カウントダウン開始 2/5


「サヨ! やりましたよ!」
 びいびいと泣くキハが両手を挙げて私に駆け寄ってくる。ハイタッチかと思って私も手を上げたのだが――どうやら彼女が求めていたのはハグだったらしい――私の手がキハの顔に当たり、彼女を拒むような体勢になってしまった。そのせいでさらに泣きじゃくってしまった彼女の鼻水が手につく。汚い。
 感慨深くなって、私は呟く。
「やっとここまで来たね」
 キハの肩に腕を回す。バレないように彼女の制服で鼻水を拭った。
「ぐす……はいぃ」
 私たちがこの退桃士官学校(ピンキング・アカデミー)に通いはじめてから三年。
 次からはやっと、ピンキー討伐の実戦訓練を行えるのだ。


◆ ◇ ◆



 生態の多くは未だ解明されていない。どこから来るのかも不明。姿かたちは三者三様、十人十色。いろんな動物のパーツをごった煮にしたような形をしているときもあれば、ぬいぐるみや人形のように愛らしい形をしていることもある。出没頻度が多いのは照明光輪(イルミナ)のブレーカーを落とした真っ暗い夜。不気味極まる真っピンクのいでたちで、人間の抱く悲しみや不幸に呼び寄せられ、人間を襲いにやってくる。そんな化け物がピンキーだった。
 そして、そんな化け物と戦うのが退桃士(ピンクピンカー)だ。
 襲いかかるピンクの化け物からみんなを守る愛と正義の戦士。まだ見習いだけど、あと二年で士官学校(アカデミー)を卒業する私も、愛と正義の戦士だ。うん、かっこいい。
 入学したての一年生、齢で言う十三のころから、私は退桃士になるために努力を重ねてきた。誰もが羨む好成績をマークし、学年ではトップクラス。授業中グースカ寝ていたやつらとは出来が違う。正直に言うと今回の試験だってなんの心配もしていなかった。
 試験会場から見学用のモニタールームに戻ると、ずっと見ていたであろう同じ訓練生たちが駆け寄ってきた。花火のような声で「すごいぞ」やら「流石だ」やら話しかけてくる合間に、ほぼ暴力と言ってもいい拳が飛んできた。仲間からの賞賛はくすぐったいし鼻も高い。だがこれほど痛いものだっただろうか。本当に祝う気はあるのだろうか。
 キハと一緒にいろんな人間から褒められた。それはとても嬉しいことだ。嬉しいことだけど、満足はしていない。
 実のところ、私はついさっき自分が慢心していたことを知ったのだ。私とキハはトップで試験を合格したものだと思っていた。だがしかし。まるでそれを嘲笑うかのように、私たちのあとに受けたチームが、89点というそんなに欲張ってどうする気だと驚愕するほどの点数をもぎ取って見せたのだ。
 悔しさが胸に蔓延らないわけがない。華々しい一位から転落。私は二番。一番じゃなくて二番。思い返せばこの三年間ずっと二番だった。座学でも実技でも。トップクラスとは言ったがトップではないのだ。
 だがここでくじけるような心臓(ハート)を私は持ち合わせていない。
 なあに、じきに一位をもぎ取ってやるさ。愛と正義の戦士の名のもとに。
「まずは合格おめでとう、諸君」
 落ち着いた声が室内に広まり、緊張のほぐれた体に染みこむ。隣に座るキハはあまりの安堵に寝そうになっていた。どうでもよくないから言うが、口元から垂れた涎がハンマーに雪崩れている。あとで拭かないと錆になりそうだ。
 私は教壇に立つバル教官をじっと見た。
 試験を合格したチームは別室に連れられ、教官からの有難いお言葉を頂いていた。その教官こそが、試験の採点官でもあり、私が大変お世話になったバル教官だった。
 黒髪を似合わないオールバックにする一見して昼行灯そうなこの男教官に、私は何度しごかれ何度鍛えてもらっただろう。負けず嫌いな私は意地でもしがみついていったが、その懸命な私の姿を見て気持ち悪いと顔を青ざめさせた仲間も少なくない。いろいろとひどい。しかし、今の私があるのはこの教官のおかげなのだ。感慨深さに目頭が熱くなる。感謝と合格の意をこめて軽いウインクを飛ばしたが、美しく無視された。無論ダメ元だ。
「退桃士官学校に入学して三年、よくここまで成長してくれた」私のウインクを無視したとは思えないどこか優しげな面持ちでバル教官は言った。「君たちがここまでこれたのも君たち自身の努力の賜物だ。自信を持ちなさい」
 合格したチームの生徒たちが誇らしさからスッと姿勢を正す。
 生徒は士官学校に入学してからの三年を、基礎身体能力の向上・適正武器の分析・武器の扱いに費やす。自分に見合う武器を見つけて、そのスペックを存分に使いこなすことが第一義務なのだ。たとえ座学で点を稼ごうと、それができない生徒は実戦に出してももらえない。永久に箱庭の生徒だ。
 でも、この場にいる人間は違う。
「次の授業からはインターンシップ、実際に現役の退桃士に付き添い、実戦を体験してもらう。これから二年間、本場の技術を大いに学び、優秀な退桃士となることを期待している。以上だ」
 解散を促された私たちはガタガタと席を立つ。部屋に入ってくるときも思ったけど、今年はそれほど合格者がいない。何人かは不合格だったようで、部屋には空席がいくつかあった。
 私は涎の海を作ったキハを揺すり起こす。
「起きて。行くよ」
「どこにですかぁ……」
「一階の掲示板。実戦の授業のはじめは、付き添いで昼間のパトロールをするんだって。誰につくかの発表はそれぞれ掲示板に書かれてあるみたいだから、行って見てこようよ」
「そんなの掲示板に来てもらえばいいのに」
「実際に来られたら怖がるくせに」私はコツンと頭を小突いた。「ほら。疲れたなら今日は早めに寝ればいいから」
 キハは渋々立ち上がり、濡れたウォーハンマーを遠心力でぐるんと払いながら、私の後についてきた。涎が何人かの生徒に飛沫としてかかったが、私は知らんぷりをした。
 トライアングル状の階段を降りていくと、一階の踊り場でバル教官と遭遇した。ついさっきは私のウインクを華麗に無視してくれたというのに、私たちの降りてくる姿を横目にした途端壁に凭れていた背を離してこちらへと向くのだから、やはり彼も私を労いたかったに違いない。ようやく私を素直に褒める決心がついたということだろう。私は歩調を変えないまま最後の一段を踏んだ。
「サヨ。お前ならもう少し点を伸ばせると思っていたんだがな」
 そのままずるりとこけそうになった。もちろん持ち前の反射神経で手をついて前転して見せたが、そんな自分に惚れ惚れしている暇などない。私はバル教官の期待を裏切ってしまったのだ。
 私は跪いた状態で教官の足元に囁く。
「次はもっといい成績を修めます」
「ないな。実戦訓練前能力測定試験は不合格にならないかぎりたった一度だけだ。そしてお前は試験に合格してしまった。お前が実戦訓練前能力測定試験を84点で見事合格した事実は今後二度と曲げられない。残念だ」
「くっ……私が優秀だったばっかりに!」
 固い拳を作って地面を殴りつける。まともに顔も上げられない。
 そんな私を察してか、バル教官は制服の襟を掴んで私を無理矢理立たせた。軽く放るように離して、後ろにいたキハと並ばせる。
「キハ、君も、もう少し動けたはずだ。後半の動きはよかったが、前半はサヨに任せっきりだっただろう」
「……はい」
 目を逸らし気味のキハに軽く吐息するバル教官。それからまるで喝でも入れるような、それでいて静謐な声で、私たちに言う。
「士官学校在籍証(アカウント)名・サヨ、キハ」姿勢を正している間にバル教官は続けた「二人の最初のパトロールでは俺の付き添いをしてもらうことになった」
 その言葉に私は眉を顰める。
 昼間のパトロールは、現役退桃士の付き添いとして、行われるはずだ。バル教官は士官学校でも有能で有名な教官だが、現役退桃士ではない。元はそうだったのを、退桃士育成に力を入れるため、第一線から退いたというのが士官学校内でも専らの噂だ。
 私が浮かべる表情で察したのか、バル教官は一つ言開く。
「現役の退桃士との都合もあってな。インターンシップとして参加できる退桃士が合格チームの数に達しなかったから俺で穴を埋めることになった」
「数合わせってことですか?」
 私がそう呟けば、横にいるキハが肘で脇腹を穿ってきた。けっこう本気だった。ちろりと私はキハを睨む。キハはバル教官に「許してください。サヨはちょっと無神経で失礼なだけなんです」と頭を下げている。ひどい。そんなキハに対して「だろうとも。慣れてるさ」と返すバル教官もひどい。私は釈然としなくて顔を顰めたままだった。



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