「って、いうかさあ」
俺は深雪が玄関のドアを開けたところで、彼女に言った。
「お前先に出て外歩いてろ。ひとりにならないとストーカー出てこないかもしれないだろ。俺はもっとあとからつけるから」
「え、何それ、駄目。あたしに何かあったら意味ないじゃん」
「馬鹿、俺がストーカー発見した瞬間にとっつかまえてやるから安心しろ、ほら行ってこい」
深雪は俺に背中を押されて、不安そうな表情のまま出て行った。俺は一度ドアを閉めて、のぞき穴から外の様子をなんとなく見ていた。深雪の背中がどんどん離れていくが、夜の高級住宅街にはひとけが一切ない。
しばらくして、俺は外へ出て他人のふりをして歩き始めた。深雪はたまにちらちら後ろを振り返りながら歩いている。
ストーカーなんて、あいつの思い違いじゃないか、と思い始めた頃、曲がり角からふらっと、黒ずくめでリュックを背負った人物が現われた。俺と深雪のちょうど間の距離だ。背は深雪とさほど変わらないし、細い。目をこらすと、リュックを背負って学ランを着た中学生だった。
なんだ、と思って、俺のその少年への警戒心はゼロになった。
しばらく、深雪、中学生、俺の3人は同じ方向へ歩き続けた。同じ距離感を保って。もちろん中学生に怪しい点は見当たらないし、他に人間の気配もない。
住宅街を抜けた。駅はもうすぐだが、どこの店も建物ももう閉まっていて、歩いている人もちらほら数人見かける程度だ。俺は何も起こらないので退屈してきて、あくびが出た。
そのときだった。
深雪の向かいから歩いてきた男が彼女に絡んだ。おそらくストーカーでもなんでもない、ただの変質者か酔っ払いだ。アイノコではなく人間のようだった。俺は、面倒くさいなあと思いながらも助けに行こうと走り出したのだが、それよりも目の前を今まで普通に歩いていた貧相な中学生のほうが早かった。彼は迷うことなく深雪と男の間に飛び込んでいって、深雪の腕を掴んでいる男の腕にチョップを一撃、やりかえそうとした男の顔に華麗な回し蹴りを決めた。見とれてしまうほど綺麗に高く脚が上がったのだ。俺はただ呆然とそれを見ていた。男はなにやらわめきながら逃げていった。
俺はやっと我に返って、道に光るものが落ちているのを発見した。何かの機械だ。近寄って拾い上げてみると、起動したままのデジカメだった。中身を見て、俺は思わず笑いそうになった。それが深雪の写真ばかりだったのだ。しかも全て隠し撮りだったし、今撮ったばかりのような写真もあった。
ということは、もしや。
俺はそのまま少し走って、中学生と深雪のところに走り寄った。ふたりは何か話している様子だったが、
「ちょっと、」
肩を叩くと、彼はわっと声をあげて即座に走り出した。
「あ、待てよ」
俺も慌てて追ったが、すぐ決着がついた。駅に到着したところで捕まえて、後ろから羽交い絞めにした。
「ごめんなさい、ごめんなさい、警察には言わないでください、お願いします」
声変わりしたてのかすれた声で、少年は懇願する。俺がデジカメを持っているのが見えたからだろう。顔を見たら、案の定、アイノコだった。
「待ってよ、貞清、助けてくれたの。乱暴しないで」
「だって逃げるから! 警察になんて言わねーよ、それよりお前、こんな女のどこがいいのか教えろ、今すぐ!」
「貞清最低」
少年を離して、正面から顔を見ると、前髪が切りそろえられた栗色の髪の、かわいらしい顔立ちをした少年だったが、さすがはストーカー、どことなく陰気くさい雰囲気はあった。
「ほらよ、デジカメ。中身消しとけよ、それは刑法に引っかかるからな」
彼は黙ってデジカメを受け取ると、名残惜しそうに画面を見てから、何か操作してポケットにしまった。きっと写真を消したのだろう。意外に素直なやつだ。
まさかのストーカー本人に被害者が助けられるという予想外のオチを目の当たりにして、俺も相当混乱していたが、少年のほうもガクガク震えていた。自分ではあまり自覚がないが、俺は見た目が怖いらしいので、おそらくその所為だ。
「……あ、あの……困ってる、ときに、助けてもらったんです、前に」
少年は小さな声で言った。
「み……この人に?」
俺が深雪を指差すと、少年は頷く。
「えっ、嘘。ごめん覚えてない」
と、深雪。
「僕が寒い夜に、公園のベンチで寝てたのを見て、起こして、声かけてくれましたよね。あなたが声をかけてくれなかったら、危うく凍え死ぬところでした」
「……っあー、そんなこともあったかな」
深雪は首をかしげている。
「なんで公園のベンチで寝てたの」
俺が尋ねると、急に少年はきょろきょろしはじめて、
「ぼ、僕、今家がなくて!」
と答えた。
「でも、それは今どうでもいいんです。僕それであなたのことが忘れられなくて、あなたのことばかり考えてて、気付いたら、あとをつけてしまうようになって……でも、あなたに何かあったら、絶対に助けようと思ってたんです、悪気はないんです、」
「家がないってどうでもよくねーよ! ストーカーの件はこいつも怖がってたから、気持ちも分かるけど反省しろよ。それより、なんで家がないんだよ」
俺の関心は深雪のストーカーのことよりも、家がないアイノコの中学生のほうに向き始めていたので、ストーカーに対する文言は適当に流して、そう問いただした。
「去年の冬に、アイノコ狩りに両親が殺されました」
彼は、淡々と答えた。
冷え切ったその声に、俺も深雪もはっと息をのむ。その事実よりも、悲しみも憎しみも含んでいない、彼のその声と表情に、俺は思わずぞっとした。
「うちはお金がなかったし、僕には身寄りもないし、家賃なんて払えないし、追い出されました。でも施設に入るのは嫌で……逃げたら、こんな、路上生活に」
俺はなんとも言えない悔しい感情にかられて、下唇を噛みしめた。
「深雪、帰ってろ」
俺はそのまま少年の腕を掴んで来た道を引き返した。深雪はついてこようとしたが、親が怖いのか諦めて帰っていった。彼女はいつも同じ時間に、日付が変わる前には家に着くように帰っていた。
「ちょっとうちに来い。少年、名前は」
「あ……い、伊吹壱火です」
それが、のちに革命軍いろはの一員となる壱火少年との、ものすごく変な出会いだった。


「ただいまー!」
玄関で大声で叫ぶと、上の階のリビングのドアが開いて、祐が出てきた。
「あれ? おかえり、早かったじゃん……って、誰?」
「ホームレス中学生拾ってきた」
「ストーカーは?」
「ストーカーホームレス中学生。長いな。ほら、あがれよ」
壱火は戸惑いながらスニーカーを脱いで、薄暗い玄関にあがった。
混乱している様子の祐に、今起こったことをざっと説明すると、彼は笑いながら、
「なるほど、そりゃ何かの縁だ」
と、頷いた。
俺と祐と壱火は、上の階の騒がしい声を聞きながら、1階の奥の部屋――庭につながっているあの部屋だ――に向かった。
「壱火、俺たちな、あの上で騒いでるやつらもなんだけど、アイノコ狩り被害者の会なんだ」
「被害者の会……」
少年は興味深そうに繰り返した。
「そう。まあ、それは名目上でさ、実際は革命派の集まりなんだけども。それはそうとお前、剣術の段は持ってる?」
俺は部屋の電気をつけながら尋ねた。
「初段です! 2段の試験を今度受けに行こうかとは思ってたんですけど、それどころじゃなくなって。でもちゃんと練習はしてますよ」
壱火は急に声のトーンが明るくなって、意気揚々と話し始めた。
「そうか、初段か。お前、俺たちの仲間に入る気ある?」
「具体的には、何をするんですか」
俺は説明し始めようとしたが、やっぱりやめて、「ちょっと待ってて」と言って部屋を出た。
理一の部屋のドアをノックする。
「……はいー」
返事を聞いて、ドアを開けた瞬間、ベッドから慌てて起き上がる理一が見えた。
「あ、ごめん寝てた?」
「いや、大丈夫。どうした?」
「やっぱりいいや、あとで話す」
本当に人前で喋るのに疲れたらしかったので、俺はそれだけ言ってドアを閉め、引き返した。髪を結んでいなかったので、寝る気だったに違いない。
壱火たちがいる部屋に戻ると、
「いいんですか? ホントに」
「うん、全然大丈夫。俺もひとりもんの暇人だからねー」
ふたりはなにやら話しているようだった。
「どうしたんすか」
「いや、俺、壱火くん引き取ってもいいよーって話してたんだよ」
「そんな、悪いですよ、俺が連れてきたんだから俺が面倒見ますって」
「貞清くんには他に気にしなきゃいけないことたくさんあるんだから、いいよ、俺は色々余裕あるし、ひとりだから融通が利く」
「なんか……すみません」
壱火が縮こまってきたので、俺はさすがに彼に悪いなと思って、
「じゃあ、よろしくお願いします」
と祐に頭をさげた。
「で? 今会長呼びにいったの?」
「あ、はい、でもなんか寝てたんで」
俺はそう答えて壱火に説明を始めた。彼にとっても、あまりにいろんなことが起こりすぎる日で、混乱して疲れているだろうに、熱心に耳を傾けて俺のつたない説明を理解しようとしてくれた。
まだ中学生の時分に両親を殺され、ひとりで生きてきたのであれば、ストーカーじみたことにハマっても、あんなよく分からない女に惚れるのも、なんとなく納得がいった。彼もまた、深雪と同じに、寂しさを紛らわそうと必死だったのだ。
説明を聞き終わって、壱火はまず、
「いろはの考え方に同意します。喜んで仲間に入ることを志願したいです」
と、笑顔で言ってくれた。が、しかし。
「いろはには、その、あの方もいらっしゃるんですよね?」
「え? 深雪?」
「そ、そうです」
「いるよ」
そのときが一番嬉しそうだった。
「ここに来れば毎日会えますか!」
「うん、会えるよ」
俺は呆れて答えた。祐が笑う。
ひとまず、そのあとすぐに祐は壱火をつれて家に帰った。あとで聞いた話によると、路上生活というよりは、知り合いのアイノコの家を渡り歩いたり、両親の遺産でどうにか食いつないでいたらしく、壱火の健康状態に大きな欠陥は見られなかったようだ。そのうえ、ストーカーとかやるような変な奴には思えないよ、とも、祐は言っていた。聞き分けもいいし、家のこともよく手伝ってくれる。ただちょっと、深雪ちゃんのことが好きすぎるね、と。
それを聞いて俺はまあまあ安心した。そして、深雪の親切心のおかげで彼に出会うことができたのだから、深雪も捨てたもんじゃない。

('12/08/15)

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