一つの合理的可能性 1/5


 今日、午前も午後も講義はない。一日中フリーダムだ。こんな日は決まって昼間までグースカ寝る――ことはしたいけど無理矢理起こされてできなかった。今までは。けれど私が目を覚ましたのは午前十一時前で、つまりはそういうことだ。
 思いのほか長時間眠りこけていた私は、制服ではなく休日用の普段着に着替えて部屋を出た。予定を二つほど思い出したのだ。向かう先は日用物資補給室。寮生活を余儀なくされる生徒がよく使う、できるかぎりなんでも無料で手配してくれるところだ。
「すみませーん。今って開いてますか?」
「はいはい。開いてるよ」
 人懐っこい笑顔を浮かべるかわいい感じのおばちゃんが、カスタード色のカウンターから姿を見せる。その奥にはあらゆる棚、あらゆる段ボール、あらゆるボックスが犇めいていて、その中に押しこまれた歯ブラシやらお菓子やらが見え隠れしていた。
「すごい寝癖だね」
「はあ。鏡見てなかったもんで」
「それで、なにか欲しいものでも? 週末まで待てば、外に出てショッピングモールにでも行けるんじゃないかい?」
「そんな選り好みするようなものじゃないからいいです」
 そうかいそうかい、とおばちゃんは頷いた。茶けたパーマをあてた髪が揺れる。もさもさだ。私の髪を指摘したけど、こっちはこっちで十分すごいと思った。
「魔法の注射(くすり)のストックの追加の申請がしたいんですけど」
「何箱分?」
「じゃあ、五箱分くらいで」
「了解。この書類にサインしてね」おばちゃんは私に一枚の紙を差し出した。「結構な手荷物になると思うけど、自分で持って帰る?」
「いや、このあと教官室に寄らなきゃいけないので、部屋に送っといてもらえますか?」
 おばちゃんは愛想よく「はいよ」と言って承諾してくれた。私は軽く手を振ってその場を後にする。次の目的地は前述どおり、教官室だ。
 パートナーであるキハが死んだ。
 だから、代わりのパートナーが必要になる。
 我らが幸福の桃想郷(ユートピア)を守る退桃士(ピンクピンカー)になるための養成所・退桃士官学校(ピンキング・アカデミー)では、二人一組が原則だ。パートナーと寝食を共にし、授業を受け、訓練を行い、パトロールに向かう。その重要なパートナーがいないとなると、授業及び教育方針の都合上、どうしても支障が出てきてしまう。そこで、キハの代わりに、私に新しいパートナーを据えることとなったらしい。誰が相手なのか、どんな人間なのか、まだなにも聞いていないが。
「失礼します」
 私は教官室のドアを開けた。手前のソファーには二人の人間が座っている。一人はおそらく次のパートナーだろうが、こちらに背を向けて座っているため顔が見えない。もう一人は馴染み深いバル教官で、ほんの少し苦い顔で私のほうを見ていた。
「ノックをしろ」
「はい」
「入っていいというまで入ってくるな」
「最初からやり直せと言うことですか?」
「もういい。座れ。新しいパートナーを紹介する」
 バル教官の言葉の後、背を向けて座っていた子が体ごとこちらを向く。
男の子だ。彼はさっとソファーから立ち上がって私を見下ろす。座っているときはわからなかったが背が高い。けれどもやしのようにひょろりとしているわけでもなく、よく育っている。色素の薄い短髪と眼鏡が特徴的。一見すると穏やかそうな少年だ。彼は爽やかにニコッと笑い、上からの体勢で私に言う。
「君があのサヨだよね? よく知ってるよ。学年トップクラスの優等生。みんなうるさいくらい囃したててる。パトロールで二度もアタリ≠引いたんだっけ、運悪すぎでしょ」
「うん。私はサヨ。君は誰?」
 思ったままを口にすると、彼の眉はぴくりと動いた。
 愛想のいい顔をしてもらってなんだが、この見下ろされるような体勢は気に食わない。私は彼を見上げなくちゃいけないし、さっきから首が痛い。それでもそのことになにも言わなかったのは、彼がこれから組むであろう新しいパートナーだったからだ。私は歩み寄りのため名前を聞くつもりそう言ったのに、どういうわけか彼はそうは受け取らなかったらしい。笑顔から一変して不機嫌そうな顔をするのを私は黙って見ていた。
「ラギ。出会ってそうそう不和を起こすな」
 バル教官が彼の背中に向かって言った。
 なるほど、彼はラギという名前らしい。バル教官を一瞥して私から離れたのがその証拠だ。ラギはもう一度ソファーに座りこんだ。視線は私のほうを向かない。
「悪いなサヨ。こいつも悪気がないわけじゃないんだ」
 それって、悪気があるという意味か。
 私は開いていたスペース――ラギの隣である――に座りこむ。覗きこむように彼をじっと見つめるが、彼は頑なにこっちを見ようとしない。
「よろしくね、ラギ」
「どうもー」
 ラギは気だるげに片手を振って言った。けれどあくまで視線はこちらを向かない。なんとなく腹の立つやつだった。もしかするとこの小憎らしい性格に愛想を尽かされて全パートナーから解散を迫られたのかもしれない。だとしたら可哀想に。天性のものは流石にしょうがないから私が譲ってやるのも吝かではない。
「前回のパトロール、あのときは不運にも二ヵ所でピンキーが出没したため、サヨたちのほうの応援が遅れた。その結果……なんだ、その、キハが亡くなったわけだが、実を言うと、もう一か所のピンキーの出没地でも被害が出てな……お前は自分の報告書にしか目を通していないだろうが、九人もの死者が出た」私が固まっているのもおかまいなしにバル教官は続ける。「そのうちの一人にラギのパートナーも含まれていた。非常に残念だよ。お前たちはパートナーのいなくなった一人者同士だ。ちょうどよかったのでお互いを組ませようと方針は決定された」
 私たちは互いにちらりと目を合わせる。ラギは数秒後、不機嫌そうな顔から笑顔へと変わった。
「バル教官がそうまでしておっしゃるのなら僕はそれでかまいませんよ」
「いきなりのことで不服かもしれないが、お前にも新しいパートナーは必要なはずだ」
「嫌だなあ。誰も不服だなんて言ってないじゃないですかー。あの同期の中でも優秀と名高いサヨと組めるなんて僕にとってもいい経験ですよ」
 にこにこと笑っているけど、バル教官の言動から見るに、本心ではあまり芳しくないと思っているのかもしれない。だとしたらヒネた態度を取る人間だと思った。目上の者を相手に皮肉なことを言うなんて剛胆なんだか気が小さいんだか。
「サヨ、お前はどうだ?」
 どうと聞かれても、正直この先上手くやっていけるか不安だ。パートナーとは常に行動を共にする相手である。ラギがどういうスタンスかは完全に掴めていないが、今の状況が続くようなら訓練自体に影響を及ぼしかねない。それでも、彼と組むことが決まっているのなら私はそうするまでだ。
「なんの問題もありません。私は必ずや全うして見せます」
 私としては誠意のある対応をしたと思った。けれどラギの機嫌がよくなることはなかった。それどころか嘲笑のような溜息をひとつこぼされる。
「なにそれ。君は命令されたからってなんでも受け入れるような人間なの? 嫌だなあ。あのサヨがどんな人間なのかって楽しみにしてたのに、こんなつまんない女の子だったなんてね」
「おい、ラギ」
 私は半分うんざりしていた。もう彼を前にどんな対応をするのが正解なのかわからなくなっていた。バル教官に対する慇懃無礼な態度も笑いながらにこぼす裏腹な言葉も、正直に言うと私には新鮮すぎる。いままで私の隣にいた子は、そんな子じゃなかった。
「君は最初に言ったよね、私のこと、よく知ってるって」
 私は合わせてくれない相手に目を遣った。隣に置くには見慣れない男の子。
「なら私がどういう態度を取るかわかってたはずでしょ。ちなみに私は、君のことをよく知らないから戸惑ってる。今のところ私の中の君は、よく笑う子。一番最初に笑いかけてくれたのはすごく嬉しかったよ。新しいパートナーができるとだけで、なにも聞かされてなかったからね、どんな相手かわからなかった」まさかこんな小癪なやつだったとは。「だから君を受け入れた。君が先に賛成してくれたように、私と君は今日かられっきとしたパートナーだ。時間はかかるかもしれないけど、頼りあえる仲間になれるといいな」
 ストレートにそう言うと、ラギは沈黙した。視界の端ではバル教官が事のなりゆきを見守っている。バル教官がにやりと口角を上げた。ラギは息をつまらせる。それからやっと私のほうを見て、淡泊な口調で言った。
「まあいいけど」
 バル教官はおかしそうに声を上げて笑った。ソファーに寄りかかりながら「どうだ、まんまとしてやられたな」とからかい口調でラギにかまっている。なにをしてやられたのか、ラギにどんな心境の変化があったのかはわからないが、まあいい方向に向かっているようなのでよしとする。バル教官は「としたらな、」と言って切り替えるように口を開いた。
「いくつか言っておかなきゃいけないことがある。まずは部屋についてだな」
「は? まさかこの子と共同部屋になるんじゃないですよね?」
 ラギは引き気味に言った。それにバル教官は「いや、まさか」と首を振る。
「流石にこの年齢の男女を一つの部屋に入れるわけにはいかないからな」
「なるほど」
「心外ですね。僕がこんなのに手を出すとお思いで?」
「私が手を出すかもしれないよ」
 教官側の考える一つの合理的可能性を呟いただけなのに、彼はとんでもない顔で私を睨んできた。解せない。
「そういうことだ。だからお前たちには今までどおりに自室を使ってもらう。一人で二人分の部屋を使えると思って贅沢がっとけ。授業、主に実技訓練についてだが、次の授業から二人でやってもらう。念のため事前に調整しておけ。お互いの力量を知っておくいい機会だ」
「なら、この後やります」
「授業ないのに? 冗談でしょ?」
「大丈夫。ちゃんと着替えてくるから。君はちょっと待っててよ」
 舌打ちのあとに「そういう問題じゃないんだけど」と聞こえた。私はそれを無視してバル教官に続きを促す。
「士官学校在籍証(アカウント)データに記載されているパートナー情報も今日中には書き換えられるはずだ。明日には正式にパートナーと認定され、パトロールなども二人で行ってもらう。今はそれくらいだな。あとは見つかり次第追々、というところか」
「わかりました」



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