里紗はすぐにシュンを好きになった。
彼女にはたまに、なんだかこの人は好きだ、とピンと来ることがある。こういうところが気が利くから好きだ、とか、優しいとか、そういう具体的なことではなく、運命的で抽象的で、感覚的な何かが、誰かと通じる。そんなかんじだ。まるで心の奥底に、自分を操縦する全く別の生き物が潜んでいて、それが命令するから好きになる、というようなかんじなのだ。
シュンはまさにそれだった。
彼の前にピンと来たのは彼女だった。シュンのうしろを黙って歩きながら、里紗は恵のことを思い出していた。
恵は、両親が勤める国営霊媒師団の、医療班で働く若い人間の女の子だ。今年で23歳だと言っていた。親の職場に遊びに行ったときには、彼女がよく構ってくれた。恵は、里紗が生まれる直前に起こった大規模な戦闘の最中に、霊媒師の男に助けられたおかげで生きながらえたのだと語った。だから、その霊媒師たちと共に働き、助けることを夢見て医療班に就職したのだという。
でも、自分を助けてくれたその霊媒師は、そのあと戦渦に巻き込まれて亡くなったらしい。
「里紗ちゃんのこと、どうも他人とは思えないわ」
恵はいつだかそう言っていた。
「だって、私を助けてくれたその人も、あなたみたいな白い髪の毛をしていたんだもの」
でもその人は霊媒師として、“この種族”らしく夜の世界に生きていたのでしょう。なら私より幸せね、髪の毛をからかわれたり、じろじろと白い目で見られることもないんでしょう。
そう思って、里紗にとっては恵の命の恩人さえ嫉妬の対象にしかならなかった。
「車を待たせてあるんだ、」
シュンが急に喋り出して、里紗ははっと我に返った。
「そこに俺の連れがいるんだけど、大丈夫か? アイノコの男だ」
「アイノコって言葉、普通に使うんですね」
里紗は驚いて言った。一般世間では、その言葉は差別用語としてほとんど葬り去られている。
「差別用語だって言いたいのか? あんまりそういう風に思ったことないんだよなあ、世代かなあ」
世代か。彼女はただ納得してしまった。こんな世代に生まれたから悪いのか。
所詮、この言葉を差別用語と位置づけたのもうちの両親達が悪いだけのことなんだろう。そう思うと、今までそれに流されてその言葉を使うことを避けてきたのが馬鹿馬鹿しくて、なんだか悔しかった。
「あ、ほら、あそこの黒い車だ」
シュンは走って先に行ってしまった。そして運転席側の窓ガラスをノックして、ゆっくり開いたそこに向かってなにか喋っている。里紗が辿りついたときには、シュンに指をさされて、
「この子。里紗って言うんだって」
と、車内の人物に向けて紹介された。彼女はぺこりと頭をさげて彼にあいさつをした。車内にいるアイノコは、肩までの艶々した黒髪を耳にかけた、消えてしまいそうに涼しい顔立ちをした男だった。
「カエデです。よろしく」
カエデと名乗った男は、軽く手を振って里紗に微笑みかけた。シュンよりさらに女性的な風貌だ。優しげで安心した。ふたりもシュンのような無愛想な男がいたらひとたまりもない。
「よ、よろしくお願いします」
「とりあえず乗っちゃえよ」
シュンに促されるまま、車の後部座席に乗り込むと、シュンは助手席に着いていた。
エンジンがかかり、車が発進する。なんだか夢みたいだった。知らない人たちと、知らない土地へ行けるのだ。これから。
「言っとくけど、あんたが期待してるほど遠くじゃないからな。あ、俺の家じゃなくて、この人ん家だけど」
心を読んだかのように、シュンがそう言った。ミラーにうつった彼の顔は笑っていた。
「どのくらいですか?」
「こっからだいたい……30分か35分ぐらいかな」
シュンが住所を教えてくれた。
「充分です、多分」
「ならいいんだけどさ」
「アイノコの子が家出なんて珍しいね……まあ、シュンがそんな子を拾ってくることのほうが驚きだけど」
カエデがハンドルをきりながら言った。
「やっぱり師匠に似るものなのかな?」
シュンに答える隙も与えず、カエデはそう続けた。
「あんなふうにはなりたくないな」
溜息のようにシュンが答える。
「あんなに大好きだったのに?」
「昔の話だ、それに」
シュンは窓の外に目をやって、座りなおしてから続けた。
「大好きとかそういう次元じゃない」
カエデがくつくつと笑った。里紗はそれをぼんやりする頭で聞いていた。
「里紗ちゃんはどうして家出なんてしたの?」
「……私は……両親に、将来の夢を反対されて」
「将来の夢!! 時代は変わったんだねえ、私たちの時代じゃ考えられない。だってどうしたって将来の進路は一択だ」
カエデは切なそうな台詞とは裏腹に、楽しそうにそう言った。
「まったくだな、アイノコに進路選択の自由か……里紗は何になりたいんだ?」
シュンに問われて、里紗は一瞬口をつぐんだ。
反対され続けたせいで、言うのが怖い。しかし、この人たちになら。
今までなんども飲み込んできた本心を、里紗は思い切り彼らにぶつけようとした。
「れ……霊媒師」
信号で車が停止した。シュンとカエデが顔を見合わせる。
「それを両親が反対してるのか?」
「というか、逆に君を何にさせたいのか」
「分からないわ、たぶん普通の人間みたいに就職して欲しいんだと思う。だから、今普通に」
「両親は霊媒師なんだろ?」
「そうです」
「おかしな話だねえ。娘は霊媒師になりたいって言ってるんだから……きっと私は里紗ちゃんのお父さんやお母さんと同じぐらいの世代だと思うけれど、まったくその気持ちは理解できないよ」
カエデがそう言って苦笑いする。同調してくれる人に初めて出会った。うれしかった。しかも、親と同世代のアイノコに同意をもらえたのだ。一気に世界が広がった気がした。
「俺も理解できない……あ、言っておくけど俺はこいつよりかなり下だぞ」
「かなりってほどじゃないでしょ」
「シュンさんはいくつなんですか?」
「……33。でも、その“シュンさん”っていうのはやめてくれ、敬語も使わなくていいし、呼び捨てにしてくれ。おっさんになったような気がして切ない」
「わ、分かった……カエデさんは?」
「おっさんなのは事実でしょ。あ、私のことも友達だと思ってカエデって呼んでね」
「分かったわ」
里紗は頷いた。
「私は52ぐらいだよ。ちょっと定かなことは分からないんだけどね」
そのぐらいの世代の人は、出生の記録が曖昧で、実年齢はよく分からないという人が多いらしい。しかしまあ、老いないアイノコにとって、年齢などほとんど意味をなさないのだからどうということはないのだが。
車が発進した。
「それから……学校に行きたくないの。学校にはアイノコなんて他にひとりもいないし、それに……こ、この髪のことで、いじめられるし」
「義務教育だって終わってるんだろ? 学校辞めちまえばいいじゃないか」
「両親が行けって」
カエデが苦笑する声が聞こえる。
「家出したい気持ちも分かるわ」
と、シュン。
「でもさあ、シュンもどちらかというとこっちの世代の人間なんだから……彼女の両親が、自分たちの背負ってきたものを娘に味わわせたくない気持ちも、分からなくないんじゃない?」
シュンは黙り込んでいた。うーん、とうなる。
「お父さんもお母さんも、私に何も教えてくれないわ。私が生まれる前の戦争のことも、昔の世の中が私たちにとってどんなものだったのか……教えてくれさえしないのだもの、何も知らない私が、何を望んだって仕方ないことじゃない……でも誰も分かってくれない、私がどんなに霊媒師に憧れているか、語られる伝説にどれだけ思いを馳せても足りない、私は夢を叶えたいんです」
里紗はそう言い切ったと同時に、初めて本音を吐き出した興奮と、深夜に街中を走り抜けて一気にいろんなことが起きたことにたいする疲労がどっと吹き出してきた。
話しすぎてしまったのが恥ずかしくて、彼女は黙っていると、気付けば眠ってしまった。ここちよい車の揺れに、睡魔はすぐに訪れたが、それとて彼女には悔しかった。自分がすでに昼間に生きる者に成り果ててしまっているということだ。彼らと生活を共にして、いつか自分も、闇夜に染まることができるだろうか。そんな期待を胸に、里紗はいつものように、恵を助けたそのアイノコに対する、想像だけの嫉妬と恋慕の夢に堕ちていった。



シュンはミラーに映ったあどけない寝顔を確認してから、カエデに話しかけた。
「“あの話”、子供にしないもんなのか」
「私はするべきだと思うよ、あの戦争で全てが変わった。人間たちは何もなかったかのようにまた生活しはじめたけれど、アイノコは多くを失って多くを得た。里紗ちゃんだって、きっとあの戦争の直後に生まれたんだろう? 出生に関係ないとは言い切れない」
カエデの言葉に、シュンはうんうんと頷いた。
「君は大事な師を殺され、自分も殺されかけて、今までの自分の生活を全て捨てて生きながらえた。そして私に出会った。君みたいに変化したアイノコはきっと少なくないはずだよ」
「そうだな」
「里紗ちゃんはまるであの日の君みたいだ、状況は大きく違うけれど、全てを捨てて、たったひとりで真っ暗な闇の中を手探りで進む姿は……君を思い出したよ」
カエデは落ちかかってきた髪の毛を耳にかけて微笑んだ。
「どうして関わらない方が楽なのに、餓鬼がひとりでいると構っちまうんだろうな? 俺もあんたも……あの人も。そんな真似しないほうが賢く生きられそうなものをさ、」
「それが必然だからだよ、彼に助けられない人生を、私に声をかけられない人生を、君が本当に望んでいるとは思わないね。彼女を助けるのも、当然だ」
「そりゃあんたには純粋に感謝している、だって、あんたは、まともだし」
カエデは声をあげて笑った。
あんまり笑うので、シュンはばつが悪くなって両手をダウンのポケットに突っ込んでむっとした表情をしてみせた。
「まともかどうかなんてそう簡単に分かるもんじゃない、私は少なくとも君の師匠の旧友だからね、類は友を呼ぶと考えるのなら、そうまともとも言い切れないだろう」
「でもあんたはまともだよ、そもそもさ、なんでそんなことのためにわざわざ帰って来たんだ? あの時、日本に」
シュンは、17年前の戦争の最中、師匠の旧友を名乗る男に拾われた。その男、カエデはイギリスに住む、霊媒武器の鍛冶屋だった。アイノコが霊媒に使う青く輝く刀は、えらばれたアイノコだけが作ることができる。カエデはそのひとりだった。
「彼に頼まれていたからだよ、自分の身に何かあったら、弟子を頼んだって。昔からそう頼まれていた。大切な親友の頼みだよ? 訃報を聞いて、もちろん飛んで帰ってきた」
「あの人が?」
「そうだよ。でもまあ、君は覚えていないだろうけど、一度だけ君とは会ったことがあるんだ、君が小さい頃にね。そのときは礼儀正しくて大人しい、なんていい子なんだろうと思ったけどね、何年ぶりかに君の姿を見たら……まあ荒れ果てててびっくりしたよ」
カエデは懐かしそうに笑うが、シュンはただ恥ずかしかった。
本当にあのときの自分は酷かった。師匠をむごく殺され、仲間を裏切ってまで敵討ちに出てきてしまったものだから、孤独で、そのうえ単なる過労だと思っていた体調不良が、実は結構な病気で、その病魔に犯された身体に鞭打っての戦闘もあったために、シュンは心も身体ももうボロボロだったのだ。その状態では、せっかく無償の愛で助けてくれたカエデの好意も、受け入れることが難しかった。
「君が本当は良い子なのはよく分かってるから」
「なんのフォローだ」
シュンの身体がよくなった頃、ふたりで一度イギリスへ渡った。長期療養と称して、シュンはそこでさらに、病んだ心を癒し、21歳ぐらいのときに、ひとりで日本に帰ってきた。それからは当時の仲間と会うことを恐れて、関西のほうにひとりで住んで、個人霊媒事務所を設立、しばらくそうして生活していたが、最近カエデが日本に帰ってきたので、今はたまたま、東京にある彼の家に泊まりにきていたのだ。
そこでだ、こんなことが普通、起こるだろうか? 人助けだとか、そんな徳の高いようなこと、全く嫌っていたのに、たまたま助けた家出少女が、“あの戦争で別れた知り合い”と同じ真っ白い髪の毛をしているなど。
何か運命の糸を操作されている気がしてならない。
彼は今どうしているだろう。里紗と関係があるのだろうか? だとしたら彼女が起きたら聞いてみよう。あまりに、シュンには情報が少なすぎる。あのあとすぐに日本を発ってしまったし、戻ってからはひとりきりだったから情報もなかった。そのうえ、情報を、過去に自分と関わった人たちを避けて生きてきた。
「君から話してやったらいいよ」
「え?」
「戦争のことを。私は肌で体感していないからね。実際に戦渦にいた君が、一番伝えられるだろう。次の世代にも」
「ああ……」
シュンはあまり乗り気ではなかった。できることなら話したくない。あのことを。
「君も新しい何かを掴めるといいね」
カエデは微笑んだ。
それきり黙って運転していて、シュンも何も言わなかった。
あの戦争の終焉と共に、あの時代に捨ててきてしまった過去の自分が、今にも俺を殺しに来る。そんな妄想が、シュンの心の深淵には巣食っていた。


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