深雪は学校へ行き、俺は直後に眠りについた。全て吐き出したおかげですっきりして、そのうえひどく疲れていたのですぐに眠れた。
夕方、かなり暗くなってから目が覚めた。顔を洗ってリビングへあがると、理一は既に起きてテレビの前のソファに座り、コーヒーを飲んでいた。8月の半ばというのに長袖の服を着ているしコーヒーはホットだ。理一は昔から暑いのは平気で、寒いのがとにかく苦手だったが、流石にその格好には俺も顔をしかめた。部屋はクーラーが効いているが、彼の隣に座っている涼子はTシャツにショートパンツで、まだ少し暑そうにしているし、俺も暑い。
「おはよう。お前それ、あっつ」
「暑くない」
「風邪か?」
「大丈夫、ただの痩せすぎだ」
理一はそう言って笑ったが、神経衰弱がもとで体重まで激減した過程を知っている俺としてはあまり笑えなかった。
俺はキッチンに入って自分の朝ごはんを作り始めた。
理一と涼子の会話が聞こえてくる。
「だからね、話戻るけど、俺は涼子を危険な目に合わせたくないんだよ」
「でも、もし何かあったとき、傍にいられなかったら嫌だもん」
「昨日怖かっただろ、泣いてたくせに」
「平気、平気! それよりお兄ちゃんたちと離れたほうがもっと怖いよ」
成る程、涼子を誰かに預ける、預けない、の押し問答のようだった。昨日は俺も気が動転していて否定しかけたが、涼子を安全な場所に移すというのには大賛成だった。今はたまたま普通の家庭のように平和で、のどかな夕方だが、この家はいつ戦場になるとも分からない。子供を置いておける環境ではない。
「俺たちは大丈夫だから」
理一は優しい声で妹をなだめた。自分が女なら、こんな良い兄は欲しくてたまらないだろう。でも、理一は少し妹が好きすぎる。自分ならいつか鬱陶しくなるだろうな、と思うし、涼子もいつか鬱陶しがるだろうな、と俺は思っていた。
その優しい声が逆効果だったらしく、涼子は堰を切ったように泣き出した。
「やだよー、お父さんとお母さんみたいに、お兄ちゃんもサダ兄も死んじゃったら、どうしよう。そんなのやだよ、絶対一緒にいるもん。やだやだ」
「だから大丈夫だってば、人間なんか雑魚だ。お兄ちゃんたち、強いんだよ、知ってるだろ? 人間なんか敵じゃないよ」
理一は彼女を抱きしめて背中をさすりながら言った。
「じゃあ、どうしてお父さんとお母さんは死んじゃったの」
涼子の声は、泣いているのに、どこか冷め切って、静かだった。理一は答えない。空気が凍りついたのを感じて、俺は自分の心音ばかりやたら大きく聞こえた。
「ごめん、涼子」
言うと思った。でも、なんで言っちゃうんだよ、と思って、俺は舌打ちした。それが意外に響いてしまって、理一が妹の身体を離して、こちらを振り向く。俺は仕方なしにため息をついて、キッチンから出てきた。
「あのな、涼子。今、こいつ謝ったけど、別に俺も兄ちゃんも誰も悪くねーんだよ。悪いのは全部アイノコ狩り。アイノコ狩りが勝手に来て勝手にお父さんとお母さんを殺したんだ。俺たちの中の誰も全く悪くない。今まではアイノコは武器を持ってなかったんだ、だから皆、成す術もなく殺されてしまった。でも今俺たちは一時的に武器を手に入れたんだよ。だから絶対に負けない。誰も死なない。俺たちの手で、もう怖がらなくていい平和な世界にするんだ。それが叶ったら必ず迎えに行く。そしたらまた3人で暮らそう。大丈夫、理一のことは俺が絶対守るから」
「……だからお前はなんでいつも俺の面子をつぶすようなことを必ず言うんだ」
と、理一が呆れて笑った。涼子もつられて笑っている。
「サダ兄も絶対死んだらダメだよ。約束ね、絶対迎えに来てね」
「おう。約束な。で、理一、誰に預けるんだ?」
「源会長に相談したんだ。そうしたら、」
「私の師匠で、国営の社員の南という人が是非に、って」
背後で急に笹川が口を開いた。というか、あまりに彼女が静かにそこに立っていたものだから、俺はそれまで笹川の存在を忘れかけていて、話し出したときは非常にびっくりした。
「ちなみに男だけど、頭のてっぺんからつまさきまで完全にオカマだから、安心して」
「それは安全なベビーシッターだ」
と、俺が言うと、笹川はプッと吹き出して、
「ええ、まったく、そうよ。子供が大好きで面倒見はいいし、そのうえ、泉くんまでは行かないけど、背が高くて見た目は割合男らしいのよ、良い護衛にもなるわ」
と言った。
そのとき、玄関のインターフォンが鳴ったので、俺はリビングを出て玄関へ向かった。覗き穴から覗くと、祐がひとりで立っていた。
「おはようございます」
「おはよう。ごめんね、早くから」
「いえいえ。どうしたんですか? 壱火は今日いないんだ」
俺たちは話しながら階段を上がっていった。
「壱火は抜きで話したいことがあってね。壱火のことなんだけどさ」
祐の顔を改めて見ると、目が赤かった。
「……祐さん、」
「あれ、バレた? そう、泣いたのよ、いつぶりだろうね。びっくりしたよ」
「何があったんですか」
「うーん、大したことじゃないんだけどね」
「祐さん、おはようございます」
理一が、入ってきた祐に立ち上がって頭を下げた。
「おはよう、あ、涼子ちゃんおはよう」
「おはようございます」
涼子にとっては夕方だが、彼女ははにかんで朝の挨拶を返し、それからリビングを出て部屋に引っ込んでいった。彼女は非常に察しの良い子供で、俺たちが何か真剣な話をしそうな雰囲気になると、さっとその場からいなくなる。彼女が、というか、坂上家は全員、読みすぎるぐらいに空気が読めた。なので、良くも悪くも俺ばっかりが空気をぶち壊してしまう。それを、彼らの両親は、「貞清がいると、沈んでるときでも明るくなれるね」と評価してくれた。俺は出来るだけそういう自分でありたいと思う。補佐役である俺が笑えなきゃ、理一もこの革命軍を率いる活力を維持することは出来ないだろう。そう思うと、昨日の自分がなんとも恥ずかしかった。
「壱火、役に立てたって喜んでたよ、すごく」
祐は話し始めながら、ダイニングテーブルの椅子をひとつ引いて腰を下ろした。理一が向かいに座り、俺は祐の隣に座った。笹川は、空いたソファに座って、こちらを見て話に耳を傾けている。
「怖かったけど、自分がここにいる意義が見えてきた、って。次も頑張るって、嬉しそうだった。ふたりとも、ありがとうね。あの子をいろはに誘い入れてくれて」
「いえ、祐さんこそ、急に彼の面倒を見てもらうことになって、本当にありがとうございます」
と、理一。
「俺は何にもしてないよ。……それで、気分が高ぶった拍子に、なんだろうけど、ふいに死んだ両親のことを思い出したらしいんだ。それで、こんなに強くなった僕を見て欲しいのに、なんでいないんだろうって、そりゃあもうものすごい勢いで、泣いて、泣いて、泣き叫んで、暴れて、過呼吸になって、俺はもうそれ見てたらなんかもう切なくて苦しくて、壱火を抱きしめながら思わず泣いちゃったよ。こんな小さい子がこんな思いを抱えて生きていかなきゃいけないなんて、惨すぎるよな、改めて……。落ち着いた壱火は俺の腕の中でぐったりして、そして少しずつ話してくれたんだ。今までまったく、親が死んだ実感がなくて、そんなことよりもただ自分が生きていくことに必死で、向き合う隙間もないほどに自分自身が辛い状況にあったんだと。それが、深雪ちゃんに出会って、貞清くんに話を聞いて、会長がここに引き入れてくれて、俺が家に引き取って。そのうちにだんだん心の緊張がほぐれてきて、とうとう実戦の初日に自分がここにいていいんだってことが改めて実感できたんだってさ。その喜びと、俺が絶対に一緒にいて、家があって、まあ、俺だけだけど、家族がいてっていう優しい状況になって初めて……考える余裕ができて、初めて、両親が死んだことが分かったって。初めて、泣けたって。胸が引き裂かれそうだけど、悲しむ余裕が出来てよかった。ありがとうございますって、礼を言われたんだ」
その話をしながら、祐はまたも泣きそうな顔をしていた。俺も涙を堪えるのに必死だった。理一はただ、真剣な面持ちで、下唇を噛みしめ、何度も頷いていた。
「それを聞いたら、どうしてもふたりに礼を言いたくて仕方なくなってさ。それで来たんだ、ごめんね、早くから、お邪魔して」
「いえ、話してくださって、ありがとうございます。壱火くんもきっとこれを乗り越えて幸せに近づけますよ、祐さんに引き取ってもらったからには、今も十分、幸せでしょうけどね」
「だといいけどな」
祐は微笑んだ。
俺たち3人がしんみりとその話を噛みしめていたときに、つけっぱなしだったテレビから突如速報を告げる音が鳴り響いた。
俺はなんとなしにそちらを見たのだが、画面に映ったのは、“アイノコ狩り”の文字だった。
背筋が凍った。俺は反射的に立ち上がってテレビに近づいていったが、あとのふたりも同じようにしていた。
『速報です。つい先ほど、東京都------区--------の人気アミューズメントパーク、フューチャーランドにて無差別テロが勃発しました。アイノコ狩りの犯行と見られていますが、このテロによる死傷者はアイノコ、人間問わず50人を超えています。詳しい情報が入り次第、追ってお伝えいたします』
立ってテレビを見ていた男3人、一様に青い顔をして凍りついていた。ほどなくして笹川に国営本部かららしき電話がかかってきて、彼女は席を立ち、しばらく窓辺に立って話していた。俺たちは誰一人、口を開かない。こんな、立て続けにアイノコ狩りが事件を起こすことは今までになかった。ただごとではないだろう。
ひとりひとりが心の中で、静かに平穏な日々への終止符を打っていたに違いない。

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