――地学準備室。

「…………何でここにおんねん。ドアホ」

扉を開けた私を見て、窓に背をあずけ分厚い資料を読んでいた忍足が開口一番に罵った。
「そっちこそ。」
「こっちの事情や」
「あたしの事を待ってたんじゃないのなら、行くけど」

私がそう言えば、忍足は資料を脇の机に放ってゆっくりこちらに近付いて来た。


「……さっきまで逃げとった癖に、どういう風の吹き回しやねん」
「別に。8人中5人に捕まったの。だからもういっそ全員に会って行こうかと思っただけ」
「へえ」
「まあ、君の場合私と話したいかどうかわからないから、ここに来て居なかったら会わずに行こうと思ってたんだけどね」
「……ほんまに、掌で踊らされとるみたいやな」

溜息をついた忍足は、自嘲気味に笑んだ。
眼鏡の奥で細められた目がこちらに向く。次の瞬間、腕を引かれて引き戸が激しくしまった。
扉と忍足に挟まれながら、私は動じずに彼を見上げた。


「クク、…なんや、逃げへんねんな」

「もう逃げる必要ないからね」
「キャラも捨てたし、反撃可能っちゅうわけか」
「違うよ」
「?」

「忍足はもう、私を襲わないでしょ?」


確信をもってそう言う私。忍足は暫く無表情に黙り込んだ。

「……ほんまに…ド阿呆やな」
「あん?」
「何確信しとんねん。気付いとったやろ自分。俺、とっくに亜里沙なんかどうでもよくなってん」
「…やっぱ?」
忍足に睨まれながら苦笑を浮かべた。
体育館で「亜里沙を囮にしたらどうか」という案を一度提示してきたのは、他でもないこの忍足だったのである。

「亜里沙の笑う顔より、苗字の泣く顔が見たかったんや」
「(今度はSか…)」
「せやから、いくらか無防備すぎやで」

忍足の手がするりと頬を撫でる。私はそれをぱっと手で払った。――相手が本気かそうじゃないかなんて、顔を見ればわかる。


「まったく。…前にも言ったでしょ?」
「…?」
「嘘吐きは泥棒の始まりだそうですよ、って」
「………は。おもんないなぁ、ほんまに」

忍足は私の脇に置いていた手を退かして、私と自分の間に距離を空けた。

「ちょっと色気があるからって、中学生が大人の真似事なんてしないことだね」
「何やそれ。俺のこと褒めとるん?」
「耳大丈夫?」
「失敬やな。色気ある言うたやんけ」
「ザンザスよりはないよ!」
「当たり前や。俺はこれから出てくんねやから」

忍足はポーカーフェイスを崩すと、不機嫌そうに口の端を折り曲げた。

「…前に」
「?」

「昇降口で、お前とあの女が喋っとるの、見たことあんねん」
「……ミドリ?」
「そうや」

そうか。あの時感じた視線は忍足のものだったんだ。

「あんとき自分、素だったやろ」
「…うん」
「やっぱりな。笑った顔、なんや見たことないもんやったし。……正直、俺疑うてんねん」
「?」
「あのミドリって女とお前グルだったんちゃうかって、な」
「!!」
思いがけない言葉を連発する忍足。

「普通疑うやろ。徹底主義の苗字が素で接してた氷帝生徒やで?実はあいつも、ボンゴレのなんちゃらっちゅう組織の一員やった。…なんてオチも考えられ、」
カチャ
私は懐から取り出した拳銃を、忍足の眉間に押し付けた。

「ほんと…中学生のくせにイイ勘してるよね。」


「!」
「ヴァリアーに勧誘したくなっちゃう」
「、苗字」
「気付かないふりでもしとけば、まだまだ幸先良い未来を歩めたかもしれないのに」
「…」
「……バレちゃったんならしょうがない

 あんたには、ここで消えてもらおうかな」
「……………苗字」

忍足はひくっと頬をひきつらせた。

「……ごっつ笑い堪えてんの…バレバレやぞ」
「ぶほっ」

その言葉に耐え切れず吹き出せば、忍足は拳銃を私の手ごと押し返した。対する私は忍足の突拍子もない仮説に腹筋崩壊である。

「あっはは、はは、ひー!げほっ、あははは」
「……俺真面目に言うてんねんけど」
「っはっはっはははぎゃははごほっごほっおえ!」
「えずく程に笑いなや。腹たつやっちゃなぁ……!」
「だって、あはは、ありえなすぎて」

ひとしきり笑い終えた頃には、忍足の機嫌は氷点下と言えるほどに悪くなっていた。

「ごめんごめん。ふー…水ない?」
「あるわけないやろ!」
「こわ!ごめんって言ってんじゃん…」
「……」
「ごほん!あのねぇ、」
無言で『ありえない』理由を促してくる忍足に、優しい私は説明してあげることにした。

「考えてごらんよ。ボンゴレはとっくに鳥居亜里沙と父親の身柄を確保してたんだよ?殺す気なら本部に戻ってからいくらでも殺せる。」
「…」
「鳥居からはまだ吐かせたい情報がいくつかあったから、あの場で殺されたのは正直痛手だし…。それにもし仮にミドリがボンゴレのスナイパーだったとしたら、ちょっと目立ちすぎだよね?」

あそこには君達は勿論、綱吉達やボンゴレの下っ端だっていたわけだから。

「内輪でやり方に不信感を抱かせるのはボンゴレ流じゃないの。」
「……」
「ここで死人は出さないって跡部とも約束したし。」

――「未成年の目前って事で、死者はなるべく出さないように言っておいた」


「以上の事から、私達とミドリは繋がっていないと言えます。」
「…」
「納得いってない顔だね」
「………いや」

ふう、と深く溜息を落とした忍足。

「………俺の負けや。」
「あんたの鋭い考察力だけは認めてあげるよ」
「何で上からなん」
「だって年上だし。」
私はぐっと伸びをして、
「ボンゴレの疑いも晴れたことだから、あたし行くわ」
扉の取っ手に手をかけた。

「待ち」
忍足は私の手首を掴むと、反対の手で私の袖をめくりあげた。消えずに残っている痣や擦り傷を見て、忍足は僅かに眉を寄せる。
「…」
しかしそれも数秒。
彼は左腕をじっと見つめながら私に問いかけた。

「…まだ痛むやろ」
「……治った」
「嘘吐きは泥棒の始まりやで」
「。」

喉の奥で笑いを洩らした忍足はすっと腰を折り、私の腕に唇を触れさせた。

「…謝らへんで」
「、」


「俺が、俺の為だけに、苗字に付けた傷やねんから。」


挑発的に、妖しく笑みを浮かべて私を見上げる忍足。
こいつほんとに中学生かよ。
「……生意気。」
「っで」
その額に渾身のデコピンをお見舞いしながら、一体どんな大人になるのやら、と一抹の不安が胸をよぎった。(案外、同業者になったりしてね。)

「何笑てんねん」
「べつにー?」
今度こそ、扉を開けて廊下に足を踏み出す。

「じゃあね。忍足」
「………謝らへんで!!」
「うっさ!もう聞いたよ」
「謝らへん、けどなぁ………



 おおきにな」

心底不服そうに、僅かに頬を赤らめながら眉をしかめて言い放った忍足。そうそう、人間素直が一番だよ。ひねくれた彼に軽く手を振り、私は昇降口へ向かった。

「…」

(……なんや…笑うた顔も、オレけっこう好きやんけ)

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