俺と深雪はそれからもしばらくいがみ合いが続いていたのを、よく覚えている。はじめは感情を表に出さない深雪も、俺が何かと突っかかっているうちに、対等に怒りをあらわにしながら言い返してくるようになった。
出会った頃の彼女はてんでダメな性格をしていた。まず他人と上手くコミュニケーションをとる気もなければ、にこりとも笑わないし、そもそも目を合わせない。明らかに自分に非があっても謝らないし、それを咎めると逆に怒る。俺は何度も何度も、理一にあんな女と一緒にやっていくのは無理だと訴えたが、彼は「馬鹿だな」と笑って、
「お前と深雪、仲良くやってるじゃないか」
などと言ってきたので、俺はひどく苛立ったおぼえがある。でも、後々考えてみると、あの頃深雪は毎日毎日俺たちの家に通いつめていた。俺と喧嘩するのがそんなに楽しかったのだろうか、よくもまあ、飽きずに毎日俺と顔をあわせられたものだ。
最初の頃は俺も嫌だったが、だんだん慣れてくると、彼女の少しぐらい変な性格に関してはまったく気にならなくなってきた。と、同時に、深雪も変わりつつあったのだと思う。
「入会希望者が現れたから会ってくるよ」
「あ、俺明日仕事だわ」
「分かってる。俺ひとりで行ってくるから、深雪のことは何かあったらよろしく頼む」
「なんで俺があいつの子守だよ」
そう言って理一が出かけて行った日、本当に深雪に“何かあった”。
俺が霊媒の依頼先に向かう途中、知らない番号から着信がきて、それに応答してみたところとんでもない用件だった。夕涼みの住宅街の道を気持ちよく歩いていたところで何もかも邪魔されて、俺の怒りは頂点に達した。
「はい」
「もしもしー……」
中年の男の声が、コンビニの店長を名乗った、その時点でなんとなく悪い予感はしていたのだが。
「本城深雪さんのご家族の方でしょうか」
「……いや、」
違います、そんな人知りません、と言ってやりたい気分だった。どうせまた万引きだ。
うちで美味い夕飯を何度食わせてやったか知れぬ。それなのに恩を仇で返すとは。裏切らないと言ったはずなのに、彼女のこの行為は、まさしく裏切りだと感じた。
しかし、裏切られたら死んでやるとまで言った彼女の瞳が脳裏をよぎった。そして、今まで誰にも信じてもらったこともなければ、他人を信じればすぐ裏切られて生きてきた少女に、人を裏切らずに生きることなどできようか、とさえ思い始めた。
「……じゃなくて、はい、深雪の父ですけど」
アイノコは実年齢や血縁関係なんて偽り放題だし、嘘でも本当でも、さして問題ではない。話がややこしくならないように、俺はそう言ったのだ。
そんなことより、俺としても深雪を見捨てるのは悔しかった。なにより、自分を引き取った里親よりも、俺を信頼して、俺の連絡先を言った彼女の決断に、応えるほかはないだろう。
仕事の依頼先に、予定より少し遅れると連絡を入れ、俺は深雪がいるコンビニに向かった。遠かったけれど、もうどうにでもなれと思った。
テレビでやっている万引きGメンでしか見たことがない部屋に通されて、そこでいじけて俯いている深雪の姿を見た。彼女が言っていたとおり、少し睨みをきかせればすぐ解放してくれたが、深雪は俺が来てからまったく言葉を発さなかった。
「俺仕事抜けてきたの。すぐ戻んなきゃいけないから、ひとりで帰れよ」
コンビニを出て、駅に到着したところで、俺は深雪に言った。彼女は答えない。駅前の喧騒の中で、彼女の存在はひどくちっぽけに、寂しいものに見えた。
「帰れるよな? 金はあるだろ、俺、ここ仕事先から遠かったから貸してやれる金ないよ」
そこでやっと、深雪は少し頷く。
「……なんだよ、なんで黙ってんだよ、少しはなんか言えよ」
フードをかぶって俯かれると、やっぱり全く表情が見えなくて、不安になる。
「ていうか、言うことないならさっさと帰れっつーの。じゃあな」
俺は呆れて踵を返した。が、そのとき、Tシャツのすそを掴まれた。
「……待って、言うこと、ある」
深雪の声は、震えていた。
「時間ないから簡潔に頼むよ」
俺がそう言って振り返ると、彼女ははっと息を吸い込んで、小さく、
「ごめんなさい」
と言った。
それが、出会ってからはじめての、感情のある謝罪だったと思う。
「ちげーよ。こういうときは、“ありがとうございます”、だろ」
俺は真っ青になって謝った深雪の顔に、少し笑ってしまった。
「お前が万引きしようが、何しようが、俺はお前のホントのお父さんじゃないんだから、そんなことはどうだっていいんだよ」
「だから、聞かないの、なんでそんなことするんだとか……だから怒らないのね、あたしに」
「それは違う。俺はお前がなんで万引きするか分かってるもん。怒ったってどうにもならないことだって、知ってんだもん。だから言わないだけだ、お前が何してもどうだっていいって言ったのは、それが俺になんの迷惑もかけないからだよ。ごめんなさいはお店の人に言え、俺にはありがとうございますでいいんだよ。何故って、俺はどうでもいいお前のために父親名乗って頭下げてやったんだから、感謝されて当然だろ、俺たち、家族じゃねーんだし」
「……恩着せがましい」
「うるさい。着せちまった恩はもうどうしようもない」
「そういうのいいよ、あたし、ただ一緒にやらせてくれたらいいだけなのに、無駄に優しいこと言ったり、そういうの、いいから」
深雪は冷たい声でそう言った。
「よくねえよ」
俺はその言葉に、ついに憤慨して言い返す。低く凄んだ声があたりに響いて、通行人がちらちらとこちらを見ては、俺たちがアイノコであることに気付いて目をそらし、足早に通り過ぎた。
「お前が俺に電話かけてきたんだろうが! 俺しか頼れる相手いなかったからだろ? 確かにお前のこといけすかねーけど俺には俺のプライドがあんだよ、お前のこと見捨てないって決めたんだから、助けたからにはそれなりの責任持ってお前がこれまでの人生で逃してきたことなんでも教えてやりたいんだよ。仲間になったんだからそれくらいするさ」
深雪はうつむいてそれを聞いていたが、しばらくすると目をあげて、俺を一瞥した。
「仲間とか言ってさ……あんた絶対あたしのこといつか見捨てる! 今だって絶対面倒くさいって思ってるでしょ! 皆そうだったもん、あたしが、そりゃあ、あたしが悪いけど、全部許してくれた人なんていなかったもん! きっといないんだ、そんな人は、この世には……父さんと母さんが生きてたら、絶対こんなふうになってなかったのに」
彼女がまくし立てる声は、俺の耳には遠くに聞こえていた。いつの間にか怒りは冷めて、その悲痛な叫びにただ胸が痛んだ。
言い返す言葉もでてこなかった。
「なんとでも言ってろよ、今は。でもな、いつかは、ここに俺たちを集わせた理一に感謝することになるよ。今日はもう帰りな。俺ももう仕事行くし」
俺はなんとも言えない沈んだ気分のまま、少女をそこに残して駅を去った。分かったような気でいたが、幼い頃に希望を奪われて愛されることすらも忘れてしまった彼女の心が、どんな状態になっていたのか、初めて目の当たりにした。自分はまだ、アイノコ狩りの被害者遺族の中では恵まれているほうかもしれないと思った。そして、彼女のように救いを待っているアイノコたちが、深雪の他に何人も存在しているかと思うと、やるせなかった。
その絶望と同時に、俺はそのとき決意をあらたにした。絶対にこの国を変えると。自らがはまった泥沼から抜け出すための手段として理一が選んだこの改革が、実は独りよがりでなく多くのアイノコを救えることだと気付いた。俺はその頃、深雪や理一と比べればまだ心に余裕があった。
だから決意したのだ、もう誰も絶望させないことを。


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