理一が祐と壱火の家に着くと、涼子は祐のものらしいベッドで寝ていた。その下に座り込んだまま壱火が寝ていて、室内はなんだか閑散としていた。
「会長、大丈夫?」
祐が、部屋に入るなり足がふらりとよろけた理一の顔を覗き込んで恐る恐る尋ねる。彼は俯いて一度深くため息をつくと、
「大丈夫です、なんだかこの子達の顔を見たら安心して、力が抜けました」
と答えた。そして涼子のほうへ静かに近づき、優しく揺り起こした。
「……あ、お兄ちゃん、もう迎えに来たの」
ふわふわした口調で涼子が言いながら起き上がった。
「ああ、ごめん、涼子」
理一は彼女の身体をぎゅっと抱きしめる。
「涼子、やっぱりお前をこの前に言ってた国営の人のところに預けることに決めたんだ」
理一がそう言うと、涼子はやはり少しだけ不満そうな顔をしたが、
「……いいよ」
と、答えた。
「ごめんな」
「ううん。そのほうがお兄ちゃんが安心できるならそれでいいよ」
兄に似てよく出来た子だと、環は彼女の笑顔を見て感心した。
「うん、絶対迎えに行くから。すぐに。荷物はあとで届けるから、今から笹川さんと一緒に行ってくれ。俺もそのへんまで一緒に行くから」
「分かった」
聞き分けのよい妹はすぐにベッドから降りて、兄と環のあとをついてきた。
「じゃあ、祐さん、お騒がせしました。壱火くんも」
「うん、またね。お疲れさん」
祐に見送られて3人は彼の家をあとにした。
しばらく夜の住宅街を無言で歩いていると、そこにはひどく似つかわしくない平和な静寂が広がっていて、環は先ほどまでの惨劇とそれを比べると吐き気がした。
「さっきまでのこととこの平和な夜を比べると、吐き気がしますね」
しかし、全く同じことを口に出したのは理一だった。
「同じこと思ってたわ」
「人間たちの無関心には本当に腹が立つ」
今の理一は本当に気がたっているようだった。
「そうね……あのね、坂上くん」
「はい」
「まだ他の誰にも言っていないけど、私のここでの任務はもう終わりだって言われたわ。アイノコ協会のほうから」
「え、それは、つまり」
「そう。私がいなくなるってことは、すぐに武器が没収されるってこと」
理一は言葉を失った。これ以上彼の神経を逆撫でしたくなかったが、言わないわけにはいかなかった。
「私はもうあなたに情が移りきっちゃってる。あなただけじゃなく、革命軍に。だから武器がなくたって、どうにかやっていって、革命を完成させてほしいって、そう願ってる。でも武器がなくなった状態でも……いいえ、武器がなくなった状態だからこそ、アイノコ狩りはあなたたちを……」
環は涼子がいる前なのでそこで言葉を切ったが、理一もそれに関しては十分に理解しているようだった。このままでは全員惨殺される。
理一は黙って何度も頷いた。
「俺はもう一度源会長と話してみます」
「会長はきっと分かってくれるわ。それに私からも言っておく。私はまたここに戻ってこられるかもしれないし」
「ありがとうございます」
祐の家は駅から近いことは知っていたが、喋りながら歩いていると気付いたら到着してしまっていた。理一はそれに気付いて咄嗟に、
「笹川さん、あなたはどうしてここの監視役に任命されたんですか」
と尋ねた。
「左遷よ」
彼女はしれっと答えて笑う。長い黒髪が夜風に揺られてきらりと光った。
「亡霊を託ったの」
「なんでそんなこと、」
「私、立場はお構いなしにすぐ誰かに情が湧いちゃうのよね」
「俺にも、そんなかんじですか」
環は微笑んで、首を横に振った。
「あなたに同情なんてしてない。今までありがとう。じゃあ、行くね。涼子ちゃん、おいで」
「お兄ちゃん、またね」
「うん、いい子にしてるんだよ、涼子」
理一は今生の別れのように涼子を抱きしめ、そして背中を押した。
「よろしくお願いします、それから、」
「?」
「また会えたらいいですね」
「そうね。じゃあ、また」
環は最後まで笑顔で、去っていった。
理一はふたりの姿が見えなくなるまでそこに立っていた。環が涼子のほうを見て、微笑んで何か話しかけ、涼子もにっこり笑ってそれに頷く。楽しそうに談笑するふたりの後姿が人混みに紛れて消えていった。
自分はどうなってもいい。でももし本当に、涼子と会うのがこれで最後だとしたら、涼子は肉親を全員失ってしまう。そんな目にあわせるわけにはいかなかった。どうにかして、自分か貞清、どちらかひとりでもいい。生き残らなければならない。彼女の未来のために。


帰って来た理一は開口一番に、
「俺たちが死んだら涼子はどうする?」
と言った。
「死ななきゃいい」
俺は肩をすくめてそう答える。理一は俺の顔を見てため息をつくと、靴を脱ぎ捨ててそそくさと階段を上がり始めた。
「笹川さんはもう戻らない。武器もすぐに没収されるそうだ……アイノコ狩りの襲来は間をあけずにやってくるだろう」
理一は乱暴にリビングの電気をつけた。俺が彼の言葉に驚いて立ち尽くしている間に、理一は自分が先ほど蹴倒した椅子(そのときにはもう元通りだったが)に座った。
「マジかよ」
「お前はのん気すぎるんだ。少しは気を張れ」
「それで、どうする」
俺は怒られたのも気にならず、彼の向かいの席にいそいそと座った。
「この家を空けることも考えた……でもここにあえて残って同じことを続けることも考えた」
「上の許可もなく武装したらあとでどうなる?」
「もちろん源会長に交渉するさ。今すぐにでも」
「じゃあ今帰ってこないでそのまま笹川さんと一緒に本部まで行ってくりゃよかったのに」
「お前が行ってきてくれ」
「は?」
「今すぐに」
理一の切羽詰まった様子が怖い。俺は命じられたことに異議があるわけでもなんでもなかったが、ただ理一の目、それだけが心配で簡単にその場を動けなかった。
「どうして俺が? 理一、大丈夫か?」
「つべこべ言うなよ」
これは相当機嫌が悪い。
「俺に行かせて、そのあいだに何する気だよ」
「ここに残る。まだ武器があるから大丈夫だ、それに何人か呼んであるし。だからなるべく早く行ってくれ、行って武器を没収させる使いを出さないように、源さんに」
俺は思わず立ち上がった。しかし行くことは出来ず、
「……お前が行って来い、俺が残る」
と、首を横に振った。
「今のお前じゃあんまりにも心配だよ。どうした? 俺にわからないわけないだろ、変だよ、理一」
理一は俯いている。髪の毛で表情がまったく見えなくなっていた。
「俺は死ぬだろう」
かぼそい声で彼は確かにそう言った。
「……え?」
確かに聞き取れたが、聞き返してしまった。
「俺はこの革命で死ぬだろう。もう、涼子を迎えに行けないと思う。俺まで失って、それであの子が本当に幸せになれるのか分からない」
俺は再び座った。
「俺に何かあっても、お前は生きて涼子を迎えに行ってくれ。俺かお前かで言ったら、お前のほうが確実に生き残れるだろ」
「馬鹿野郎、あの子のたったひとりの兄貴を死なせるもんか。お前は死なない。必ず俺が守る」
そういうことを言うと、必ず「俺の面子を潰すな」と文句を言った理一が、しばらく黙って、そしてふと笑い、
「……ありがとう。源会長のところには俺が行ってくるよ。ここは頼んだ」
と言った。彼は立ち上がって、脚を引きずるようなどんよりとした歩みで部屋を出て行こうとした。
「理一、」
俺はその後姿に呼びかける。理一がゆっくり振り返った。
「行きがけになんか食え。コンビニしかやってないだろうけど」
「入らない」
「無理やりにでもだ」
理一は苦笑いして、そのまま部屋を出て行った。
胸が詰まって食欲がなくなって、ほとんどまともな食事をしていないのが悪いのだ。食べればあんなおかしな様子もすぐに治る、と俺は信じたかった。
そしてその夜、襲撃がないまま世が明けた。
その代わりに俺は嫌な予感がし始めた。こういうときの勘は恐ろしく当たる。
理一が呼び集めていたのは、俺たちふたりと歳が近くて普段もよくつるんでいた3人だった。個人霊媒師同士でルームシェアをしている天涯孤独の貧乏人、悟と晋吾。大学生の洋二。3人がリビングで刀を抱きかかえたまま眠りこけ始めても、まだ理一に連絡がつかなかった。
空が白んできた頃、俺のところに電話がかかってきた。理一からだった。その音で寝ていた3人がわらわらと起きだし、俺の周りに集まって電話の声に聞き耳を立てた。
「もしもし理一? どうした大丈夫か?」
「遅くなってすまん、襲撃はなかったか?」
「なかった」
電話でも分かるほど彼の声は暗くよどんでいた。
「もうすぐ家に着く。俺じゃなく、会社の人間が、武器を没収しに」

back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -