環はリビングを出て、そのまま階段を降りて玄関を出た。
「もしもし……南さん、ご無沙汰してます」
手にした携帯電話で、彼女の師匠に電話をかけながら。
「あらやだタマちゃんホントにご無沙汰。なんで連絡しなかったのよー、こまめに電話よこしなさいって言ったわよね、アタシ」
環は幼い頃にアイノコ狩りに両親を殺され、その頃の記憶は一切ない。彼女がいろはに誘われて断った理由は、公的な立場であるからというよりは、彼らの革命に燃える心に同調できないからというほうが大きかった。
孤独な少女を拾ってくれたのは、「子供が欲しかったのよ」と繰り返す、底抜けに明るい女口調のアイノコの男。
「すみません」
彼はアイノコに自由と権利が与えられた現代で、家庭を持ち子供を育てることをひそかに夢見ていたが、同性しか愛せないために、その夢は叶わずにいた。そんなとき、環を引き取り、夢を叶えた。
名前は南信之介。国営霊媒会社の執行部部長だ。南は優しく、厳しく、彼女を愛情たっぷりに育ててくれた。彼女が大きくなってからは、ふたりは親友のように仲がよくなった。そして仕事仲間としても最高のパートナー同士だった。
「まあいいわ。今夜はお手柄だったわね。あんたじゃないけど」
「ええ、彼らが」
夜の住宅街を、環は片手をポケットに突っ込んでヒールをカラカラ引きずるように歩いていった。
「どう? そっちでは。上手くやってる?」
「はい。おかげさまで。皆良い人ばかりですよ」
「よかったわね。タマちゃん優しいから、入れ込み過ぎないように気をつけてね。あ、それから」
環は次に何を言われるか大体予想がついた。
「とんだ置き土産をくれてありがとう! サアヤ、荒れて荒れてもう大変よ」
サアヤというのは、佐山のことだ。環に急に別れ話を切り出されて、勢いあまって彼女に手をあげた男。
「それについては、責任は負いかねますよ」
「ねえなんで振ったの? 急じゃない、あんまりにも」
彼女はその問いに黙り込んだ。しばらく沈黙が流れて、口を開いたのは、南だった。
「……どっちよ? あなたどっちの子が好きなの?」
「どっち、とは」
「とぼけないでよ、革命軍の会長かその弟か、どっちかなんでしょ」
南は昔から勘が冴えたが、まさかこんなことまで勘付かれるとは思わなかった。環は心臓がドキドキして、目を泳がせながら、
「そんなことは……」
と、否定しようとした。
「アタシは弟くんのほうが好みね。そんなことはどうでもいいって? どっちにしたってやめときなさい。傷つくのはあんたよ。自分のために、その感情は切り捨てたほうがいいわ」
「心配いりません。そんなことありませんから」
「そ。ならいいわ」
信之介は明らかに信じていないような声色でそう言った。
「じゃあ、またなんかあったらいつでも連絡ちょうだいね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあね」
「失礼します」
電話が切れた。前から誰か歩いてくる。空はうっすら白んできたが、まだ人間たちは起き出さない。アイノコだろうか、と、環が目を凝らすと、それは見覚えのあるアイノコの少女だった。
「あ、」
「こんにちは」
「どうも」
本城深雪は走って環のわきをすり抜けていった。内気そうで、暗い女の子という印象の彼女だったが、そのときだけはなんだかとても、楽しそうだった。
彼女は泉と仲良くしていた。きっと泉に会うために、早起きしてきたのだろう。確か彼女はまだ学生だった。
環は立ち止まり、その後姿をしばらく見つめていた。


突然ドアをノックされて、俺はドキッとして立ち上がった。
寝る、とは言ったものの、疲れているくせにやたらと目は冴えて眠れず、俺は自室のベッドに腰掛けて、何をするでもなくただじっとしていたのだ。
理一だと思ってドアを開けたら、来ていたのは深雪だった。彼女には合鍵を渡している。
「どうしたの。まだ4時じゃん」
ドアを開けながら尋ねると、彼女はパーカーのフードを外して答えた。
「早起きしたの。学校行くまで貞清と話してようと思って」
「あっそ。入っていいよ。今日学校?」
「うん」
「夏休みじゃないの?」
「夏休みだけど、補習」
「ああ、深雪馬鹿だもんね」
「数学だけだもん、出来ないの」
喋りながら、深雪は俺の勉強机――正しくは勉強机だった机――のキャスターつきの椅子を引っ張り出して座った。
「……部屋にいるなんて珍しいね」
「そう?」
「リビングにいると思って行ったんだけど、理一さんしかいなくてびっくりした。雑巾がけしてたよ」
「理一が? 元気じゃん、あいつ」
俺はベッドに座りなおした。
元気というよりは、まだ憤りが収まらなかったのだと思う。家に、穢れた集団が土足であがったということ、自らが立てた作戦にすら腹を立てているに違いない。
「貞清さあ、」
深雪が、床を蹴って椅子を後ろに転がしながら言った。うつむいて、小さな声で。
「この革命終わったら、どうするつもりでいる?」
「それ語ったら死亡フラグの気がするから言わないようにしてんだけどな」
「馬鹿なこと言わないでよ、小説じゃあるまいし」
笑う深雪に、俺は咳払いしてから答えた。
「昨日までは、3人でまた幸せに暮らす、って即答できたと思う。でも、今は分かんないわ。なぜか、理一がやろうって言い出したときから、絶対的に、この革命さえ成功すれば全て上手くいく、幸せになれるって思い込んでた。昨日になって急に目が覚めたんだよ、何をしたって理一の両親も俺の両親も帰ってくるわけじゃないのに、憎しみを正当化して善人ぶって……本気で悲しみを受け止めて生きてる理一はともかく、俺に救いなんかあるはずもないんじゃないか」
深雪は答えなかった。
まだうつむいていた。
「深雪はどう思う? この革命がただ、大切な人を失った悲しみから自分自身を逃がしてやろうとするだけの、ほんの気分転換みたいな、浅はかなものに感じられたことない?」
「安心しなよ貞清。アイノコは忘れるのが不得意な生き物だよ? 人間の何百倍も、自分の気持ちに責任感がある生き物だよ」
俺がどんな顔をしていたか知らないが、深雪は大層焦って、心配そうに言って、俺の隣に腰をおろした。
「あたしはそんな風に思ったことない。あたしのお父さんとお母さんもきっと、あたしがいつまでもうじうじしてることなんて望んでないはずだから、だからあたしはここに来たんだよ。ねえ、前にあたしを迎えに来てくれたとき、“いつか必ず、ここに俺たちを集めた理一に感謝することになる”って言ってたよね? あたし、分かった。貞清の言ってたこと。ホントは変わりたくて、ここに来ればあたしを誰かが変えてくれるような気がして、いろはに来たんだけど、素直になれなくて」
深雪の手が、俺の手に重なった。頭を撫でようとしただけで全力で引いていた彼女に、こんな自然に触れられる日が来るとは、俺は正直本気で驚いた。
「貞清に出会えなかったら、こんなに変われなかったもん。アイノコは別離の苦しみから永久に抜け出せないなんて、よく言うけど、あたしそんなことないと思う。だって幸せになるには忘れるべきこともあるよ。アイノコは幸せになっちゃいけないわけ? 貞清は自分が大切な人を失った事実から逃げてるように感じられて、不安なんでしょ。でも安心して、貞清は逃げてなんかいないよ。誰よりもちゃんと、真正面から向き合おうとしてるよ。何かを失った過去から抜け出して、一歩前進することが、その失ったものと向き合うことだと思うよ」
「深雪はちゃんと、前に進んでるんだな」
「貞清もそうでしょ」
「俺は違うよ……俺は助けてくれる人の優しさばかりに気をとられて、両親を失ったことに対して、今の今まで一度も本気で悲しんだことがないんだ」
我を忘れてわめいていた。心の中にずっとくすぶっていたものを、深雪の瞳を見ているうちに、吐露せずにはいられなくなった。
「俺を生んだために俺の両親は殺された。理一の両親だって、俺を引き取ったために殺されたに決まってる! なら俺は……!」
「やめて、貞清!」
立ち上がった俺に抱きつきながら、深雪が叫んだ。俺はそうして彼女に押さえ込まれた衝撃で固まったりしなかったら、部屋にあるものを壁に投げつけて暴れたりし始めていたかもしれない。
「もうやめて、そんな悲しいこと、言わないで」
行き場のなくなった両腕で、苦し紛れに彼女の身体を包んだ。
「ごめん、取り乱して」
「悪いのはアイノコ狩りだよ。貞清はなんにも悪くない。アイノコ狩りは頭が狂ってる。誰が殺されたことも、仕方のないことでは片付けられないよ。だから戦うんでしょ……やつらに従って、そんな理不尽な運命のままに大切な人を奪われっぱなしじゃ、たまらないよ。二度と奪わせない、そのためにあたしたちは今、戦ってるんじゃなかったの」
互いに両親を殺されなかったら、深雪とも出会わなかった。それは皮肉な話だけれど、こんなときだからこそ、本当に彼女に出会えて幸いだったと思った。
しかし全てが終わった今、考えてみれば、どうしてあんな悲惨な状況下で、彼女を愛してしまったのか。それが、悔やまれる。

back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -