仇となる

寝台の中央で、ヒサナはのそりと身を起こした。
頭から被っていた布団が背後にずり落ちる。
何度か物音や人の気配に目を覚ました筈だったが、その都度寝直していたようで気が付けばとっくに就業時刻は過ぎており、鬼灯の姿はどこにも見当たらなかった。

「あれぇ…帰ってこなかったのかな」

二言三言交わしたような気もするが、おぼろげな記憶ではそれも定かではない。
あれは夢だったのだろうか。
ヒサナは潜って寝ていたことで、ばっさばさに乱れた髪を三つ指で左右の耳にかけた。
もそもそと布団から抜け出ると、揃えられた草履を引っ掻けて部屋の出口へと向かう。
部屋を横切るとヒサナが動いたことで空気が流れ、僅かだが部屋に染み付いた臭いとは別の新しい煙管の残り香が感じられた。
やはり帰ってきていたのか。
ヒサナは首をかしげながら部屋を後にした。




「何、してるんですか」

従業員宿舎からの長い一本道を通り抜け、法廷の扉を開け放ってヒサナは絶句した。
そこに広がっていたのは、鬼灯が金棒を振りかぶり終えた体制をしており、閻魔大王が壁にめり込んでいる光景。
誰の仕業かなんて聞くまでもない。
そんな光景に目を大きく見開くヒサナだったが、しかし驚いた表情を見せたのは彼女だけではなかった。

「ヒサナこそ、なんて格好で出てきてるんですか」

ヒサナ同様目を見開いた鬼灯は、彼女を確認し唖然としている。
どんな格好とヒサナが視線を下ろす前に、金棒を手放しゴトンと床に倒すと、つかつかと迫ってきた鬼灯の気迫に無意識にヒサナも後ずさる。
しかしその半歩は、のばされた鬼灯の腕に簡単に合わせを捕らえられて引き戻された。

「ここは法廷なんですから、気を付けなさい」
「あ、すみません」

鬼灯にグイっと着物を引かれ、緩んだ襟元や帯を正されると背を思い切り叩かれる。
前のめりによろけながら自身を見下ろせば、確かに起きた格好で着の身着のまま出てきてしまっていた。
建物が繋がっていてもここからは法廷という意識が足りなかったと、ヒサナは肩を落とす。
眉を落として視線を戻せば、目の前の壁には閻魔大王がめりこんでいた。

「あぁ、そうだ。だからなんですかこれ」
「あ、忘れていました」
「ヒサナさんまで!鬼灯君も二人してヒドイよ」

壁に手をつき、閻魔大王が瓦礫と共にガラガラと壁から抜け出た。
イテテと言う割りには顔や腹をさするだけで、特に大事なさそうである。
めり込んでいたというのに無傷なのは、流石閻魔大王といったところか。

「ちょっと…閻魔大王が余計な事をしてくれたものでね」
「余計な事って!だって心ぱべしっ」
「大王はご自身の仕事の心配だけをしていなさい!」

閻魔大王が言い終わるが早いか、鬼灯が床に転がしてあった金棒を引っ掴むと、再びそれを巨体めがけて振るう。
見事に脇腹に金棒が命中した閻魔大王は、大砲の如く吹き飛ぶとまた壁に新たな亀裂を作っていた。

「いいですかヒサナっ!」
「はいっ」

思わず即答した返事の声が裏返る。
正に鬼の剣幕で金棒を肩に担いだ鬼神が声をあらげて迫ってきたのだから、それを前にして平常心が保てる者がいるなら見てみたい。

「お陰でややこしいことになりました。いいですか、ヒサナは今日一日、法廷に出入り禁止です」
「はぁ…では私は執務室に引きこもって仕事してればいいですか?」
「執務室もダメです。なんなら部屋で寝ててください」
「いいんですか!」
「えぇ、心行くまで睡眠を貪り喰うと良いですよ」
「ありがとうございます!」

思いがけない展開に、ヒサナは足取り軽やかに踵を返す。
寝てていい指令が出るとはなんという幸運。
閻魔大王には悪いが感謝しなければと、早速鬼灯の部屋へと引き返した。
と、扉まであと数歩というところでヒサナははたと足を止め、鬼灯を顧みた。
一つ、確認しそびれていたことがあったからだ。

「そういえば鬼灯様、昨日戻ってくるの遅かったですよね?」

寝れる、という単語で昨夜の出来事を思い出した。
ヒサナは水を飲みに出た鬼灯の帰りを待ったが、帰ってくる前に夢の世界に旅立ってしまっていた。

「あぁ、途中で金魚草の様子を見てしまいました」
「…相変わらず好きですね。そのあと、鬼灯様ちゃんと戻ってきました?」

金魚草という一風変わった趣味に高じているのはヒサナも十二分に理解しているので、わからなくもない理由だが戻ってきたのかは定かではなかった。
鬼灯は金棒を肩に担ぎ直すと首をかしげる。

「戻りましたよ。貴女私が身支度してるときも何度か目を覚ましたでしょう」
「あ、やっぱり…?」
「今何時、とか、鬼灯様、とかなんとか曖昧に口にしてすぐ寝てましたよ」
「そんな記憶は…あります」

物音に目を覚ました記憶は正しかったかと一人頷く。
しかしそれはどうやら就業へ向けての身支度の際だったようで、その前のことではない。
ヒサナは、どうしても気になることがまだあるのだ。

「鬼灯様」
「まだ何かありますか?忙しいので早く部屋に…」
「最後に。…寝ました?昨日、戻ってから」

自分が起こされて目を覚まさないのは自覚している。
覚醒はしないが、物音に気付くことはできる。現に部屋を動き回る気配には目を開けていたわけなのだから。
なのに寝台に鬼灯が戻った覚えがさっぱりない。
隣に身を横たえ、布団を共有されれば気付きそうなものだがと思うのだが。
何故、戻ったのに煙管をふかしたのか。

鬼灯は肩に担いでいた金棒を下ろすと、両手を添えて先端を地についた。
寝てはいない。
何故それをヒサナが追求してくるのかはわからなかったが、何かを思ってヒサナが聞いてきているのは明白で、下手に回答するのはよくないだろうと金棒に添える力を僅かに増した。

「いいえ」
「…!何故ですか」
「ヒサナが寝台を占領してど真ん中で布団に丸まって寝てましたので、寝られなかったんですよ」

嘘ではない。
それは一度目に部屋に戻ったときの光景。
よって辻褄を合わせられる目にしたその事実により、今の発言に襤褸がでる可能性は低い。
裏庭から戻った際にはきちんと隅に寝ていたヒサナだったが、出勤前に目を覚ました朧気な彼女と言葉を交わした時、僅かに身を起こして会話をしていたヒサナが直ぐに布団に潜って寝返りをうったその身は中央を陣取っていた。
夜中は言いつけを守っていたことを、本人は知るよしもないだろう。
現に、ヒサナは顔を青くさせていた。

「ごっ…ごめんなさい…」
「お陰様で、寝不足です」
「すみませんー!」

大袈裟に欠伸をして見せれば、小走りにヒサナが鬼灯の元へ駆け寄ってきたので、鬼灯はそれを阻止すべくゴンと金棒を地についた。

「ですから、今日は私が夜ぐっすり寝ます!ですのでヒサナはさっさと今寝貯めていらっしゃい!」
「はいっ」

先程見せられた以上の、鬼どころか鬼神の気迫にヒサナは慌てて回れ右をして扉まで駆けた。
振り返ることなく、僅かに開けた隙間から身を滑り込ませて扉を閉めれば、怒鳴られて驚いた動悸が激しく僅かな距離でもヒサナの息は荒くなった。

「び…ビックリした…っ」

上がる息を落ち着けながら下を向けば、突如ぐるりと世界が回った。
慌てて強く目を閉じて前に一歩踏み出して体を支えれば、再び開いた視界は元に戻っており目を瞬かせた。

「立ち眩み…」

額に手を添える。
寝起きがけに不意に全力失踪したからだろうと、ヒサナは手の甲で目を擦り長い廊下を歩き出した。

鬼灯は寝ていない。

それも自分が迷惑をかけたからだという。
これから先この状況が続くのも、ヒサナには難しいように思えた。

「やっぱり…このままじゃ駄目だよねぇ」

誰もいない廊下で、ヒサナも手を口許に添えつつ大きな欠伸を一つ。
鬼灯の中で満足に眠れていない為か、眠気が常時付きまとっている。
鬼灯も寝れていなければ、自分も眠れていない。
この先も、きっと問題は出てくる筈。
還れないのはお互いに疲労がたまるだろうと、ヒサナは意を決した。

寝ても良いと言われたが、喜んだ手前寝ていても今の状況が解決するわけではない。
鬼灯は嫌がっていたが、その鬼灯も今日は忙しそうでばれる事はないだろう。
ホオズキが描かれた扉を構える突き当たりを、ヒサナは迷いなく右折し奥を目指す。
何も従業員宿舎の出口は、法廷へ続くこの廊下だけではない。

唯一の相談相手、知識の神様に会いに。
皮肉にも鬼灯が口にした言葉が、ヒサナを動かしてしまった。


閻魔殿を抜け、地獄門をくぐり、桃源郷へ渡りひたすら奥地を目指す。
しばらく歩き積めれば、ようやく辺りの清らかな空気に甘い香りが含まれる。
仙桃香る極楽満月。外には薬草が干され壺の並ぶ、小さな佇まいのお店が見えてきた。

フスフスと鼻をひくつかせる兎達が何匹か草むらに見え隠れし、ヒサナは愛くるしさに目を細めた。

「白澤様、居ますか?」

声をかけられた一匹が耳を立てた後、ピョンピョンと極楽満月へと向かう。
誘われるようにヒサナもその後をついて歩き、店舗の引き戸に手をかけそろりと引いた。
抜け出してきた手前、地獄門の件を考えればあまり長居は出来ない。
来客中ではないと良いのだがと、ヒサナは店内をのぞきこんだ。









時は遡り地獄の閻魔殿。
ヒサナが出ていってすぐの法廷では、閻魔大王が再び壁から抜け出ていた。

「イテテ…だって昨日の夜やっぱり変だったよ鬼灯君」
「チッ…夢遊病か何かと勘違いすればよかったものを…!」
「え?鬼灯君が?」
「お前だ阿呆」

阿呆って言われたと嘆く閻魔大王が、フラフラと審判を下す席へと戻る。
鬼灯に引き出されていた椅子に腰掛けると、椅子は彼によって丁度良い位置に正された。

「キミは無理をするから、ちゃんと見てもらった方が良いよ」
「要らぬ心配です…この忙しい時に…!」
「そう言うと思ったから、ワザワザ来てもらったんじゃないか。ねぇ?」

閻魔大王は帽子を正しながら机の右脇を覗き込む。
そこには切れた口端しを押さえながら、ぶつぶつと不貞腐れ座り込むもう一人の姿があった。

「…ってーなぁもうこの朴念人!わざわざ来てやったのに」

机に背を預けていた白澤が、短い掛け声と共にその場から身を起こした。

20141230

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