「おはようございます」

返ってくる挨拶など期待せずにコートに入る。一瞬静まり返ったコート内にも慣れたもんだ。見回してみるが、亜里沙の姿は無い。
こちらに歩いてくる跡部の姿を視界にとらえた。

「おはようございます」
「…ああ」
「鳥居さんは?」
「来ねぇ」

来てない。ではなく、来ない。私が視線で理由を促すと顔をしかめた跡部がしぶしぶ口を開いた。
「あいつ低血圧でな。一回朝練来て倒れた事があって、その時これからは無理して来るなと言ったんだ」
「、」

私は咄嗟に傍に転がっていたテニスボールを拾った。――っぶねー!吹き出すところだった。
平然と話せてる跡部おまえすごいよ。
演技だとしてもそうじゃないとしても、それはとても笑える話である。

私は黄色いボールを手に取って再び腰を上げた。ポーカーフェイス。

「そうですか」
「お前今絶対笑っただろ」

バレてた。

「…」
口をつぐんだ私を見て跡部が苦笑する。
先程言うのを渋ったのは、自分も不本意に感じていたからのようだ。

緑色のフェンスをカシャンと掴み、校舎の方を見ながら跡部は口を開いた。

「この前は、悪かった」

「…」
「お前の言う通りだ。俺は自分じゃ何もしていない」
跡部の表情は見えなかったが、フェンスを握る指先が少し白くなっていたのは分かった。――その感情は、後悔だろうか。

「正直な所、お前が亜里沙を殴ったってのは信用できねェ。でも俺達はその場に居合わせたし、見たって奴も何人もいる」
「殴りましたよ」
「、」
「でも後悔はしていません。謝る気も、ありません」

ヒュッと音を立ててこちらに向かってくるボールを、跡部に視線を向けたまま片手で掴む。掌が少し熱くなった。
私の台詞は跡部の心にどう響くのだろう。
私が黙っていると、先程とはまるで違った跡部の瞳に射られる。

「―――ならお前の言葉で聞かせろ」
「…?」

「俺はお前を信じたい。お前の言葉を。だから嘘を吐くな。頼むから、今お前が言う言葉は、なまえ…――お前の、本心」


懇願する跡部。いつの間にか静まり返っていたテニスコートに、その言葉は響く。
私は知らずのうちに硬直していた体を緩和させる。

(お前の言葉で聞かせろ)

昨日、日吉から跡部の言葉を聞かされた時、胸に湧いたあの小さな痛みは絶望であり失望であったのだと今さら気付いた。
――そうだ。私は理解されたかった。

(お前の本心)

私はすっと伸ばした指先を、跡部の心臓の上に添えた。
揺るぎの無い跡部の瞳を見て少し安心する。
相手を心から解ろうとする、この目を、私はよく知っている。

「(…綱吉)」

なまえはあの日のように微笑んだ。
それを遠目で見ていたレギュラー達も、屋上に吹き抜けたあの風と、まだ何事もなかった頃自分達にも同じ表情が向けられた事があったのを思い出した。彼らを襲ったのが壮絶な後悔の念であったのは言うまでもない。


「Io non perdo.」

私は負けません


跡部財閥の息子だ、この程度のイタリア語は理解できるだろう。
「…、悪かった!」
それが証拠に紡がれた懺悔と握られた手のひらの意味を私は確かに理解した。跡部はもう大丈夫。そう願った。

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