一つの合理的可能性 2/5


 私が立ち上がるよりもラギが立ち上がるほうが先だった。邪魔そうに私の前を通って離れていく。私もバル教官に一礼したあとそこから立ち上がった。
「上手くやれそうか?」
「自信はないです」
「キハのことは残念だった」バル教官は気遣わしげに続ける。「だが、悲しみに浸るのはよくないからな。新しいパートナーも見つかったことだ。今回のことをバネに、より一層精進しろ。お前ならできる」
「……はい」
 私は微笑んで返した。失礼します、と言って教官室を出る。
 教官室のドアを背に振り向くと窓側の壁にラギが背を預けていた。彼なら先にどこかへ消えていることも考えられたが流石にそんなことはしなかったらしい。
「ご飯食べてから訓練場に行こうか。野外のほうでもいい?」
「本当にやるの?」
「やるよ。だから君もどっか行かずに待っててくれたんでしょ?」
 ラギは黙りこんだ。それをいいことに私はまくしたてるように続ける。
「着替えるから先に食堂に行ってて。一緒に食べよう。席も取っててくれるとありがたいかな。一度部屋に戻って武器を取ってからね、食べ終えたらすぐに訓練場に行くつもりだから。私は一度戻って着替えてから食堂に行く」
「注文が多すぎない? 僕は君に遣える騎士かなにかですか?」
「大切な武器を持ってくるのと食堂で席を取るの、どっちもラギにとって必要なことだと思ってたんだけど。もし君が素手で戦うタイプなら謝るよ。ごめんね」
 ほんのりと笑んでそう言ってきたラギに、私は切り返した。
 ラギは無表情になる。
「わかったから。あんまり待たせないでよね」
「うん」
 早歩きにラギはその場を去った。
 私も、待たせないようにしなければ。
 部屋に戻ると、頼んだ魔法の注射のストックがもう届いていた。ケースに詰められたそれらを一本一本棚に直していく。けれどラギのことを思い出してその作業を中断させ、私は自分の制服を探した。あちこちに散らばっていたパズルピースのような制服を全て見つけだし、順番に腕に通していく。完璧に着終えたところで、私はもう一度届いたストックのほうに目を遣る。念のため、一本だけ取りだして自分の腕に打った。すぐにハルバードを持って部屋を出る。
 食堂につくと、いつもより空いていた。あんまりひとの行き交いがない。ガランとしているわけではないが、ガラス張りになった一面から注ぐ光がこんなに眩しいと感じたことはそうないだろう。訓練生がいないだけでこれほど明るく見えるとは。
「なにぼうっとしてんの」
「あ、ごめん」
 ラギは探すまでもなく手前のほうに席を取っていた。私の好みとは少し違うけど、食事も持ってきてくれている。手間が省けた。その彼の隣の椅子には大きな武器が鎮座している。きっと彼のものだろう。涼しい顔をした彼には意外な、大きなメイス。柄頭が装飾的ながらに超重量的で、多面に渡る突起やフランジがあの重みを伴って振り下ろされるのだと考えると、相当な攻撃力になるはずだ。超かっこいい。
「なにぼうっとしてんのって言ってんの。君って耳と脳みそちゃんと繋がってる?」
「耳と脳みそは元から繋がってないと思う」
 私が座ろうとした椅子を蹴られた。嫌がらせのつもりかもしれないけど、結果的にテーブルから離れたせいで座りやすくなった。私は気にせずに彼の目の前に腰を下ろす。
「素手で戦うタイプじゃなかったんだね」
 私は食事に手をつけながら言った。ラギは「そんな野蛮なことするわけないでしょ」と返す。メイスで殴りつけるのと素手で殴るの、野蛮度はそんなに変わらないと思うんだけど。
 それ以降特に会話をしなかった私たちはいつもよりずっと早く食事を終えて、訓練場に向かった。こんな素っ気ない調子で大丈夫なのかと思ったけど、よくよく考えると私自身がみんなに淡泊と言われがちなのだ。もしかしたら前からこんな感じだったのかもしれない。私が気づかなかっただけで。こんな私といて楽しかったのだろうか、彼女は。
「ずっと思ってたんだけど、なんで?」ラギは私の頭を見ながら眉を顰める。「髪がぼさぼさなんだけど」
「あ、うん。いつもやってもらってたから」
「あっそ」
 ラギも私と同じくらい淡泊だ。しかも出会ったばっかり。この訓練でお互いのことがもっと知れたら一番いいんだけどな。
 野外の訓練所につくとまず行わなければならないのが偽ピンキーの仕掛けの確認だ。士官学校(アカデミー)が所有する敷地内にあるトンガリ木の林の中、いたるところに設置された仕掛けをピンキーに見立てて討伐する。その仕掛けはランダムに入れ替えをされているのでどこから出てくるかは毎回わからなくなっている。そこを移動しながら十体討伐するので一セット。今回は連続して三セット行う。かかる時間は短ければ短いほどいい。そのためには戦闘能力と同等、もしくはそれ以上に、観察眼が必要になってくる。ピンキーを即座に見つける観察眼も退桃士には必要なものだ。
 私はハルバードに内蔵された銃器の点検をしながら、スタート地点であるあと一歩で林の中というラインに立った。ラギも私の隣でメイスを構えている。距離感を見て少し離れた。私のハルバードも彼のメイスも基本的には振り回すものだ。近づきすぎて接触するような凡ミスは避けなければならない。最悪どっちかの武器が破損することもありえる。
 開始の十秒前の急かすようなブザーが鳴る。この徐々に上がっていくトーンが長く伸ばすように鳴り響いたときがスタートだ。
 私はラギのほうを見ずに問いかける。
「目標タイムは?」
「五分以内」
「そんなタイム今ままで出したことないよ」
「へえ? 天下のサヨ様も案外大したことないんだね」
「一人のときはあるけど」
「なにそれ。雰囲気悪すぎ」
 ビ――――――……
 訓練開始。
 私とラギは勢いよく駆けだした。男女の力量差や筋力差を懸念していたけど、私が彼に置いていかれるようなことはなかった。流石私、と思ったけど、案外彼がスピードを合わせてくれているのかもしれない。だとしたらとんだ恥だ。足手まといなんて思われたくない。私はいつもよりも少し速めの速度を意識する。
 そのときに前方にピンク色の大きな人形を発見。ハルバードの穂先を背面に向け発砲、その反動で一気に加速する。そしてハルバードを思いっきり振り下ろした。
 ラギのほうも降りかかってくるピンキーの仕掛けを発見。メイスを振り回すことで大きくいなした。中のゼンマイがまだ狂っていないのか、地面でバタバタと手足を動かすそれに、もう一度メイスを振り下ろす。獲物は少しも動かなくなった。
「ラギも雰囲気悪いよ」
「うるさい」
「っていうかガラ悪いよ」
「うるさいって言ったの聞こえなかったの?」
 私はラギの反応を無視して先に進むことを促す。ラギは眼鏡のブリッジに触れて位置を整えると、少し不機嫌そうながらもついてきた。
 しばらく無音、無気配が続いたが、それはほんの数分のことだった。林の奥から、七体ものピンキーが一斉に現れたのだ。
 私は数メートルほどラギから離れてハルバードを構えなおす。撃鉄音を鳴らしながら、加速するハルバードを振り回していった。銃を発砲して目の前の獲物を倒し、その発砲の反動で反対側の獲物の懐に飛びこみ、ハルバードの斧部を突き上げる。
 ラギも私と反対側から獲物を攻めていった。あちらからも太い発砲音が聞こえる。ちらりと視線を遣って見ると、その音は間違いなくラギのメイスからしていた。メイス柄頭の側面の装飾に二つ、てっぺんに一つ、おそらく銃口がある。そこから発砲することで私と同じように攻撃の威力や機動力を上げている。彼はメイス柄頭を下に降ろすように構え、即座に跳躍、それと同時に発砲音が響く。人間ではありえないほどまで高く飛んだ彼は、真上からメイスを振り下ろして獲物の頭をかち割った。
 勢いを殺すようにぐるんと一回転。反対側から攻めていた私と鉢合わせ、背を合わせあう。
「ラスト」
 ワイヤーとエアーを利用してあちこちを移動していた獲物を私が狙撃。
 一セット目終了のブザーが、木々に設置されたスピーカーから鳴る。発表されたタイムは四分二十九秒。
「私たちってけっこういいコンビかもよ」
 眼鏡の位置を直しているラギにそう言った。彼はメイスを肩に担ぐように持つ。そのままてくてくと歩いていったので、おそらく私の無視をしたのだろう。しかたないので私も彼の後についていった。
 二セット目開始のブザーが鳴る。
 今度は、ラギの動きに注視しようと思い、なるべく後を追うような形で戦った。
 予想どおり彼のメイスの柄頭には三つの銃口があった。位置まで予想どおりだったので私は内心でほくそ笑んだ。
 ラギは前方にピンキーを発見するとメイス柄頭を自分の背面へと向けて発砲。加速した勢いのまま、メイスを振り下ろす。一撃必殺。獲物は音を立てて壊れた。
 発砲のときの反動を推進力にするのはバル教官のやりかただ。ということはラギもバル教官の教え子なのだろう。そういえば彼を紹介したのもバル教官だったな。余り者をくっつけただけとはいえ、同じ戦いかたをする人間と一緒なのはやりやすい。移動や威力向上のためにあちこちに銃をぶっ放すこの戦いかたは、下手をすると仲間に弾丸が飛ぶ可能性を孕んでいた。だからこそ、バル教官の教え子はみんな同じバル教官の教え子と組むことが多い。そのほうが勝手がわかっているし、お互い避けることを知り、やりやすかったからだ。
「えっ?」
 相当な数のピンキーを倒したころ、林の木々に紛れていた獲物たちが四方八方から姿を現す。しかしそこでタイミングよく十匹目を討伐したのか、二セット目終了のブザーが鳴った。タイムは五分十二秒。さっきより少し遅くなってしまった。私が積極的に参加しなかったのが主な原因だろう。



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