまう。
 苦肉の策で、テーブルの下の彼の足を、爪先で二、三度蹴ってやった。
「え、どうした?」
 逢木くんが私へと視線を遣る。
 さあて……ここから私はどうしてくれるんだろうなあ。
 とりあえず彼の意識をこちらへ向けることだけを考えて行動していた私は、このあとなんて言えばいいのだろうというピンチに直面し、そんな、他人事のような感想を抱いた。扇風機の羽根のように脳をフル回転させ、私は「ごめん、もっかい、テーブル拭いてもらっていい?」と捻りだした。天才か。
 逢木くんは「ああ、いいよ」と言って、もう一度拭いてくれた。優しい口調で「お盆上げて」と言ってくれたので、私も快くトレーを持ち上げてやる。ていうか逢木くん、トレーのことお盆って言う派なんだ。
 そのとき、右腕につけていた私の腕時計が、光を反射してフラッシュしたのだろう。生野だか帰山だかが「あ、それ」と注目してきた。
「ずっと思ってたけど、ごついよな。すげえかっこいい」
「でしょ?」私は腕時計を見せつけるような、妙ちきりんなポーズをとった。「ビクトリノックス!」
 さっきまでノリよく反応してくれていたのに、生野だか帰山だかは、ぽかんと口を開けていた。ありゃ?
「ビクトリノックスっていうスイスのブランドだよ」そこへ、逢木くんがフォローを入れてくれる。「元々はマルチツールっていうか、ナイフとかのメーカーだから、あんまり知られてないけど……別守さんのは男物だから、ちょっとゴツく見えるのは当たり前。僕たち男側のほうが惹かれる代物かも」
 生野だか帰山だかは「へえ」と感嘆する。
 私も感嘆する。なんだ、逢木くんも詳しいんだ、ちょっと親近感……いや、待て、その手には乗らないぞ! 私がつけているから調べたという可能性が、なきにしもあらず! だとしたら、本当にこいつ、私のことが好きだな!
「懐ちゃんのお気に入りなんだよね、それ」依本も追言ついごんする。「お揃いで女物の買おって言ってるのに、ずっとつけてるの。懐ちゃん手首細いから、ちょっとぶかぶかしてかわいくないじゃんか」
 依本には悪いけど、私は本当にこの時計を気に入っている。壊れでもしないかぎり―――とはいえ、この時計が壊れるなんてよっぽどのことだ―――新しいものを買うつもりなどないし、いくらかわいくなくとも、私がこの腕時計を外すことはない。




| 2 |
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -