理一は苛立った様子で部屋を出て行ったわりには、冷静に涼子のもとに向かったらしい。俺は彼が不在と分かるとすぐに、失意の革命軍をそれぞれ家に帰らせた。
「お前も帰れよ。送っていってやろうか」
リビングのソファのうえに体操座りしてぽつんと残っていた深雪に俺は声をかけた。
「門限すぎたから帰りたくない」
「なんだよそれ……門限なんて言葉、今の状況に一番合ってないな」
「言えてる。馬鹿みたい。これも馬鹿みたい」
そう言いながら、深雪は眼鏡を外してテーブルに放った。
「それってさ、伊達なの?」
俺はソファに近づきながら言った。今そんなことは本当にどうでもよかったのだが、そこで沈黙する気にもなれなかった。
「うん、伊達。パーカー着てるのもホントは暑い」
「じゃあなんで?」
「あたし、周りの人間にアイノコってバレるのが嫌だったの。クラスの子たちには最初から知られてたけど、肌キモイから見せんなって言われて」
深雪は自分の膝に顎を乗せたまま、無表情に続けた。
「キモイって思われてまで露出する気になんないし、どうせなら人間と変わんない生活がしたかった。でも剣術は好き。もっともっと強くなりたいし、アイノコに生まれたおかげで身体能力が人間より高いってことは、気に入ってる。人間にはなりたくないよ、でも人間と差別されんのだけは嫌だったから、人間に混じって生きてたかったの。だから特徴的な目と肌を隠そうと思って、こんなことしてた。マジで暑くて死にそうだったよ」
「だろうな」
「泉くん、お話中ごめんなさい」
「はい?」
またも気配を消していた笹川に俺はびっくりさせられた。彼女は本当にプロの監視人だと思う。
「坂上くんが、涼子ちゃんを今から南のところへ連れて行って欲しいって言ってるから、私これから神部さん家まで行ってくるね」
「あ、分かりました。涼子、お願いします」
笹川は軽く頷いて出て行った。
だだっ広いリビングには俺と深雪、ふたりきり。まあ、俺はその前から笹川の存在を認識していなかったわけだが、今度こそ本当にふたりきりだと思うと、なんだか気まずいような気がした。
「貞清はそういう風に言われたりしたことない?」
深雪が尋ねた。俺は彼女の隣に腰を下ろしながら、学生時代に少し思いを巡らせたが、そこまで考える必要もなく、
「あったかもしんないけど、俺ビビられてたからそこまでじゃなかった」
と答えた。
「顔が怖い男はいいね、それだけで守られてて」
「顔が地味な女は大変だな」
こめかみを指ではじかれた。地味女の攻撃は地味に響いた。
「ごめん」
「さっき目の前で人が死んだばっかりなのになんてくだらないことしてんだろ」
「ホントだな」
「なんか全然やっちまった感がないんだけど」
「俺も」
「よくないね」
「よくないな」
「理一さんはすごいね、これは復讐じゃないって言い切れて。あたし、言い切れる自信ない」
「あいつだって言い切ってはねえよ。搾り出してるだけだ、本当はあいつも俺もお前も、この革命軍の誰しもが、アイノコ狩りを自分が失った者と同じようにしてやりたいって思ってる。心の奥底で」
「でもまだそれを誰も爆発させてないよ、あの人だって、全然そういう風には見えなかったもん、結果的に殺しちゃっただけ。殺意は全然見えなかったよ、あたしすぐ傍で見てたから分かる」
「そうだな……まだ、皆大丈夫だよな……」
「大丈夫でも、ルールはルールだって言われちゃうんでしょ。あたしたちこれからどうするの?」
俺はその問いに一瞬黙り込んだ。理一も笹川もここにはいない、源会長ともしばらく連絡を取り合っていない。革命軍も去り、アイノコ狩りも警察も去って、俺と深雪しかいないこの場所はもはやただの家でしかなかった。そうなると、急に自分たちがやっていることに現実味がなくなって、何もかも嘘みたいに軽薄に感じられた。それで今までのような馬鹿げた会話をしてしまうにいたるのだ。その流れだったのに、深雪がもっともな心配を口に出したのが、逆に物凄く異質なことに感じられてしまった。
「……源会長次第……いや、理一次第だな」
ぼんやりはしていたが、考えて慎重に答えを出すと、そんな言葉になった。深雪は目を丸くして、
「理一さんにどうにかできるの?」
と聞き返した。その瞳があまりに純粋というか、子供っぽいというか、とにかくこいつ何も考えていないんだなと思い、俺は少し笑って答えた。
「できるかできないかって言われたら、そりゃどうにもできないだろうけどさ、やるしかないだろ。上がなんと言おうと関係なく、理一がっていうか、俺らが」
深雪はすぐに納得したような顔になってうんうんと頷いた。
「でもそこで決断して俺たちに命令するのは理一だ。武器没収されたところで、包丁でもなんでも使って強行突破すればいいと俺は思う。でもとりあえず今は、理一が心配」
「なんで?」
彼女はついさっき納得しながらもたれた背もたれからパッと身を起こして尋ねた。
「なんでって、見ただろさっきのキレっぷり」
「あー……」
苦笑いしながらまた背もたれにうずまる。
「まあ、俺たちのことは二の次で一番に涼子のところに行くってことは、まだ普段のあいつだから現時点でそこまでヤバイってことはないだろうけどさ。分かるだろ、ああいう真面目で正義感の強いやつが一番怖いんだよ、スイッチ切り替わっちゃったとき」
「うん、なんとなく分かる……でも理一さんに限って」
「理一さんに限ってありそうなのー」
俺は深雪を遮ってそう言い切った。
「でもまあ、そうやってお前らに誤解されてるってことは、あいつもそれなりに今まで上手いことやってきたってことだな。本当のあいつは、お前が知ってるよりもっと弱くて繊細で、脆い奴なんだよ。ひととして出来すぎてるがゆえにさ。優しすぎるし真面目すぎて、俺とかお前みたいながさつな馬鹿とは違うんだ。まあいっかーとか言えないんだよ。責任感も人一倍だし、自分がちゃんとしてないと気が済まない。だから怖いんだ」
「壊れてしまわないか?」
「ていうか、あいつは一回めちゃくちゃに壊れたことがある」
深雪は驚いて固まったまま、何も言わなかった。しかしその反応は、それ以上言ってほしくないということではなさそうだったので、俺は続けた。理一を本気で尊敬している彼女としては、驚愕の事実ではあるだろうが。
「両親が死んだときだ。俺たち子供3人は不在中の出来事だった。一番に帰宅したのが理一で、あいつだけがめった刺しにされて殺された酷い有様の両親の死体を見たんだ。俺と涼子は見なかった。理一の叫び声で近隣住民が異変に気付いて通報してくれたらしくて、俺や涼子が帰ったときにはもう警察が来てて、遺体は見えなかった。そこの……」
俺は振り返ってフローリングの床を指差した。
「色が変わってるところ。そのあたりに遺体があったらしいんだ。俺は2階にすらあがらないで、全然実感が湧かなかった。理一は1階の廊下の隅にうずくまってた。手が血まみれになっててびっくりしたんだけど、あとで聞いた話だと、両親の遺体を発見したときに、咄嗟に飛び散った内臓や血をかき集めようとしたらしいんだ。でもそれより、理一の顔が、家を出る前に見たのとは別人みたいになってたことに衝撃を受けた。悲しみは人の人相を変えるんだよ、理一の顔は今も戻らないまんまだ。お前はああなってからしか知らないから分からないだろうけど、昔はもっと幸せな、優しい顔をしてたんだよ、あいつ。俺は涼子を慰めて抱きしめているのに必死で、自分が悲しむ余裕も、理一を気にかける余裕もなかった。アイノコ絡みの事件の扱いなんて酷いもんだろ、俺はともかく、心神喪失状態になった理一すらあんなところでほったらかしになっていたんだ。これは差別だと思う、俺はあれだけは許せなかった……それから半年以上、あいつは神経衰弱で色んな症状に見舞われて、身も心もボロボロに壊れてしまった」
「信じられない。どうやってあそこまで立ち直ったの」
深雪は囁くような消え入りそうな声で聞いた。
「物も食えない、悪夢にうなされて眠れない、廃人みたいな生活に終止符を打ちたかった……それが革命を始めようとした最初のきっかけだ。俺も、あいつが元のように戻って、また家族3人で幸せに暮らせるチャンスが、同時に日本中のアイノコをこの恐怖と悲しみから救えるとしたら、なんて素晴らしいだろうって思って、賛同して今まで理一をサポートしてきた。でも俺が思ったよりあいつはしっかりしてたし、生き生きと、昔に戻ったかのようにやってた。でも、今の質問に対する答えは、立ち直ってない」
深雪は顔をしかめて首をかしげた。
「立ち直ったかのように自分を殺して演技してるだけだ。いつか爆発する。でも俺はそうなったとき、理一を力尽くで止めたり……最悪殺したり、そんなことは絶対にできない」
「そんなことしなくていいし、大丈夫だよ、きっと」
「だといいけどな。喋りすぎた。すまん、もう寝たほうがいいよ、深雪。俺の部屋で寝ていいから」
「貞清はどこで寝るの」
「お前が帰ったら寝る」
「お願い、あたしが寝るまで一緒にいて」
「いいよ」
俺たちは立ち上がってリビングをあとにした。
深雪は俺のベッドに横になると、そのベッドの縁に腰掛けた俺の手を握り、「貞清のにおいがする」と呟いた。俺が「当たり前だろ、俺のベッドなんだから」と言っても、返事はなく、数分経ってすぐに寝息が聞こえてきた。興奮していた所為で本人も気付いていないようだったが、本当はすごく疲れていたに違いない。俺はそっと手を離し、無意識に、その手を伸ばして跳ねたやわらかい黒髪を撫でた。深雪がぼんやり目を開ける。我に返って、咄嗟に、起こしてしまったことを謝ろうとした瞬間、深雪が俺の腕を掴んで引っ張った。
寝ぼけ眼の光が鼻の先で不安定に揺れている。俺はベッドに肘をついた。鼻先が触れ合う。
と、そのとき部屋の外から、ガチャンと玄関の鍵が乱暴に開く音が聞こえた。
俺は拍子抜けして笑ってしまってから、彼女の額に短くキスして立ち上がった。
「お兄様のお帰りだ。お休み、深雪。早く寝ろよ」
俺にも高まりきったムードに対する未練がなかったわけではないが、というかありありだったが、それを振り切るために急いで部屋を出た。
「……おかえり」
しかし、すりガラスから差し込む月光が背中から降り注ぎ、その所為で暗く影を落とした理一の顔を見ると、俺の気持ちは一気にどん底まで落ちた。

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