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カチカチ、とマウスの操作音を部屋中に響かせながら大きく唾を飲み込む。瞬きさえも忘れて、とある番号を画面上で追うこの作業は本当に心臓に悪い作業じゃなかろうか。ゆっくりゆっくり、ここぞとばかりに慎重に視線を泳がせていると、そこでマウスを操作していた人差し指をピタリと止めた。

「!!」

直ぐに横に置いていたスマホに手を伸ばして、通話履歴の一番上に表示されている相手に発信をした。呼び出し音にさえもどかしさを感じている今の私はきっと、流行る気持ちを抑えきれず、目をキラキラと輝かせているに違いない。






吐く息が白むこの季節は、どこか人を感傷的にさせる気がする。夕方から更にぐっと気温は下がり、制服の上から着込んでいるダウンの首元に顔を埋めて、目の前に広がる冬の景色に目を細めた。

「わー、雪まで降ってきたよ」

誰かを待つ時間は嫌いじゃない。前に梅ちゃんが寝坊して2時間遅刻してきた時もあったけれど、全く苛々しなかった。多分私は、相手を待っている時間でさえも楽しい!と思える超能天気な奴なんだろう。校庭のベンチに腰掛けて、ぼんやりとスマホを眺めていると、粉雪が鼻先に当たって「つめたっ!」と思わず声が出た。

「どーりで寒い筈だ」

手にしていたスマホの画面が濡れないようにと、ポケットの中に仕舞い込んでそこに立ち上がる。んー!と背伸びをして左右に身体を捻っていると、校舎の中から慌てた様子で此方に向かってくる人が見えた。

「煉獄せーんせーいっ!」

お目当ての先生だと分かった瞬間、自然と笑みが溢れた。ブンブンと左右に手を振ってアピールを繰り返す私に「すまない!遅れてしまって!」と煉獄先生の焦りを含んだ声が聞こえた。

「全然大丈夫です!私、待ってる時間も好きなので」

「いや、本当にすまない…思ったより職員会議が長引いてしまった」

「なら余計に仕方ないじゃないですかー。大丈夫ですよ、私平気です!」

最後にもう一度ニッコリと微笑んで、座っていたベンチに2人して腰掛けた。ポケットの中に忍ばせておいたホッカイロを顔の前に掲げて「先生も使いますか?」と聞いてみたものの、やんわりと断られてしまった。どうやらそんな会話はどうでも良いらしく、先生はさっきから本題に触れたくてソワソワしているようだ。

「よし、ここは単刀直入に聞くとしよう!ミョウジ!」

「はいっ!」

「結果はどうだったのだろうか!」

「受かりましたっ!!」

「……………ん!?」

「やりましたよ先生!私も春から夢の美大生です!!」

嬉しさを身体で表現する余り、腰掛けていたベンチからピョン!と飛び跳ねて先生の前で大きく親指を立てた。そのまま左右に小刻みに横揺れしている私の腕を前から掴み、いつも以上に目を大きくさせている煉獄先生に「本当か!」と繰り返し連呼されてしまった。

「ほ、本当ですよ!受かりました!」

「それは良かった!!おめでとう!!」

「わーん!待ってましたその言葉ァア!」

感動の余り、いつものように先生に抱きつこうとしたけれど流石に校内なのでそれはナシだろう!と気付いてその場でクルクルと2回転しておいた。先生も本当に自分の事のように喜んでくれて、それを見てまた私の心はホワホワと暖かくなってくる。

「ミョウジは本当によく頑張っていたからな。俺も自分の事のように嬉しい!」

「……………」

目尻を下げて、柔らかく笑う煉獄先生を真正面からじっと見つめていた。可愛い。良かった、受験頑張って。どれもこれも全て周りの人達に支えて貰ったお陰だ。またゆっくりと宇髄先生や棘山さん、不死川先生達にもお礼を伝えにいこう。

「ミョウジ、合格祝いはまた改めてしよう!」

「えっ、良いですよそんなの…!私には先生から貰ったこのお守りもありますし充分です!」

「受験も終わったし、そのお守りの効果は切れているだろう!」

「えぇっ…!?このお守りの効果って、そんな短期集中型なんですか!」

「知らん!俺の独断と偏見だ!」

腕組をして真っ直ぐと前を向いたまま堂々と発言した煉獄先生が面白すぎて、声をあげて笑ってしまった。丁度その時、横から北風が吹いて制服のスカートが風に揺れた。少し乱れたサイドの髪とスカートをやんわりと手で抑えていると、ふっと煉獄先生が小さく笑っていて、不思議に思った私は横に首を傾げた。

「?何か可笑しいですか?私」

「いや、別に。可愛いなぁと思って君に見惚れていた」

「で、でたそれ…!もー、そういう不意打ちのキュン台詞はやめてくださいって!」

心臓が持ちません!そう照れながら発言をする私との距離を、その場に腰を上げた煉獄先生がぐっと縮めてくる。そのままポンポンと2度私の頭を撫でて、腰を屈ませた先生と至近距離で目が合った。

「合格おめでとう、ミョウジ」

「………っ、はい」

満面の笑みでそう応えて、ぐっと目頭を抑えた。この季節特有の枯れ葉が校庭の砂に擦れる音が周囲に響く中、私は一人複雑な思いと戦っていた。やっぱりこの季節はいつもより人を感傷的にさせてしまうんじゃないだろうか。春からここを離れて本当に一人でやっていけるのかとか、友達だってちゃんと出来るのかとか。色々と不安に思う事はこの先山積みだけれど。

「先生…っ、」

「ん?」

「……あのっ、」

「……………」

本当に春からも煉獄先生といられるのかな。物理的に側には居られなくても、心は寄り添っていられるのかな。そんな事を考え出して、不安を数え出せば本当にキリがなくて。ちゃんと真剣に考えて自分で出した結論なのに、いまいち自分に自信がない今の私は、何て情け無い姿なんだろう。

「な、んでもないです…っ、やっぱり…」

「…………そうか」

結局、先生の前で不安を口にする事はなかった。それを吐き出した所で先生を困らせてしまうのは明白だし、何より下手に言葉にしてしまうと、不安が後追いして止まらなくなってしまうと思ったから。

「車を回してくる。裏門で待っていてくれ」

何も無かったかのように、柔らかく微笑んでくれた煉獄先生。きっと今の私の考えも見透かしていると思うけれど、あえてそれには触れずにいつも通りの対応で踵を返して駐車場へと向かって行った。どんどん小さくなっていく先生の後ろ姿に、一人小さく「好き」と呟く。

「っ…、」

…ダメだ。涙を堪えきれない。誤魔化すように鼻水を啜って、冬の空をぼんやりと見上げてみる。その時、一度止んでいた粉雪が再び鼻先に舞い落ちて、今の私にはそれさえも切なく思えた。






「ナマエちゃぁぁああんっ!!いつあっちに行くの!?何なら俺も一緒についていこうか!?」

「いや、お前がついていってもコイツは何も嬉しくねぇだろ」

「善逸、こんな所に居たのか!さっきあっちで冨岡先生が善逸の事を呼んでいたぞ!」

「いやァァァア!卒業式の日まで髪を黒く染めてこいって!?」

本当何なのあの先生!馬鹿なのぉ!?

ギャアギャアと冨岡先生の文句を叫んでいる善逸の首根っこを捕まえて「おら!さっさと行ってこい!うっせーんだよ!」とバイーンと善逸の事を蹴り上げた伊之助に思わず笑ってしまった。結局そのまま伊之助もどっかに消えて行くし、もう本当にどいつもこいつも自由すぎる。

「ナマエは、明後日だよな!向こうに行くのは」

「うん、そーなんだよ炭治郎ぉ!流石に早すぎるよねぇ…!?」

いやね!私も流石にそれは無いって親に言ったのね!でもさっさと向こうの環境に早くから慣れておいた方が良いからってしつっこくて…!と、熱弁をする私に炭治郎はポリポリと自分の頬を掻きながら乾いた笑いを溢していた。

「しかも言う事聞かなかったら仕送りナシって脅されてさ…まぁ、諦めるよね。弱者としては」

「弱者なのか…?それ。俺はナマエのご両親の気持ちも分かるけどなぁ…」

「ぅっ、まぁそうなんだけど…っ!」

でも…明後日から、いよいよ煉獄先生に簡単に会えなくなるとか……死ぬっ!

そう一人叫んで、手で顔を覆っては頭を地面に向かって俯かせた。そんな私の背後から「お前はほんっとに最後まで煉獄の事ばっかだなァ」と、どこか呆れた声で此方に近付いてくる足音に踵を返して振り返った。

「お、鬼…!と、宇髄先生!」

「誰が鬼だァ。おいガキ、もう卒業したから体罰にならねぇし何なら買ってやろうかァ?その喧嘩」

「おまっ…、なんだその面!ド派手に泣き顔ブスだな!」

「わーん!もーヤダこの2人ー!絶対教師向いてないってー!」

デリカシーの欠片もない宇髄先生の発言にワンワンと文句を叫んでいると、何故か横で炭治郎も楽しそうに笑っていて、ヤダ!天然怖い!と叫んだ。そんなこんなしていると、ゲラゲラと大笑いしていた宇髄先生と呆れた顔をしていた不死川先生が急に空気を変えて、両肩をポンと撫でられては二人同時に声を掛けられた。

「「竈門、ミョウジ。2人とも卒業おめでとう」」

「「……はいっ!!」」

桜の花弁がヒラヒラと周囲を舞い散らせて、今日という日の門出をお祝いしてくれているように思えた。さっきはネタで宇髄先生と不死川先生の事をディスったけれど、勿論本当はそんな事思ってない。2人とも本当に同じぐらい生徒思いで、数えきれない程沢山助けて貰った記憶しかないから。

「宇髄先生、不死川先生、3年間本当にお世話になりました…!」

「あぁ、お前に関しては最強にお世話したわ」

「お世話するしかなかったとも言えるけどなァ」

「卒業後の煉獄先生の事は私にお任せください!」

「おー。最後の最後までまじでどーでも良い決意をありがとな」

「そもそも別にお前らの事を心配した事なんざ一度もねぇけどなァ」

「もー!またまたぁ!何だかんだで2人とも色々とフォローしてくれたじゃないですか!」

「?3人とも何の話をしてるんですか?」

先生達と盛り上がっていると、会話の異変に気付いたであろう炭治郎が不思議そうに横に首を傾げていた。そりゃそうだ、だって炭治郎は私が煉獄先生の事が好きって事しか知らないのだから。

「あ、あのね…炭治郎!じつは、」

「ナマエちゃん!大変だよぉお!煉獄先生の周りに女子達が群がってて今まじで大変な事になってるよ!!」

「はぁっ…!?ちょっ、そんなの聞いてない!!」

ごめん、炭治郎!この話はまた後で!そう言い残して、速報を伝えてくれた善逸の元へと走る。そんな忙しない私の事を、宇髄先生と不死川先生が見守るように見つめていたと炭治郎に教えて貰うのは、もう少し先の事だ。






「や、やっと見つけました…!煉獄先生っ、」

「ミョウジ、」

今日は卒業式という事もあり、普段から可愛がっていた生徒達と話し込んでいたら気付けば結構な時が経っていた。律儀な生徒達から様々な贈り物まで貰い受けて、与える側の人間なのにこれで良いのだろうかと自問自答をしながら、荷物を置きに自分の車に向かっていた所で背後からミョウジに声を掛けられた。

「な、なんですか…!そのファン達からの贈り物は…!」

「ファンではなく、卒業生達からだな!」

「同じ事ですよ!し、しまった。先を越された…!」

何を先を越されたのかは不明だが、取り敢えずやっと2人きりになれたのだから俺はこの時間を大切にしたい。興奮気味な彼女を「ナマエ、」とわざと下の名前で呼んで「おいで」と自分の元へと呼び寄せた。

「先生って…本当にズルいですよね」

「何の話だ?」

「良いんです良いんです。そんな先生の事が大好きなんですから、私」

ブツブツと、まるで独り言のように呟きながら俺の背中に腕を回してきた彼女に頬が緩んだ。何となく言いたい事は分かるが、まぁそこは敢えて気付いていないフリをしようと思う。

「先生、」

「ん?」

「明日デートしようね」

「あぁ、朝10時に君の家の前まで迎えに行く!」

「うん。あと…向こうに行っても、毎日電話しようね」

「そうだな、仕事が終わり次第すぐに掛ける!」

「ありがとうございます!私も掛ける!あと…これ、」

「?」

手、出してください。

そう口にして、彼女は俺の左手をそっと奪い掌にある物を握らせた。感触からしてそれが何かはすぐに理解出来たが、それ以上に俺の心を揺さぶるには充分な流れだと思えた。

「向こうの新居の鍵です。使っていいのは、勿論先生だけです!」

「………………」

「あ、あれ?まさかの無反応ですか…?」

おっかしーなぁ。予想ではここで先生にギューっとされてハピエンだったのに!と、頬を膨らませて、少しいじけている彼女の腕を前から勢いよく引き寄せては、お望み以上の行動に移した。

「んっ…、ふ…!」

まるで噛み付くように彼女の唇を一気に奪い、抱き寄せた彼女の心地の良い匂いに反応して正常な判断が出来ずにいた。ミョウジに惹かれてから、俺の理性はあらぬ方向へと向かう事が多くなった気がする。仮にもまだ卒業したばかりの卒業生を捕まえて、人の居ない校舎の裏側で余裕のないキスを繰り返す自分はよもや誰なのだと問いたくなる程に。いや、もしかすると余裕なんてものは初めから無いに等しかったのかもしれないが。

「んっ、せんせぇ…くるしっ、」

「………」

隙間なんてない程に、強く彼女の身体を抱き寄せて額に手を滑らせてはそのままくしゃりと前髪を撫でる。そのまま後頭部に指を移動させて何度も何度も顔の角度を変えては、彼女の口内に深く舌を捻じ込ませた。酸素を求めて苦しいと俺に訴える意見を無視して、それでも足りないともがく自分に内心呆れてしまう。一体俺はどこまで彼女に惚れているのだろうか。

「はぁ、…せんせ。ちょっと、珍しく…荒っぽいキスですね…、」

「すまない、だがまだ足りていない」

「えっ、ちょっ…ん…!」

息つく暇もないぐらい、再び彼女の腰を引き寄せて壁に抑えつけるようにしてはキスを繰り返した。はぁ、と互いの白い吐息が冬の空へと消えていく。次第に手にしていた紙袋をドサっと地面に落として、無我夢中で彼女の口内を犯し続けた。苦しいと訴える割に、ミョウジも俺の首に腕を巻き付けてきて、それだけで互いの今の気持ちが痛い程伝わってきて胸が苦しくなる。

「せんせ、」

「ん?」

「好きっ…」

「俺も好きだ」

「っ、明後日から簡単に先生に会えなくなるとか…寂しいです」

「俺の方が寂しい」

「う、嘘だぁ…絶対…!」

「ナマエ、」

そこで一旦会話を止めて、壁に片手をついたまま彼女の頬にそっと指を滑らせた。涙目で下から俺の事を見つめてくる可愛い彼女に再び理性を振り落とされそうになったが、何とか一歩手前で堪えた。自分を落ち着かせる為に小さく息を吐き、俺の腕の中で不安そうな視線を送ってくる彼女の顔を真っ直ぐと捉える。

「仕事の合間を縫って君に会いに行く。極力、寂しい思いもさせないように努力していくつもりだ」

「……うん」

「俺は…色んな人に出会って、色んな物を見て、色んな事を学んで、ミョウジらしさで前に進んでいってほしいと願っている」

「……う、ん」

「胸を張って、何も心配せずに行っておいで」

「……っ、ありがとうございます」

最後に頭を撫でて、彼女の身体をそっと抱き寄せた。彼女はまだ若い。今はまだ、この学校生活から抜け出した未来がいまいち見えてこなくて、不安に思うのも無理はない。だがそれ以上に歳を重ねるに連れて色んな経験を得るのは大事な事だと思う。教師の立場からしても、また1人の男としても同率に思うからこその発言だった。

「煉獄先生ぇ…」

「なんだ!」

「あんまりモテないでくださいね…」

「モテた事はないから安心していい!」

「先生のアホー!モテてるってもっと自覚してよ…っ!」

「俺は君の方が心配だ」

「え?」

壁に片手をついたまま、もう片方の手で彼女の顎に指を滑らせては、より一層自分の方に向くようにと誘導する。そのままゆっくりと顔を近付けてそっと唇を塞いだ。

「君はこれからもっと綺麗になっていく。ライバルが今までよりも増えて俺の気苦労も絶えなくなっていくだろうな」

「えっ、ちょ…それって先生がフィルターを通して私を見てるからじゃない?」

「いや、違うな。君の方こそもっと自覚をした方が良い」

「え?」

強く念押しするかのように「君はとても魅力的な女性だ」と耳元で囁いた。俺の言動に腰を抜かしたであろう彼女の身体を抱き上げて、そのまま自分の腕の中で横抱きにしたまま微笑む。

「残念だが、俺は君を一生手離すつもりはない」

何かの決め台詞のような一言を最後に告げ、上から顔を下げて触れるだけのキスをそこに落とした。俺の腕の中で横抱きにされたままの愛しい彼女と目が合い、2人してどちらともなく笑い合う。




その日の帰り道、煉獄先生は私にこう言った。

『全ての出会いは一期一会だ』と。

本当にその通りだなと、車の窓から見える街並みを眺めながら一人考える。

「ねぇ、煉獄先生」

「どうした?」

「今日、私キメ学卒業しました」

「うむ、そうだな!改めておめでとう!」

「もう気持ちは大人です…!」

「俺からしたらまだまだ娘だがな!」

「えっ。ちょっ…その話は横に置いとくとして。無事に卒業もした事だし……どうでしょう!」

「ん?」

「我々もそろそろ、…お、大人の関係になってみるとか…!」

「……………」

ましてや心の底から愛せる相手に出会う確率だなんて、本当に奇跡でしかない。

「君が本当に覚悟が出来ているのなら…俺は構わない」

「!!」

きっと私は、何年、何十年経とうとも死ぬまで煉獄先生に恋をしていくのだろう。どうやっても逃げられないこの想いさえもまた、人は一期一会と呼ぶのかな。



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