鳳から衝撃の方程式を告げられてから暫く脱力していた私だったが、今はもう立ち直った。良い経験をしたと前向きに考えよう。 「……あの…」 「ん?」 「…」 鳳は私の少し後ろを歩きながら、俯いて口を閉ざした。 氷帝の長い長い廊下に沈黙が落ちる。 「…いー天気」 私は立ち止まって窓を開けた。 下を覗けば、見張りに飽きはじめたのだろう、部員の数人が肩をこづきあって笑っていた。 彼らも跡部の自己中に振り回されて可哀想に、と思っていたけど、その光景はたいそう平和なものである。 「…すいませんでした!!」 「!……。」 腰を90度に折り曲げて私に頭を下げる鳳。私は彼の行動に少し驚いたが、小さく溜息をついて窓枠に腰かけた。 「……あのねぇ、あたし」 「分かってます!」 「……」 「……分かってます、」 鳳は、今にも泣きそうにくしゃりと顔を歪めた。 「先輩にしてきたことは……こんな謝罪一つではとても収まらない。」 ――テニスで人を傷つけるなんて と、鳳は脳裏にジローの言葉を蘇らせた。 「でも、…例え先輩が俺達の謝罪を望んでいないとしても………」 「泣いて謝れば許してやるんですけどね。」 「考えれば考える程、」 「亜里沙先輩がいないから、自分を売り込む気ですか?」 「思い返せば、思い返すほど……っ」 「俺はあなたを許しません。亜里沙先輩を傷付けて満足するようなあなたを許しません。同情もしません。…その腕も謝る気はありませんから。」 「溢れてくるのは、後悔ばかりだ……!!!」 今にも崩れ落ちてしまいそうなほど、自責の念に囚われるこの青年の、きつくきつく握りしめた拳。 気付けば私は自分の掌でそれを覆っていた。 「……痛いの?」 「、え…?」 おかしいな。普段のあたしなら……昔のあたしなら。こんなの振り切って遠くへ行けた。 お前らなんて知ったことか!とせせら笑ってとっくにイタリアに戻ってた。 苦しめばいい。いつまでもいつまでも、心のどこかにあるその後悔で苦しみ続ければいいとそう嘲っていられた、はず。 「…」 彼らに会ったから? 「…人を殴ると、自分の拳も痛むんだって、綱吉が昔言ってた」 「!」 「……いたいの?」 もう一度訪ねると、少し間を置いて、鳳は小さく頷いた。 「…そっか」 私は彼の手を離す。 これでよく分かった。彼らはとてもよく似ているのだ。――あの心優しい青年に。 「じゃあ猶更謝られる筋合いないね」 私は、ふいと視線を外に投げた。 「…先輩」 「わたしはその気持ちよくわからないもん。」 彼らが光なら 「殴るより先に殺しちゃうから。」 私達は影。 「手なんか痛まない。心はもっと痛まない。私達は私達のルールの上で、心底楽しく殺しができる。」 指先を鉄砲の形にして、鳳に向けてみた。 鳳の顔は 何故か見られなかった。 「ね?だからさ、君らが必死に謝る必要なんて、どこにもないんだよ 私達は生きてる世界も立ってる場所も違うんだから。 君らに一生懸命に許しを請われる価値なんて、ほんとはあたし、「先輩!!!」 うわ!もー何よ…びっくりしたな…」 「先輩、苗字………なまえ先輩」 鳳は、私の突き出したままの手を引っ張った。 窓枠から腰を上げて、私よりいくらも背が高い彼を見上げる。鳳は泣きそうな、怒ったような、反抗的な、そんな顔をしていた。(…あれ。おかしいな) 「なんて、……なんて、慰め方です…!それは」 もっともっと、恐怖に満ちた顔をしているかと思った。 「生きてる世界が違うって…先輩が人を殺すって…そんなの、もうとっくに知ってます!!」 「…!」 「でもそんなの、だから貴女を傷付けていいだなんて、そんな…そんな理由にはならないじゃないですか!」 「…鳳」 もっともっと、悲しい顔をしていると思った。 「なまえ先輩……、たくさん、酷い事をしてごめんなさい」 「俺達を護ろうとしてくれたのに…気付かなくて、」 「強い先輩を、弱い俺達が、何度も………すいません、先輩」 「………先輩。」 「氷帝テニス部の未来を、ありがとう…ございました!!」 頭を下げて、私に誠意を見せた鳳。私の言葉による説得なんかまるで気にしない彼は、どこまでも自分に誠実だった。 「………馬鹿ばっかり」 目尻に涙を浮かべたままの鳳が、え、と顔を上げる。 「ずっと思ってたけど、頭カチカチだよ!みんな」 「…すいません」 「あたしのことなんかサッパリ忘れて、新しいスタートをきるとか。そのほうがよっぽど」 「無理ですよ…それは絶対」 「…なんで?」 「貴女は俺達にとって、これまでにないくらい大きな存在ですから」 どんだけ大袈裟だ!とツッコもうとしたけど、鳳が真面目そうに私を見つめていたから結局黙ってしまった。 「……君らはホストが天職なんじゃないかな」 「ま、真面目に言ってるんですよ!」 「分かってるって」 鳳が不服そうに眉を下げるから私は小さく微笑んだ。 「ごめんよ。もう言わない」 「先輩」 「許すとか、許さないとか、あたしが言える立場じゃないんだけど…… でも、なんか嬉しいよ」 口に出してみると、そんな気がしてくる。 嬉しい。 うれしい… …そうか、嬉しいんだ。 「あたしも、まだまだガキみたい」 ×
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