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「───、」
 ついさっきまで無人だった煙草販売の小窓に現れた老婆はこちらをまっすぐに見て、何かを喋っていた。
 老婆は今にも朽ちてしまいそうな木のように細く、しなびているように見えた。
 小窓を開けるために取手がわりの小さな窪みに指先をかけようとしている手には、少なくとも私の年齢の三倍以上の年月を重ねていることを物語るようにシワが刻まれ、たるんだ皮膚には静脈がくっきりと浮かんでいた。けれども、不快な音を立てながら開けた小窓から首を伸ばしてこちらに向けている顔に手の甲から見て取れる老いはない。かわりに大きな違和感がその顔には張り付いていた。彼女は顔面の美容整形を施したのだろう。たるんで重力に従って垂れ下がろうとする皮膚を引き上げて、これまでに刻んできたシワをなかったことにしていた。整形手術をかさねたせいなのか、単に腕のない医師に手術をさせたせいなのかは知る由もないが、彼女の顔面は女系の能面のように微笑を浮かべたまま固定されてにせずひきつっているようだった。
 老婆が枯れ枝のような指で破裂寸前まで膨らませたゴム風船のようにパツパツに伸びて光っている頬の具合を確かめるようになぞってから、私に向かってメモ用紙が挟めるくらい深いシワを目尻に浮かべて微笑んだ。無数にあるシワの中の一つに危うく数えてしまうほど細められた目が怪しく光ったのを見つけて、私はこの老婆が叔父の言っていた件の「ババア」であることに気がついた。
 ババアは窓を開ける前からしきりに口をモゴモゴと動かし続けていた。
「───、───」
 ババアは自身の健康を左右する歯には手術で抹消したほうれい線のように手を加えずありのままにしているようで、歯はほとんど残っておらず話す言葉の全部が聞き取れない。それでも、大きく開けても歯肉しか見えない口からナナやアハと空気の漏れるような音を繰り返し聞いてるうちにそれが「お姉さん、何を買いに来たの」と尋ねていたことがわかった。
「この種類の煙草をカートンで二ついただけませんか」
 私はガラスケースの中にある碧棺が所望する銘柄を指差してババアに答えた。けれども、それを一言一言噛み締めるように頷きながら聞いていたはずのババアはその煙草を手に取ることはせず、節張った人差し指を立てるだけだった。
「ごめんね! もう耳が聞こえなくて。なんつったの?」
「ですから、これのカートン、」
「どれ? 聞こえないよ。もうね、歳だからーわかんないのよー」
 ババアは息を漏らしながら一方的にまくしたててきた。こちらもババアが「聞こえない」と言うたびにケースの中の煙草を指差してみるも、そもそもババアはこちらが所望するものがなにかを確かめる気がないらしい。ただ抜けたか溶けたかしてほとんど残っていない歯の間から息を漏らしながら「私は年寄りだ」と繰り返していた。
 私はこれが無理だったらあきらめようと、最後の手段として碧棺から渡されていた煙草の空き箱をババアに渡した。
「これと、同じもの、カートンで、ふたつ、いただけますか」
 特別声を張るようなことはせず、ただゆっくりとこちらの要望を馬場に伝えると、ババアはそれまで止まることのなかった言葉をピタリと止めた。
「お姉ちゃん、よくわかってるのね。常連どもに教えてやりたいくらいよ。年寄りと話すときは怒鳴らず、ゆっくりはっきりが正解よ」
 ババアはそう言うと嗄れた声と一緒に歯茎と唇がくっついたり離れたりする度にシパシパと聞いていてあまり気分が良くない音を立てた。不気味なその声がババアにとっての笑い声だと理解して、私が愛想笑いを返すまでにはしばらくの時間を要してしまった。