燐火

まるで、ほの暗い水底からずるりと引き上げられた感覚。
青白い炎がポツポツと辺りを照らし始める。

だんだんと意識がはっきりとしてくる。

ヒサナがゆっくりと瞼を上げると、目の前には背の高い男が立っていた。

「…寒い」
「こんばんは、ヒサナさん」

ヒタッと冷たい床に足をつけたヒサナは、ペタペタと歩くと鬼灯の懐へ潜り込もうとする。
それを鬼灯はヒサナの頭を片手で制した。

「還してぇー…」
「駄目です。どう考えても終わりませんので手伝ってください」

鬼灯はヒサナの首根っこを掴むと引きずったあげく、ドカリと両肩を押さえ付けて机の前に座らせた。
ヒサナは眠気眼を擦りながら、先程まで鬼灯が眺めていた書類を手に取る。

「わかりますよね、私がさっきまで目を通していたものです。後は?」
「帳簿の桁が違うのを指摘するのと、サインと捺印と…こっちは資料を作るのと…」
「もう結構です。ではよろしくお願いします」

そう言って鬼灯は新たに積み上げた本を椅子に、低い茶箪笥を机がわりにし、別の書類を広げる。
その背を不貞腐れて見つめながら、ヒサナはペンを取った。

「鬼火使いの荒い…」
「なんとでも。猫の手も借りたい程…と言いたいところですが、それよりも使えるものが文字通り身内にいるのだからいいでしょう?あれですよ、馬鹿と鋏は使いよう…」
「それ貶してますよね?」

ヒサナは言葉を交わしながら、鬼灯がやろうと考えていたことを忠実にこなしていく。
指示されずともわかるのだ。
何故ならヒサナは鬼灯の中から『見て』いたのだから。

鬼灯の『身内』。
本人も言っていたが文字通り身内も彼の身の内。
ヒサナは、丁を鬼へと活かした鬼火のうちの一つ。

体は電動式の玩具、魂は電池と例えれば分かりやすいだろうか。
普通は鬼火が脱け殻の体に入り、体に馴染めば新たな魂の代用となりその肉体を動かす。
精神は体に残った怨念が中枢を司るものだ。
ヒサナ含む鬼火達も鬼灯の中で混じりあい、鬼灯の憎悪を糧に共存するだけだった。
鬼灯が、白澤の店を不意打ちに訪れた日までは。

その日、白澤が鍋で煮詰めていたのは漢方ではなく、鬼火避けの妙薬だった。
勢いよく引き戸が開け放たれたとたん誰が訪れたのかを認識した白澤は、馬っ鹿!と叫ぶも遅く鬼灯はその香りをまともに吸い込んだ。
彼が咳き込み吐き出した鬼火は、その場で身を寄せ守るように集まり主人格を形成したのはヒサナだった。

鬼灯の中で育ったヒサナは、性別姿性格は違えど筆跡等は全て一緒。
そして鬼灯の中に眠り意識がなくとも、彼を通して物事を見ている為全ての感覚を共有することができた。
こうして呼び覚まされれば、中にいたときに鬼灯が考えていた仕事をそのまま共有し、こなすことができるのだ。

「ねぇ丁ーここの計算さぁ」
「鬼灯です」
「めんどくさいな…だって私が抜け出れば貴方は丁でしょう?」

そう言ってペン先で彼を指す。
つまらなそうに目線を寄越す鬼灯の額の角は確かになくなっており、耳も丸みを帯びている。
正確には動けるよう、ほんの少しだけ鬼火を残しているため角も耳もよくみればあるのだが、見てくれは完全に人間の男だった。
鬼火が抜け出れば、当然人と鬼火の合いの子である鬼灯の鬼の力は弱くなる。

「あんなに可愛い子だったのにどうしてこんなにひねくれちゃったのか…」
「それは貴女方が核にしている怨念が原因ではないですかね。私は不便は感じませんが」

そう喋る鬼灯の口内には、いつもは覗く牙もない。
この姿をあまり人に見られたくないようで、鬼灯がヒサナを呼び出すのは本当にどうしょうもない時の、皆が静まり返った真夜中だけだった。

「で、ここの計算がどうみても予算からおかし…んくしゅんっ!うぅー寒い」
「…仕方がないですね」

今までぬくぬくと鬼灯の中にいたのだから、本来なら出ることのない外界に無理矢理引きずり出されれば、服は形成しているが身ぐるみはいで放り出されたようなもの。
寒さに震えるヒサナを見て呆れたように立ち上がった鬼灯は、道服を脱ぐとその肩にかけた。
道服に残る鬼灯の温もりにヒサナは嬉しそうに暖かいと呟くと、襟元をぐっと握りしめた。
こうして彼の物に包まれていると、内にいる時のようで安心できる。
むき出しの弱く心細い鬼火ではなく、提灯の中に守り包まれて灯された焔、正に『鬼灯』になれたような気持ちになる。
体も心も、寒くはない。
その道服の上から、鬼灯がぎゅっとヒサナの肩を抱いた。

「私だって貴女がいないと眠いですし寒いですし、鬼の力も出せず大変不便です。お互いに仕事が捗る以外何のメリットもないのです。さぁ!ですからちゃっちゃと終わらせましょうちゃっちゃと!」
「私に仕事は関係ないので本当になんのメリットもないんですが…」

言うことだけ言ってさっさと茶箪笥に戻った鬼灯の緋色の襦袢の大きな背を見送りながら、ヒサナは彼も鬼灯から取り出された真っ赤な実のようだと感じた。
二人とも『鬼灯』の中に宿る者。
二人あわせて外郭である体を形成し鬼灯となる。
ヒサナは自身である鬼火がパチっとはぜたような気がした。



「もう本当に勘弁してください終わりました眠たい」
「お疲れさまでした…私も限界です」
「お腹もすきました…」
「戻ったら遠慮なく召し上がっていただいて構いませんから」

普段なら徹夜も何のそのな鬼灯が、たった一晩で疲労しきっている。
ヒサナが内におらず只の人間に近い今の状態では一晩が限界だった。
しかし自分と力量が同じ人材が手に入るのだから、疲労が対価ならば安いものだと鬼灯は思う。

「ほらほら、寝たら還れませんよ」
「…この還り方以外に本当に何にもないんですかね」
「白澤さんに聞いてくださいよ」
「だって丁がその姿で白澤様に会うの嫌だって言うんじゃないですか」

鬼灯と呼びなさいと間髪いれずにデコピンされる。
普段の鬼灯ならば脳震盪を起こす勢いだったろうが。一般男性と変わらない肉体である今の鬼灯では、ヒサナは涙目になるだけだった。
じんじんと痛む額を押さえて机から体を起こすと、ぐいと顎に手を添えられ引かれた。

「…首が痛いです」
「貴女が小さいんです」
「ほんと…鬼火でも一応女性属性?みたいですからもう少しお手柔らかに…」
「還りたくないんですか?」
「嘘です冗談ですお手数をお掛け致しますがどうぞ一思いによろしくお願い致します」

そう早口で言い切ると、ヒサナは恥ずかしそうに目を泳がせたあと、意を決したようで顔を真っ赤にしながら目を閉じた。
その一部始終を見た鬼灯は小さく息を吐くと。顎に添えた手を引き上げヒサナとそっと唇を合わせた。

『口から出たなら口から戻せばいいじゃん!』
と正に他人事のように笑った白豚の顔が横切ったが、当時金棒で吹っ飛ばしたようにすぐにその思考を払いのけた。

柔らかな感触。
触れあったと思ったその瞬間、ヒサナの体は鬼火へと解け鬼灯の体内へ収まった。

鬼灯の体が大きく脈打つと、骨が軋み動く痛みと共に角が、耳が、そして牙がその身に形成されてゆく。
いかに鬼と言えどこの痛みには未だに慣れない。
口の中をもごもごと動かしながら元に戻った感覚を確かめた鬼灯は、鬼になった事で眠気も吹き飛び大きく伸びをする。
そして、内に収まった鬼火を確かめるようにそっと胸に手を添えた。
確かな鼓動と共に暖かい灯火を感じる。
自分の内に在る者とは思えない、全く異なる存在に思いを馳せる。

自分の当時の弱い所を知っており、どんなに強くなり鬼神と呼ばれるようになろうとも、本来の弱い姿のままでしか会うことの叶わない彼女。
彼女が身の内に巣くい、燃えたぎる怨念を食べてくれていることで自分は自分を見失わずに、人に言わせれば粘着ではない部類の恨みを発散させながら楽しく日々を過ごせている。
ヒサナがいなければ自分はあのまま死んでいたし、鬼としての生を送ることもなく、大喰らいのヒサナでなければ怨念に身を焦がし、悪鬼に堕ちていたことだろう。

次はいつ会えるだろうか。

お互い相当の負担がかかるため、好き勝手にヒサナを呼び出す事は叶わない。
仕事が滞ってくると、鬼灯の機嫌は最悪になるが、その時心のどこかで、それを理由に彼女に会える事を楽しみにもしていた。
その理由に鬼灯も気づかぬまま、無意識に。

鬼灯はそれを励みに、今日も閻魔大王の補佐をする。

20140714

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