念押し

「そういえばまさかと思いますが、陣痛が来た場合の事は考えてありますよねヒサナ」

は?
と返したら、それこそ正に鬼の形相で怒られていたことだろう。
すんでのところでその言葉を抑えた自分を称賛しながら、ヒサナは食事の支度に机を拭きながらこくりとうなずいた。

「そりゃあ…月一で通院してますし、病院主催の母の会みたいなやつで話も聞きましたし」
「で?」
「…すぐ知らせる」
「よくできました」

流石に陣痛が来て一人で抱え込むと思われてるなんてどれだけ心配性かとも感じたが、そう判断させてしまうほどの行いをしているかとヒサナは自分の行いを顧みて苦笑した。
鬼灯は本気で心配しこちらを凝視している。
もちろん『最悪の場合』を。

「どうしましょう。やはり携帯を持たせるべきか…」
「大丈夫ですよ。どうせこの私室、もしくは閻魔殿内しか徘徊していませんし」
「……通院は」
「あ」

確かに。
白澤に紹介してもらった病院は桃源郷にあり、そこまでの道のりはもちろん閻魔殿どころか地獄外である。
ほら出た無根拠というよりは浅はかといえばよいのか、ヒサナの「大丈夫」。
先程回避したはずの鬼の形相を目の当たりにしたヒサナは目を泳がせるが、直ぐ様眼前に延びてくる腕。
掴まれる。
そう覚悟して衝撃に備え台拭きを握りしめて目を閉じたが、頭部に訪れたのは柔らかな手のひらだった。

「はあ…ものすごく心配です」

そのまま鬼灯の腕のなかに大事に抱き寄せられ、頭を撫でられる。
先程感じた柔らかさよりは、グシャグシャといった効果音が相応の撫で付け方になったていたが、嫌いではないのでされるがままに収まっていた。

「こんなヒサナで大丈夫か」
「頑張ります」
「初めて経験する、この世のものとは思えない痛みというではありませんか。貴女大丈夫なんですか…ダメそうですねぇ…」
「んー…こちらはあの世だから、現世で体験し得ない痛みを経験済みな方が多いような気もしますが」

あちらで言う『この世』側では死に至る程度でも、こちらの『あの世』では死に至る程度ではない。
また現世でその痛みを経験して、こちらに至っている者もいる。
それこそヒサナも、その一人だ。

「私は水死だからまた違いますものね。苦しいのは嫌でしたけど痛いのも嫌だなあ…」
「変なことを思い出さなくていいですよ」

もう考えるなとでも言うように、頭部に手を回され鬼灯の腕のなかに閉じ込められる。
あまりそこら辺りを考えてほしくないのだろうか。
自分は気に止めることもなく口にするというのに、そこになんの思惑があるのかはヒサナにも読み取れない。
しかし考えるなと言うのだから、ヒサナは始めてしまった思考で別の事を考える。
鬼灯に抱きしめられているせいだろう、思い出されるのは彼の事ばかりになってしまった。

「うーんあとは鬼灯様に肩を矢で射抜かれたり、首噛まれたり、爪で刺されたり?あ、私結構痛々しい可哀想ー」
「自業自得じゃないですか」
「半分くらいは、鬼灯様の性格に難有りじゃないですか!」

もう半分は自分の行いのせいだとは十二分にわかっているが、行為の際に噛まれるのも、嫉妬に矢を刺されるのもどう考えても不必要ではないだろうか。
抗議の声をあげながら身動いで鬼灯を見上げれば、気付いた鬼灯も腕を少し緩めてこちらの様子をうかがってきた。
二本とも首に回されていた彼の腕がひとつ、ヒサナの背をするりと下がって回り腹部にたどり着く。
愛おしそうにそっと撫でてくるその手は、ヒサナにはとてもくすぐったく感じた。

「難有りで結構。心配なんですよ、貴女もこの子も。不安因子はできるだけ潰しておきたいじゃないですか」
「問題ばかりの妻ですものねえすみません」
「自覚があるんだかないんだか測りきれませんし」
「否定もしてもらえなかった…」
「何か言いました?」
「いいええなにもなに、も…?」

思わず口に出てしまった本心に、自覚不足だと何度言われればわかるんだと自分で叱咤しながら笑ってはぐらかそうとしたが、ふと感じた違和感。
お腹がくすぐったいのは仕方がないと思っていたのだが、首に回されたままだった鬼灯の手に違和感を覚えた。

「いやいや、鬼灯様」
「なんですか」
「いや私がなんですかですよ」

ゆっくりとうなじを滑る指先に、ヒサナにぞわぞわとしたものが背筋をかける。
着物の襟首で腕を回しただけでは触れないような深さまで。
いやいや、いやいやいや。
ヒサナは首をすくめながら苦笑した。

「なんのつもりですか」
「なんのつもりだと思いますヒサナ?」

質問を質問で返すなと、いつも怒るのはどこの誰だ。
鬼灯は楽しそうにこちらを見下ろしているだけ。
なんのつもりかなんて聞かなくともねっとりとした手付きが物語っているし、腹部を撫でていた手が太股に滑り始めたあたりで確信しかなかった。
止められているだろう、世界で一番気にくわないと公言する神獣に。
破ったと知れたらどうなるか目に見えているから律儀に守っていたのかと思っていたのだが、これはどういうことだ。

「いやいやいや!駄目だって言われてるじゃないですか!」
「なに考えてるんですかしませんよ」
「私の考えが確信に触れて言ってないのに伝わってる時点でもうこの状況おかしいですからね?!」
「ですから、最後まではしませんから」
「なんっ、なんで急に…今日まで大丈夫だったじゃないですか…っ!」

本格的に襟首に入り込んできた冷たい手に身をすくめながら抵抗するが、久しぶりのせいなのだろうか。
いつもよりもぞわぞわする感覚が本当に強くて、力なんて下手に力んでしまうだけで思う通りになど微塵もいかなかった。
抵抗にやっとの思いで握ったままだった台拭きを鬼灯の顔めがけ投げつけてみたが、それも容易くかわされてしまった。

「いえ、なんでしょうね。あまりに情事の思い出話ばかりされて、欲求不満なのかなと思いまして…。丁度本人は手の内にいるじゃないですか」
「私のせいにしてるだけで違く…っありません?!鬼灯様ですよね…っ!ぁ…」
「では正直に言えばムラムラしてきたのでヒサナに触れたいです。絶対に最後までしません。一切ヒサナに負担はかけないとお約束しますから少しだけ…ね?いいでしょう」
「よくな、よくなっ…!」
「気持ちよくなって頂くだけですから…久しぶりにヒサナのいい声、聞かせてくださいよ」

不安因子云々言っていたのはどの口か。
本当に大丈夫なのかとヒサナは困惑するが、それでも一つ一つ慎重に確かめてくるような手付きに待ちわびている自分がいるのを否定しきれず、申し訳程度の抵抗が無くなるのそう時間のかからない話だった。

20171112

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