ナマエと初めて交わした言葉は、彼女が転校して来て間もない、初日の事だった。


『ミョウジさん、次の移動教室はあっちの第二校舎だよ』


それは、今考えてもそこに特別な理由なんて無かった。敢えて言うなら、転校初日で恐らく彼女の緊張度はピークに達しているだろうと判断し、そしてそんな彼女の気持ちをさりげなく和らげる為に発した言葉…ただそれぐらい小さな配慮から出た台詞だった。

『ありがとう、赤司君』

僕のその言葉に安心を得たのか、その時少しだけぎこちなく笑いつつも嬉しそうに返事を返した彼女の表情は今でもよく鮮明に覚えている。思い返してみれば、あの頃から僕は、既に彼女は他の人とは何か違う物を内に秘めていると気付いていたのかもしれない。

ーーーこれは、そんな僕とナマエが出会って、約半年の月日が流れた頃のエピソードである。




「遂に時代が変わってきたみたいっスよ」

「あぁ?」

プハ―!と、手にしていたスポーツドリンクを一気飲みした涼太が手で口の周りを拭いつつも開口一番そんな事を口にする。何の話だ?と、内心思いつつも自分の代わりに返事を返した大輝と涼太の二人の会話をただ隣でじっと無言のまま聞いていた。

「女子の人気ランキングっスよー!ほら、今まで断トツで桃っちが一位だったじゃないスか、男からの人気が」

「あ?そうなのか?知らねぇぞ、俺はそんなもん」

「あー…青峰っちはこういう話題の時に、毎回ひたすら教室の隅っこで寝てたもんね」

「うるせぇな。で?それが何だってんだよ…」

「あーそうそう!だから今男子達の中で人気が絶賛急上昇してる子がいるんスよ!誰だと思う!?」

「知らねぇ、興味ねぇ」

そう言って、手にしていたボールを人差し指でクルクルと廻し始めた大輝が覇気の無い顔で涼太へと相槌をうつ。それを横目にチラっと視界に入れつつも直ぐに視線を外し、ぼんやりとコートを見つめては床に置いていた自分のスポーツドリンクを手にし、勢いよくキャップを外した。

「またまたぁー!そんな事言って実はちょっと興味あるくせにぃー!」

「うるっせぇな、だから興味ねぇって言ってんだろうが」

「まぁまぁ、そんな青峰っちに免じて教えてあげるっスよ!ジャカジャカジャカジャーン!」

「うぜぇー…」

その言葉通り、心底面倒臭そうな表情で引いている大輝をそっちのけにして涼太は「発表しまーす!」と、やたら威勢の良い声を張り上げた。

「ナマエっちっスよ!ナマエっち!」

「あん?」

「今、男子達の中で人気急上昇中な子!いやー、そう来たかー!って感じっスよねぇ」

そう言って、何故かやたら嬉しそうにケラケラと笑う涼太の発言に、口に含もうと手にしていたドリンク本体と腕の動きをピタリと止めた。そのまま横目で隣に視線を向ける。どうやらその涼太からの突然の発表に大輝も驚いたのか、目を点にしてその場で硬直しているようだった。

「あいつが…?嘘だろ、ありえねぇ…」

「嘘じゃないっスよ!だって俺その情報ついさっきのHRで友達から聞いたんスから」

「はっ…嘘くせぇ。おい黄瀬、あいつはな。毎日毎日馬鹿みたいに赤司を追ってんだぞ。それはそれはストーカーの如く、とんでもない程のレベルで」

「あー…みたいっスねぇ。最近よくこの体育館にも現れるし」

「だろ?だからそんな奴が他の男共から人気があるなんざ誰が信じるかってんだよ。馬鹿も休み休み言え」

「えー?でもまじなんスけどねぇ…この話」

「涼太、」

「え?」

そこでようやく会話に参加した僕からの呼び止めに、不思議そうに此方に視線を寄越した涼太の元へと歩を進める。そのまま彼の目の前でピタリと足の動きを止めては、「無駄口を叩いてないでさっさと練習を再開しろ」と指示を下した。

「え?あー…はいはい、りょーかいっス。でも赤司っちもちょっと気になるっしょ?」

「なにがだ…」

「なにがって…そんなの決まってるじゃないっスか!ナマエっちの事っスよ!ほら、自分の事を好きな女が他の男達から人気があるって、ちょっとした優越感とか感じねーっスか?」

「全く感じないな。良いからさっさと練習に戻れ。無駄口を叩いたお前だけ今日のノルマはいつものセットの3倍だ」

「げぇっ…!?まじっスか!?」

「どわははは!黄瀬ぇ、お前ほんっと馬鹿だな!赤司を焼かせて練習増やされるなんざ、まさしく馬鹿の極み!」

「ちょっと待て、別に僕は焼いて等いない。大輝、お前も涼太同様3倍だ。さっさと行け」

「あぁ…!?なんっで俺まで…!」

ぎゃあぎゃあと喚く大輝を無視して、彼が手にしていたボールを奪い取り、コート上に勢いよく放り投げる。そんな僕の行動に瞬時に動きを見せた二人の姿を遠巻きに眺めつつも、その場で一人深く眉を寄せ腕を組んだ。

…………僕が焼いてるだと?馬鹿馬鹿しい。ある訳ないだろう、そんな事。

何度も自分に言い聞かせては、それとは真逆に苛立ちは募るばかりだった。どうやらここ最近の自分は、あの何度拒否を示してもめげずにしつこく自分をアピールしてくるナマエに感化されているようだ。あってはならない筈のその現実に戸惑いを感じつつも、再び腹の底からとめどなく怒りが込み上げてくる。だが敢えてそれには気付かないフリをして、取り敢えずの所は一旦今日の練習にのめり込む事にしようと、一人胸に誓った。




「征ちゃーん!お待たせー!」

その日の練習後、いつものようにタイミングを見計らって登場したナマエが体育館へと姿を現した。またか…と内心げんなりしつつも、「ようモテ女!最初で最後のモテ期到来だな!」と、訳の分からない事を大輝が彼女に声を掛けていた。……うるさい。

「へ?なんの事?」

「あー良い良い、こっちの話だ」

「何それ…変なのー。…あ!征ちゃんー!練習終わったー?一緒に帰ろうー!」

「……………」

大輝からの余計な声掛けを軽く無視し、そして瞬時に話題を切り替えたナマエが少し離れた場所に居る僕へと嬉しそうに両手を振ってくる。それに気付いていながらも、いつものように無視を決め込んではコート上に散らばっているボールを手にして倉庫内へと収めに行った。

「あれ…?もしかして征ちゃん、聞こえてないのかな?」

「な訳ねぇだろうが。ありゃいつものように無視だろ無視、あー可哀想。ほんっと残念な奴だなお前」

「もう!ちょっと青峰は黙ってて!ていうかさっきからうるさいから…!」

ケラケラと楽しそうに笑う大輝と、そんな彼女の頭を乱暴に撫でている大輝の腕を振り払ったナマエが不服そうに文句を訴えている。倉庫から引き返して来て直ぐに飛び込んで来たその光景に、またしても不思議と苛立ちは募った。

「ナマエ…帰るぞ」

「あ、征ちゃん…!うん、帰る!」

じゃーねー!ガングロ黒すけ!と、大輝にべー!と舌を出したナマエが全速力で僕の元へとやって来る。それに少なからず優越感を感じつつも、「お疲れ様」と一言大輝に向けて挨拶を交わしては体育館を後にした。





「ねぇ、征ちゃん…」

「……なんだい」

「なんか…今日ちょっと怒って、る…?」

「……………」

あれから直ぐに服を着替えて、いつものようにナマエと肩を並ばせては家路へと向かっていた。そんな中、ふと何気ない日常会話を遮ってまで発した彼女からの声掛けに、ピタリとその場に足を止める。そのまま隣に並んでいるナマエへと視線を落とすと、そこにあったのは不安そうな表情で僕の顔を下から覗き込んでいる彼女の姿がそこにあった。

「…………いや、特に怒って等いないが」

「ほ、ほんと…?でも征ちゃん、今日ずっと眉間に皺が寄ってるよ…?」

「………………」

「もしかして私、何か征ちゃんの気に入らない事でもしたかなぁー…って、思ってさ」

「………………」

まるで親に叱られた幼い子供のような表情をして、ナマエはその場に小さく肩を落とした。そんな彼女の姿をぼんやりと見つめつつも、無意識に自分の腕は動く。

「………征、ちゃん…?」

「………………」

辿り着いたその先は、彼女の柔らかい頬だった。そのまま無言で何度も何度もやんわりと撫でてやっては、最後に強く右頬をつねる。

「い…!?痛っ…!!いいい痛い痛い!痛いよ征ちゃん…!!」

降参だ!とでも言わんばかりの表情で、顔を真っ青にしたナマエが夜空に向かって勢いよく挙手をする。何だかそれが可笑しくて、幾らか指の力を緩めては、久々に声を出して笑った。

「ひ、酷いよ征ちゃん…!何で笑ってるの…そして痛かったよ本当に…!」

「あぁ…すまない。いや、お前の頬をつねってみたら一体どんな表情をするのかなとふと思ってね」

「な、何それ…酷い…!何か征ちゃんらしくなくない…!?」

「そうかい?ならまた新たな僕の一面を知れて良かったな」

「!た、確かに…!」

えーっと、征ちゃんは意外にも意地悪…っと。とか何とかかんとかブツブツ独り言を呟いて、ナマエは眉を寄せながらも何度も何度も脳に僕の情報をインプットさせているようだった。それを眺めつつも未だ頬に添えている手をそっと離し、止めていた足の動きを再開させる。

「ねぇ、征ちゃん…」

「なんだい?」

「機嫌…直った?」

「……………は?」

またしても不安そうな表情で、背後からトコトコと僕の隣まで小走りで近付いてきたナマエが此方に向かって質問を問い掛ける。そのまま軽く僕を追い越したその先で、彼女は首を横に傾げては僕からの答えを待っているようだった。

「…………あぁ、まぁ。直ったよ」

「そっか…!なら良かったー!」

「………………」

ニヒヒ!と、嬉しそうに肩を竦めては彼女は心底嬉しそうに、そしてまたホっとしたような表情で笑う。出会った当初からずっと思ってはいたが、よくもまぁそんなにもコロコロと表情が変わるもんだ。ふとそんな事を考えつつも、少し前に立っている彼女の腕を勢いよく自分の元へと引き寄せ、そうして耳元に唇を寄せてはこんな言葉を投下してやった。


「………あちらこちら走り回るお前のその首に、鎖でも繋げてやろうか」


てっきりその僕の言葉に再び青ざめるかと予想していたが、それとは真逆に「良いねそれ…!」と、彼女はキラキラと目を輝かせつつも呑気に笑った。今度はその予期しない返事に珍しく面喰った僕がずるっと肩の力を抜かす。……全く、何処まで馬鹿なんだこいつは。

「冗談だよ…行くぞ」

「………うん!」

間抜けとしか言いようがない彼女の手を軽く握り締めて、いつものように家路へと向かう。その時、彼女の小さくて暖かい手の温もりを感じつつも、ふと誰にもナマエのこんな表情は見せたくないな、と考えた。どうやら僕は本当にどうかしているようだ。恐らく、原因はあの涼太の情報のせいだろう。

『ナマエっちっスよ!ナマエっち!』

『今、男子達の中で人気急上昇中な子!』

…………今日はやたら胸がざわつく。そんな事を考えていたら無意識に大きな溜息を吐いていた。そんな僕の行動に再び心配そうな顔を向けたナマエの表情に気付き、軽く頭を撫でてやる。それに安心したのか、嬉しそうに笑ったナマエは「征ちゃん、だーいすき!」と無邪気に何度も何度も僕に気持ちを伝えた。それを横目に視界に入れつつも、小さく口の端を上げる。それを彼女に気付かれないようにふと見上げた夜空は、今日も色鮮やかな程のネオンで覆い尽くされていて、何だかそれが苦しく思えてならなかった。





「ナマエー!3年の男の先輩が呼んでるよー!」

あれから数日後。いつもと変わらぬ教室内に、桃井の透き通った声がクラス全体に響き渡った。ガヤガヤと生徒達の声で騒がしい教室内が、その桃井からの情報にクラス全体が一気にどよめき立つ。

「きたきたきた!遂にきたっスねぇ!」

「バッカ!冗談だろ…!?本当だったのかよ、あのお前の情報は…!」

「だから言ったじゃないっスか!まじな情報だって!」

やんややんやと、教室の隅っこで二人して口論を交わしている大輝と涼太の声を背景に、机の上に広げている分厚い本を勢いよく閉じた。そのままナマエが座る席へと視線を促せば、どうやら軽い放心状態の様子でナマエは驚きを隠せていないようだった。

「え…わ、私…!?」

「きゃー!ちょっとナマエ!それ絶対告白だってぇ!」

「えー!いーなぁー!私も3年の先輩から告白とかされてみたーい!」

きゃきゃ!と楽しそうに色めき立っている彼女の友人達が、「ほらナマエ!早く早く!」と、彼女の背中を強く押していた。そのやりとりに再び数日前と同じ苛立ちが込み上げる。…いや、もしかするとそれ以上かもしれない。そんな事を考えている間に、友人達からグイグイと強く押されたナマエが何度も何度も素っ頓狂な声を挙げつつも、ヨタヨタと足取りもままならない状態でゆっくりと教室内を後にして行った。

「良いのかよ、赤司。あいつをあのまま行かせて」

「……………は?」

突然の背後からのその声に、柄にもなく少しだけ反応が遅れた。そのままゆっくりと声の主へと振り返ると、好奇な目を向けてニヤニヤと厭らしく笑う大輝と涼太の姿がそこにあった。

「そうそう!そーっスよ赤司っち!まぁナマエっちの事だからOKするって事はないとは思うけど…でももし!もしっスよ?万が一相手の男が変な男だとしたら…!」

「やられるな、完全に」

「やっぱり!?だよね!?」

「あぁ、間違いねぇ。まぁー、校内だから犯されるって事はないだろうけどよ。それでもキスの一つや二つは余裕で…」

「やられちゃうっスね!」

その言葉を最後に、その場に勢いよく立ち上がった。そのまま無言で教室を後にしようと扉に手を掛けた所で、「赤司っちー!グッドラック!」と涼太にぐっと親指を突き立てられる。それに一旦動きを止め、ゆっくりと振り返っては、「僕はただ本を返しに行くだけだ」と念押しするかのように告げ、そして今度こそ一度も振り返る事はなくそのまま教室内を後にした。

「だったら本持って行けよ…ったく、あいつ珍しく必死だな。いつもは悠々と涼しい顔して我関せず!みたいな顔してやがるのに…」

「本当、素直じゃないっスよねぇ…あの二人、もう本当見てて面倒臭いからさっさとくっ付けば良いのに…」

はぁ、と二人の至極面倒臭そうな溜息がその場に広がった。赤司が居なくなった事により、クラスメイト達はようやく自分達の時間を取り戻し、そして直ぐに教室内は再びガヤガヤといつものように賑やかさを増していった。





「好き、なんだ…俺。ミョウジさんの事が…」

その如何にもという程の告白の常套句を引用して、男は中庭でナマエに向かって気持ちを伝えていた。あれから教室から勢いよく飛び出して、目的の二人の姿とその光景を目にした瞬間、頭に一気に血が上っていく感覚を覚えた。正直、不思議と腹が立って仕方がなかったのだ。肝心のナマエはというと、そのまさかの展開に目を見開き、所謂硬直状態となっていた。………なんだ、あの顔は。いい加減にしろ。

「へ、返事…聞かせて貰っても良いかな?」

そう言って、男は頬を真っ赤に染めつつも何処か罰が悪そうに自分の首元を何度も何度も摩っている。照れ臭そうに、そしてまた躊躇いがちにそんな事を口にしては、ナマエへと返事を聞かせて欲しいと懇願していた。そんな男の姿にまたしても自分の苛つき度は頂点に達し、そしてまたそれと同時に自分でも分かる程の沢山の皺を眉間に寄せる。

「お、お気持ちは嬉しいんですけど…で、でも私…ほ、他に好きな人が居るんです…!」

「………………」

「な、なので先輩の気持ちは受け取れません…!ごめんなさい…!」

その言葉を最後に、ナマエはその場に深々と頭を下げては何度も何度も男に対して謝罪の言葉を伝えた。そんな彼女の姿を前にふと思う。……一体僕は何をやっているんだ。

「そ、そっか…いや、うん…分かった。ごめんね、急に呼び出したりしちゃって…ビックリさせたよね」

「い、いえ…!別にそんな事は…!…って、ちょっとだけビックリしちゃいましたけど…」

「あはは!素直だね…!…本当、可愛いなぁ君は」

「え…」

そう言って、何を調子に乗ったのか、男はさぞかし愛くるしい物を見つめるかの如くそっと目の前に立っているナマエへと自分の腕を伸ばした。それに対して僕の怒りは限界を超え、そして次に気付いた時には自分でも予想だにしていなかった行動へと移っていた。

「触るな」

「え?」

この時ばかりは、普段の自分の身体能力が人よりも優れている事に感謝した。何故ならば、男の腕がナマエの頬に辿り着く何秒か前にそれを阻止し、そして瞬時にナマエの腕を自分の元へと引き寄せる事に成功したからだ。

「えっ…!?せ、征ちゃん…!?なんで!?」

勢いよく誰かに背後から腕を引き寄せられた事と、そしてまたその犯人が僕だった事にも同時に驚きを隠せないのか、目を丸くしたナマエが僕の顔を下から見上げては何度も何度も「なんで!?」と叫んでいる。だが、そんな事は後回しだ。

「先輩、大事な場面を邪魔をしてしまい申し訳ないですが…こいつは僕の物でね。さっさと手を引いて貰いたい」

「………お前、確かバスケ部の」

「初めまして、赤司征十郎です。今後ナマエに何か用件がある時は必ず僕を通して欲しい。因みにこれは願いではなく、命令だ」

そこまで口にして、自分でも分かる程の感情の無い目で目の前に立っている男へと鋭い視線を向けた。僕からのそれに恐怖を感じたのか、「ヒィ…!」と小さく男は呻き声を挙げつつも、そのまま直ぐに踵を返し足早にその場を去って行った。その後ろ姿を横目で確認しつつも、次に未だ軽い放心状態のままその場でフリーズしているナマエへとゆっくりと視線を落とす。

「征ちゃん…なんで…?」

「……………」

「ねぇ…征ちゃ、」

「…………迷惑だったかい?」

まるで信じられない物でも見ているかのように、ナマエは何度も何度もしつこく僕に問い掛けた。それにようやく返事を返した僕からの答えに、彼女は一瞬だけ目を丸くし、そして直ぐに否定の言葉を口にした。

「う、ううん…!そんな事はないけど…でも、」

ちょっと、ビックリしちゃった…

そう言って、ナマエは僕に腕を掴まれている状態のままその場にへにょへにょと力なく腰を落とした。その小さな姿を前に、自分も彼女と同じように腰を降ろし、そしてそのまま彼女と同じ目線を向けては、小さく息を吐く。

「…………本当に、鎖でも繋げてやろうか」

「え…?」

そこまで口にして、この前のようにそっと彼女の柔らかい頬に触れては何度も何度も優しく親指を往復させた。それに安堵したのか、僕の目の前できょとんとした表情をした彼女は直ぐに口角を上げ、そうしてまた前回と同じように「良いねそれ…!」と、嬉しそうに笑った。

「バカ…だから冗談だよ」

「えへへ…でも、嬉しかったから…!」

「なにがだ…」

「だって、」


『征ちゃんが現れた瞬間、てっきり正義のヒーローが助けに来てくれたのかと思ったよ』


そう言って、彼女はにっこりと太陽のように眩しい程の笑顔で笑った。そのまま一気に僕の胸に飛び込んで来ては、またいつものように「征ちゃん!だーいすき!」と溢れんばかりの気持ちを僕に何度も何度も繰り返し伝えた。

「………お前みたいな世話が焼ける女は、断固としてお断りだ」

「えぇっ…!?なんで…!?」

ぎょっとした顔をして、僕の顔を覗き込んで来るナマエの腕と腰を一気に引き寄せて、まるで黙らせるかのように自分の胸の中へと閉じ込めた。それが嬉しかったのか、少し不服そうだったナマエの機嫌は一気に浮上し、そうしてまた同じように僕の首元へと腕を廻しては強く強く互いの身体を抱き締め合った。



『ありがとう、赤司君…』

『でも、嬉しかったから…!』

『征ちゃんが現れた瞬間、てっきり正義のヒーローが助けに来てくれたのかと思ったよ』


彼女の細い身体を抱き締めながら、一人ぼんやりと思う。


……………そうだ。ナマエのあの内に秘めている物全て、それを見るのは僕だけで良い。僕だけがそれを確認し、僕だけが彼女の全てを独占する。

例えそれを邪魔しよとする者は、何であろうと許さない。


「…………全く、どうかしてるな。本当に…」


彼女の細い身体を抱き締めつつも、一人小さな独り言を呟く。

この感情が一体何なのか、なんて。それを認めるのにはかなりの時間と覚悟が必要だなと、心の中で大きな溜息をつく。その感情を誤魔化すかのように、その小さな身体に秘められている、ナマエの暖かな温もりと優しさに縋りつくかのようにそっと身を寄せ、何度も何度も繰り返し彼女の頭を撫でては、同時に今後の自分への言い訳を、ただひたすら必死に考え続けていた。

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