「本日からあなたがたの監視としてここに送り込まれました。国営霊媒会社執行部、笹川環です。歳は今年で26。何か質問は」
女は淡々とした声で言った。真っ黒い豊かなウェービーロングの長い髪を横分けにした、目つきの鋭い女性だ。下は黒いタイトスカート、上は水色がかったワイシャツで、スーツの上着は脱いで腕にかけている。
まさかこんな怪しげな革命家集団の監視などという仕事に回されるような人物には見えなかった。どこからどう見ても、誠実な人に見えた。
ただひとつだけ気になったのは、彼女が頬に大きな白い湿布を貼っていることだ。
「はーい」
俺は彼女が車に積んで持ってきた刀やピストルの山を引っ掻き回しながら手をあげた。
「どうぞ」
「彼氏いますかー」
俺が馬鹿みたいなことを馬鹿みたいな声で聞いたところ、警戒心むき出しだった革命軍の面々も少し笑った。
源会長が、約束どおり、すぐに監視員を送り込んできた。武装許可、そして肝心の武器と一緒に。その日は監視員といろはのメンバー全員の顔合わせということで、俺たちの家に集合をかけたのだ。
「泉くん、新任の先生の自己紹介じゃないんだから」
笹川環も笑ってそう言った。俺は顔をあげて彼女を見る。
思ったより、堅物というわけではなさそうだった。
「俺のこと知ってるんですか」
「下調べぐらいしてます。それから彼氏はいません。昨日別れたばっかり」
業務連絡のように、環は顔色ひとつ変えずそう答えた。
「だってよサダ。よかったな」
と、理一が俺を小突いた。
「狙い時ってか?」
俺がふざけて言うと、理一は笑う。俺も笑いながら返した。
「馬鹿言ってんじゃねえ。笹川さん、これからよろしくお願いします」
「よろしく。さて、泉くんも気になっているみたいだし、武装許可について今一度説明しておきたいと思います。あなたたち、アイノコ狩り被害者の会……いいえ、革命軍いろはには、政府から特別武装許可がおりました。
ただし、3つのルールがあります。
これを破った時点であなたがたの武装許可は解除、活動はできなくなりますから、よく聞いておいてください。まず一つ目は、この支給された武器以外は使ってはいけないということです。これらの武器は全て政府指定物です。ピストルの8割には実弾が入っていません。入っている2割はよけてあります。あとで言うのでしるしでもつけておいてください。刀も非常に切れ味の悪いものばかりですから、万が一斬ってしまっても致命傷にはいたらないかもしれません。相手を長期にわたって苦しめることにはなりますが……あなたたちにとって、そんなことは気になりませんよね。
二つ目に、私が見ている前以外では武器を使わないこと。私は会長の坂上くんと話し合って、この家の一室を借りてここに駐在することになりましたから、この支給された武器は全てこの家に保管することとします。武器を持ち出すことは禁止、アイノコ狩りの捕獲もこの家の中でのみとさせていただきます。
最後に三つ目。これはあなたがた革命軍のセオリーにもありますから大丈夫でしょう。絶対に殺さないことです。まあ、酷なことだとは思います。あっちは無残に自分たちの家族を殺したというのに、こちらは相手の命を大切にしないといけないなんて。でも、ルールはルールですし、最初からそういうふうにお考えになったあなたたちの聡明なリーダーに従うのが正しい判断かと思います。どうかこの約束だけは絶対に守ってください。自分たちのためにも。私も気持ちがよく分かります。私の両親も、昔アイノコ狩りに殺されました」
理一がパッと彼女の顔を見た。この笹川の挨拶の直前まで、理一と彼女は長々とこの規約について話し合っていたはずだが、そのことは彼も今初めて聞いたらしい。
「それじゃあんたも仲間になっちゃえばいいのに」
重い空気が流れたのを察して、俺は彼女にそう声をかけた。
「私は公的な立場ですので、それは出来かねます。会社員になると色々面倒くさいんです」
笹川は笑って俺に答えた。
「私からの説明は以上です。坂上くん、何かありますか?」
「ああ、武装許可のことは国家機密だ。最初の捕獲作戦以前に外部に漏らしたやつがいたら、その時点で計画は崩壊すると思ってほしい。それから最初の捕獲作戦が終わったあとも……我々が“殺さない組織”であることを口外しないこと。これは我々革命軍内での新たなルールだ。全員心して守るように」
その日は淡白な彼の言葉で締めくくられ、一度解散になった。しかし、我が家には笹川が残る。
初対面の女性と急にひとつ屋根の下、なんて言うと大層なことのように思えるが、実際、彼女に貸し出す客間は屋根裏部屋だし、このすこぶる広い坂上家の屋敷ではどの部屋も互いに遠くて、何人一緒に住んでいようとまるで窮屈な感じがしない。もちろん、自分ひとりの部屋が与えられていればの話だが。
坂上家が所謂金持ちなのは、彼らの父親が剣術に非常に長けていて、アイノコの子供たちを対象とした剣術の教室を開いたのが爆発的に流行ったというのも理由のひとつだが、そもそも財産のある家系だったらしい。父親が剣術に長けていたのは、亡霊戦争の時代に“希代の天才剣士”と恐れられていたあるアイノコに直々に剣術を習ったというのだから、そんな人物に習えるというのは相当金も権力もある家に違いはない。しかし、本人は、“彼の才能は素晴らしいが、教える才能はないようで、俺の勘がよかったのかな”と言っていた。確かに彼は勘も頭もよかった。教えるのも上手かった。彼に習っていた時分は、本当に楽しかった。彼が遺してくれた遺産のおかげで、事件発生直後の日常生活すらままならなかった数ヶ月間もなんとかやってこられたし、今は生活費も普通にやりくりできている。あの頃は理一はもちろんまったく仕事に行けなかったし、俺もあの状態の彼と涼子を残してそんなにバリバリ仕事をすることもできず、収入はゼロに等しかった。
この先いつまでもこの豪邸に住み続けることは出来ないかもしれないが、とりあえず、革命家たちのサロンとしても、戦闘の場としても、このだだっ広いリビングは丁度いい。何度もアイノコ狩りが襲来するようなら、じきにこの家もボロボロになって、住めなくなるだろう。それまではここで生活する。俺は理一が辛いだろうと思って何度も引越しを提案してきたが、彼は頑なにここに住むと言って聞かない。そういうわけだから、この革命が終わるまでは、この家を手放すわけにはいかなかった。


翌日、壱火を連れて、祐が家に来た。今後はこのように、毎晩交替で家に何人か来て番をする。俺と理一は仕事がないかぎりは毎日援護。しかしその日祐は早く家に来た。夕方になってすぐだ。何か他の用があるらしかった。
「壱火と俺、最近取り組みやってるんだけどさ、なんか俺が教えてやれることもそんなにないし、今日ついでだから、ふたりのどっちかが色々教えてくれたらいいなと思って」
「ああ、じゃあ俺が見ますよ」
すかさず、理一が祐にそう返した。
「あっ、ありがとうございます」
彼はすばやく、深々と頭を下げた。俺が思うに、壱火は俺よりも理一にビビッている。その話を理一にして、「あいつは人の本質を見抜く目を持ってるな」と言ったら、理一はものすごく意味ありげな間をあけて微笑み、俺を見て、「そうだな」と返した。だから、そういうところだ。
ふたりは庭に出て向かい合って刀を構えた。俺と祐、涼子はベランダに並んで座ってそれを見ていた。
「真剣は使わないんですか?」
そのとき、後ろから声がした。振り向くと、笹川が俺たちの真後ろに立っていた。両手に刀を2本持って。
「聞くところによると、アイノコ狩りはアイノコ独自の剣術を習得しているらしいから、やっておいて損はないと思うんだけれど」
「じゃあそれ、貸してください」
と、理一が答えて、刀身の出現を解除して柄を捨てた。慌てて壱火も同じようにする。笹川が刀を同時に投げてよこし、俺たちの頭上を通過し、ふたりもほぼ同時に鞘を掴んでキャッチした。
「おお、本物だ。でも重さとかは……ああ、平気、勝手は変わらない」
理一が抜刀して何度か素振りしながら言った。
「……さて、壱火くん。まず適当に当たってみようか」
「はい!」
合図もなく、取り組みが始まった。ふたりの体型は似たり寄ったりで、壱火もこのまま背が伸びれば理一のようになりそうだ、と思った。しかし、理一の軽く素早い動きに目が慣れているので、それに比べて壱火はまるで格闘技でもしているかのような重さがあった。
「サダに、綺麗な回し蹴りをしていたと聞いたけど、格闘技はやる?」
「はい、少林寺を、少しだけ」
「成る程、速いし、攻撃が重い。でも速さなら……!」
目にも止まらぬ速さで、理一が彼の後ろに回りこんだ。そのときにはもう刀を振り上げきっている。そしてその刃が頂点にあがった瞬間など幻のように、すぐ刀が振り下ろされていた。壱火の反応は遅かった。理一の刀は彼の首筋でギリギリとまる。
「俺の勝ちかな。どうだ、サダ、俺だいぶ取り戻してきてるだろ」
刀を降ろしながら理一は俺に訊いた。壱火は縮み上がりながら恐る恐る振り返った。
「うん、すごい。全然違う」
本当に全然違った。まるで昔の彼、いや、昔の彼よりもっと研ぎ澄まされている。焦りに焦った結果だろう。その焦り、切迫感が、悪い方向に転ばなければいいのだが。俺はそう思いながらその言葉を返した。
「壱火くん、本当にいい筋をいってるよ。このまま頑張ればじきにサダみたいになれる。あんなんだけどな、あの金髪の人すごいんだよ、知ってる?」
と、理一は俺を指差す。
「そう言われてみれば検定で一度お見かけした気がします」
「有名人だね、サダ」
「お前もだよ。俺たちふたりでいると見た目的にもなんか目立つの」
身長が187センチもあってアイノコにしては体格がよく、金髪の俺と、長い髪で、恐ろしく綺麗な顔に赤痣が這う理一との組み合わせが目立たないわけがなかった。アイノコは皆似たり寄ったりの見た目をしているから、なおさら俺たちは浮いた。
「源会長のお気に入りなのも納得よね。ことがあなたたちに有利に運んだのも、そのおかげよ。あなたたちに名前がなかったら、こんなに上手く話は進まなかった」
と、笹川が口を挟んだ。
「名前があるわけじゃないっスよ」
俺は振り返って彼女にそう返す。
「検定の関係者じゃ、知らない人はいないよ。名というより、実ね。それがあってこそ、会長の信頼がおかれたの。誇りを持つことね」
「なんだか笹川さんは俺たちの味方みたいだ」
理一が呟いた。
彼女の心にも、少なからずアイノコ狩りへの恨みがあるはずだ。無理もないと、俺も思う。
「私の情が移る前に、早く実績をあげて革命を終わらせて」
彼女はそう言って俺たちに微笑んだ。
理一は楽しそうに壱火に剣術の稽古をつけていた。壱火もだんだん緊張がほぐれてきたようで、笑顔も増えてきた。まるで少年の頃の理一と彼の父が庭で稽古をしていた頃のようだ。俺は怪我をしたときなんかはここで、こんなふうにして座ってその様子を見ていた。少しだけ、羨ましかった。理一の父は俺の父としてそこにいてくれて、愛してくれたが、実際は俺の父親じゃない。今の理一は父親そっくりだ。理一は母親似だったが、やはり刀を持って構える立ち姿、丁寧に教える口調は、父にそっくりだった。俺も確かに、昔は少しだけその血縁というものを妬んではいた。それが今では、俺がただ数年早く失ったというだけだ。理一も同じ苦しみを、いや、俺をはるかに超える苦しみを知ってしまった。
俺は両親の死ぬところは見ていないし、何も知らない間に全てを失って、あとから大人にそれを聞かされた。それも、ひどく遠まわしな表現で、あいまいに、優しく。混乱している間に坂上家に引き取られ、変わらず接してくれる理一と涼子、そして明るく話しかけ、愛してくれる彼らの両親によって、悲しみはまるでなかったことのように風化していった。でも、俺が完全に幸せかといえば、もちろん、そうではない。両親を惨く殺された事実は消えることはない。
一度切り崩されて、血が滲み、更地になったその大地に、何事もなかったかのように、美しく、きらびやかなお城を建てた。それが建つ前に何があったか、住人は口にしない。誰一人。まるで最初から幸せであったかのように振舞う。俺たち家族がやってきたのは、まさしくそんなことだった。
俺は坂上一家に感謝している。心から。間違っても深雪のようにはなりたくなかった。俺が彼女を救える状態にあるのも、坂上家の愛のおかげだ。
でも、あんなことをしていたから、呪われたのだ。
幸せそうに笑う革命軍の面々を眺めながら、俺はふとそんなことを思った。
俺はまだ、自分の両親の死を本当に悲しんだことがない。そんな余裕はなかった。そんなことをしたら、理一のように、心が壊れてしまうかもしれなかった。俺が悲しみから逃げて、ひとりだけまた幸せになろうとしたから、彼の両親までも殺されたのか? 悔い改めない愚かな俺のために? 悔い改めるって、なんだ? 俺が何をしたっていうのか。何もしていない。いや――強いて言うならば――生まれてきたことだ。アイノコ狩りの考え方に則れば。
彼らは子供のいるアイノコの夫婦を主に狙って殺す。あらたなアイノコを生み出した罰として。もしも、坂上家が俺を引き取らなければ、理一の両親は殺されなかったかもしれない。もしも、俺がいじめられていた理一を助けなければ。もしも、彼がそれによって俺への借りを意識して生きなければ。もしも、俺が助けたことを理一が彼の両親に話さなければ。もしも、もしも――。
「貞清くん、顔色悪いよ」
祐の声にハッとした。俺は慌てて愛想笑いを浮かべ、
「ちょ、ちょっとトイレ」
と言って立ち上がり、逃げるようにリビングから出た。
俺はまた、理一に何度も、また3人で幸せになろう、などと言っていた。その考え方に自信があった。前進しなければいけない、いつまでも悲しみ、苦しみ、争いの中に身を置いていてはいけないという考え方に。
でも、血塗られた更地にまたも気付いた張りぼての城は、いつしかまたも無残に切り崩されるのではないか。
その恐怖に足元をすくわれ、俺は閉めたリビングのドアに背中を預けて崩れ落ちた。息の仕方が分からなくなった。

最悪のコンディション。その日の深夜に、早くも一度目のアイノコ狩りの襲撃は訪れたのだった。

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