隠れ鬼

切れた口許を親指の腹で拭いながら、白澤は鬼灯を睨んだ。

「…で、もう出てもいいの?」
「ええ、構いませんよ」

スッと視線を水平に流し、ヒサナが出ていった扉を見つめたまま放たれた鬼灯の言葉に、白澤は閻魔大王の机の横で肩を落としながらため息をつく。

なんて顔してやがる。

名残惜しそうに見送る鬼灯に眉根を寄せながら拭い終えた血の下の傷口は、既にふさがり治りかけていた。

「話の続きしてもいい?」
「どうぞ…と言いたい所ですが、閻魔大王には御退廷願いましょうか」
「えぇーっ!またそこから始めるのォー!?」

机の縁に指をかけ、表情をくしゃくしゃに歪めた大王が机から二人を覗き込んだ。
白澤は閻魔大王に困った笑みを浮かべて見せながら鬼灯に向き直ると、嫌悪感を隠しもせずに相手を指差した。

「さっきも言ったけど、いてもらえよ!お前の保護者であり保証人だろ。大王にはその権利があるからな」

先刻の法廷で、呼んでおいたよと閻魔大王に声をかけられ顔を出した白澤を、鬼灯は問答無用で殴り跳ばした。
その後多忙でしょう御手間でしょうと、なんだかんだと理由をつけて閻魔大王に退廷を願い勧める鬼灯だったが、大丈夫だよキミの事だ同席するよと大王は笑った。
鬼灯の『邪魔だ』という真意を汲み取れないまま問答を繰り返し、引かぬ大王に痺れを切らせた鬼灯が要らぬ心配は不要ですと盛大に金棒を振るったのがヒサナが居合わせた現場だった。

白澤の言葉に大きな舌打ちをすると、鬼灯は背を向け歩き出した。
逃げるのか。
食って掛からず拗ねるなんてそんな子どもみたいな奴だったかと言動を見守っていれば、鬼灯は法廷の中央付近に並ぶ柱の前でくるりとこちらへ向き直ると、腕を組んで柱に背を預けた。
見た目にも、その背にかなり体重をかけている事がわかる。
白澤は鬼灯の体配を目の当たりにし、スッと目を細めた。

「お前…」
「言ったら殺しますよ」
「やってみろよ。なんとかできる奴がいなくなるだけだ」

射殺さんばかりの殺意を宿した鋭い眼光を物ともせず、殺されるつもりもないけどと付け加えた白澤は白衣の両ポケットに手を突っ込んだ。

「…あ、そうだ」

左ポケットの中にあった異物を掴み上げ、掌を開く。

「ほら、必要だろ」

指先でつまみ上げられた包みは鬼灯が服用していた鎮静剤。
鬼灯がそれを確認すると白澤へ向けて手を差し出した。

「あぁ、ありがとうございます。切れそうだったので、助かります」

その言葉に白澤は眉根を寄せ、昨日渡した包みの量を思い浮かべた。
それは、到底一日で飲みきっていい量ではなかった。

「なんで僕が歩かなきゃいけないんだ。自分でここまで取りに来いよ」

睨んだ目元はそのまま。
唇を僅かに噛み締めると、ゆったりとした動作で鬼灯は柱から身を離した。
一歩、二歩と普段と変わらない出で立ちで振る舞うが、伸ばされた鬼灯の手から白澤は掌を閉じて距離を取った。
手に取ることを阻まれたことと白澤の動作に不機嫌を露にするが、白澤は顔の横まで引き戻した包みをひらめかせながら鼻をならした。

「上手く重心取ってるつもりだろうけど、かなりしんどいだろお前」
「…!」
「やめだやめだ。旧友に相談された以上、目の敵だろうとそんな生き方はお勧めできない」
「何が、ですか」
「ドクターストップだっつってんだよ」

ざわりと白澤の纏う空気が変わる。
地獄に似つかわしくない、清浄な気配。
性癖の不躾な彼にも似つかわしくないように思うが、腐っても穢れ無き神獣。
白澤が憎悪を剥き出しにして鬼灯に吠えた。

「やっぱりヒサナちゃんに還ってもらえ」
「嫌です」

キッパリといい放つ鬼神は、何でもないように体制を整えて振る舞う。
二人の険悪な様子が普段とはまた異なることに、閻魔大王は首をかしげた。

「え、ヒサナさんが何だって?」
「こいつヒサナちゃんが還れなくなったんで、怨念持て余して死にかけてるの」
「黙れ!」

火がついた様に踏み出し振るわれた鬼灯の金棒を、白澤はひょいとかわした。
続けて直ぐ様横に凪ぎ払われるが、それも難なくかわす。
閻魔大王も驚きに目を見開くほど、白澤に避けさせるなど鬼灯にはありえない攻撃であった。

「まさか鬼灯君、本当に?」
「見てわかるでしょ。無理してんだよコイツ」

既に限界の身体を酷使しての二撃。
それも相当の負担だったようで、鬼灯は金棒を杖がわりに地につくと肩で大きく息をしていた。
先程のポーカーフェイスはどこへやら。
フラりと足で踏みとどまり身を立て直す様は精一杯のようで、白澤を睨む目だけが鋭さを保っていた。

「まぁ落ち着いて鬼灯君、せっかく呼んだんだ。ちゃんと白澤君に見てもらえばいいじゃない」

閻魔大王が仲裁に入り、鬼灯は大王を一瞥した後舌打ちをして金棒を携える。
閻魔大王の手前、白澤も頭をガリガリとかいて鬼灯を睨み返した。

「昨日の今日で何が変わってんだかと思うけどね。仕方がないから診てやるよ」
「診せるだけですからね。何かしら手を出すなら私にきっちり説明してからにしてください」
「はいはい」

鬼灯は仁王立ちしたまま、白澤が額にかかる前髪を片手であげる。
病気であれば触診視診等と必要になるが、鬼灯の場合内の気の乱れになる為こちらの目での視診が適切であった。
腹のと合わせて計九つ。
白澤は神眼を巡らせた。




「大丈夫白澤君?」
「大丈夫じゃない…」

長くはないが、どれ程探っていただろうか。
鬼灯が法廷を訪れた時より感じられた普段とは異なる怨気を目の当たりにし、白澤は気分を害した。

昨日も思ったが、昨日今日だけでこんなにも怨念は増幅するのかと思い知る。
知識の神の名を冠するだけあり、漢方医、鍼灸師と中国の医学に精通している白澤は気功師としての知識も持ち合わせている。
それでもこんなにも内をとりまく怨気等該当したことがない。
本来ならばとっくに自我など喰い尽くされているだろうに、奴が鬼神故だからだろうか。
髪を下ろすのと同時に、額を伝いそうだった汗を拭った。

「白澤君、鬼灯君なんとかならないの?」
「ヒサナちゃんを元あるべき姿に、この朴念人の中に完全に還してしまうのが一番」

怨念は奴自身の問題であると同時に、鬼灯が鬼神として生きている根源でもある。
切っても切り離せない。
こんなの、どうこう出来るわけがないお手上げ状態だった。

「ん?還れないから困ってるのにヒサナさん還れるの?」
「ヒサナちゃんの意志があれば多分ね。彼女が現化する前の状態にできる。なのに、この馬鹿はヒサナちゃんと会えなくなるから拒んで抗ってこのザマなわけ」

会話の為、少し閻魔大王の方を向いて目を離しただけだった。
ほんの数秒。
それなのに頬を掠めた空気の流れに白澤が驚いて飛び退けば、鬼灯の爪が鼻先を掠めた。
間近で金棒を片手に俯いていた彼の手が眼前に迫ってきていたのだ。
気付かなければ、肉ごと顔面持っていかれそうな勢いだった。

「危っないな馬鹿!」
「薬だけ置いてさっさと帰れ」

掴み損なった手を握り締め、鬼灯はフラりと肩を机の側面につける。
隠す必要も無くなったからだろう。
気だるそうに鬼灯は懐から薬を取りだし中から包みを摘まむと、袋をぐしゃりと握り潰して放った。
包みを開くと中身を水も無しに無理矢理喉の奥へと呑み込めば、粉っぽい口元を手の甲で拭ってその包みも後方へ捨てた。

「…最後の一個ってわけだ」
「ご覧の通りで。困ってたんですよ。薬がなくなりそうで」
「尚更渡せねーよ馬鹿。この薬が何か、お前が分からないわけ無いだろ」
「一袋飲みきりましたがなんともないですよ」
「今はな。でもうちの薬で中毒症状引き起こされたら、漢方医の名が廃る」

睨みあったまま双方動かない。
鬼灯は動けないのだろうが、俯いて大きく一息吐ききるとゆるりと金棒を持ち上げた。

「まだ足掻くの?悪鬼になるよ?別にお前が死んでも清々するだけで僕は一向に構わないんだけどね」
「なりませんし死ぬつもりもありませんよ。ヒサナを失う選択肢だけは選びません」
「…昨日色々考えたけど、お前のその強欲のせいで地獄門でヒサナちゃんを引き剥がした事が上手く戻れない原因かもしれないとか考えたことない?」
「還らなくて結構。勝手な事は許さないと、そう思って引き剥がしたのですから」
「それで困ってるんだから本末転倒だろ。今のお前相当やばいな。話し合いの余地もないね」
「元々白澤さんと話し合いで解決したこともありませんけど」
「あー…確かにそうだな」

さて、どうしたものか。
白澤が目の前の禍々しい鬼神を真っ直ぐに捉え思案する。
怨念を持て余してはいるが、まだ悪鬼に堕ちた訳ではない。
よって地獄門の時のように神力云々の通用はしないのだ。
こんなことなら、何かしら持ってくればよかったと自嘲する。
怨念の事も薬の服用法もコイツの事だから大丈夫だろうと、どこかでらしくもなく信用していた事に嫌悪する。
やっぱり、この補佐官は大嫌いだ。

「最後に一応閻魔大王もなんとか言ってやってよ」
「えええワシ?!うーん…やめようよ鬼灯君、身体に毒だよ。ヒサナさんが知ったら、悲しむだろうなぁ」
「そんなのは百も承知ですよ。ヒサナは還るとぬかすに決まっています。だから隠していたのに、白澤さんがここに来たお陰で大変迷惑です」
「あーもーあったま来た!意地でも地べた這いつくばらせてヒサナちゃんに喋ってやる」

白澤は非力な神であり一撃必殺のような特殊な力も無いが、一か八かで鬼灯を煽り、手っ取り早く悪鬼に呑ませた方が神力は効くかという結論を出す。
さっさと堕として拘束する。
意を決して白澤が敵意を剥き出しにした鬼灯に形だけ身構えた。

まさに、その時だった。


「何を、私に話してくれるんですか」


面白いくらい正面に据えた鬼灯の表情が瞬時に歪んだのを白澤は見た。
男ばかりの法廷に響いた、男性とは違う女性特有の少し高い声。

何故、来るなと言ったのに。

鬼灯は信じられない物を見るようにゆっくりと、そうであってほしくない、だが自分がこの気配を、声を違える訳がないと混乱する頭で背後を振り替える。

「私に、何を隠してるんですか、鬼灯様」

鬼灯の丁度真後ろに位置する形となっていた法廷の開かれたままの大扉。
その中央で鬼灯を睨み付けているヒサナと目があった。

20150118

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