ナギサが声をかけると、真っ白い髪のアイノコは深くため息をついて両手をポケットに突っ込んだ。
「なんでもねーよ。彼女じゃないし」
「追い出されてたじゃないか」
「ていうか何の用? ほっといてよ、通りすがりの人に関係ないだろ」
彼は吐き捨てるように言いながら階段を降りてきた。背がひょろりと高く、手足が細長い。身長は185,6センチありそうだ。
「今そこの家に入っていった男に見覚えがあったんだよ」
ナギサは答えた。男の片目は髪の毛で隠れていて、もう片方の見えているほうの目がぱっとナギサを見た。驚いたような反応だった。
「知ってんのか? あいつのこと。俺もさっき初めて会ったんだけど。俺の師匠が勝手に家に呼んだんだよ、国営の社員らしくてさ、ホタルって言ってた」
ナギサは言葉を失った。やっぱり思ったとおりだ。
そうかな、とは思ったのだが、このまま通り過ぎることもできた。何しろ彼とは40年も関わりがないし、最悪の別れ方をしてきたのだから、今更こちらからちょっかいをかけるつもりはなかった。ただ、前を走っていた黒い車が急に止まって、降りてきた男の横顔に気づいてしまったに過ぎないのだ。ああ、やっぱりあいつは仕事ができるんだろうな、会社でもさぞ出世したことだろう、などと考えながら、彼にバレないようにそそくさと去るつもりでいた。しかし、彼が入っていったアパートの一室から、直後に見知らぬ男が飛び出てきたものだから、つい事情が気になって声をかけてしまったというわけだ。
「やっぱり……お前、今師匠が勝手に呼んだって言ったか?」
「ああそうだよ、でも俺、これから仕事だから長くなるようならもう行くけど」
「方向どっちだ? 同じなら乗っけてってやる」
「ノーヘルじゃん」
「気にすんな、アイノコにそんなこと注意する警察見たことないだろ。ゴーグルあるから貸してやるよ」
ミソラが方向を告げると、幸いにも途中まで同じだったので、ナギサは彼を後ろに乗せて走り出した。
「で? お前の師匠の名前は」
「カレン。知り合いなの? あんたもしかしてさ、カレンたちの兄弟?」
「ああ、やっぱりカレンか。俺の予想ことごとく的中だ。俺はカレンともホタルとも兄弟だよ。しかし急に接触しはじめたのか? お前が知らないってことは、それ以前に俺には内緒で他の兄弟たちに関わり合いがあったなんてことはなさそうだな」
「うん、今までは全然なかったよ。だから俺もめちゃくちゃ不審に思ってんだよ、何やってんだか全然教えてくんねーしさ」
「カレンとホタル……デキてんじゃねーのか?」
「そんなわけないだろ、適当なこと言うな!!!」
ミソラが急に声をあげたので、驚いてナギサがハンドル操作を誤り、バイクが一瞬ぐらりと蛇行した。
「急にでかい声出してんじゃねーよ! しかもお前、いくつだ、年上に向かってその口の利き方はないんじゃないか?」
「18。自己紹介してなかったな、名前はミソラ。カレンの弟子、兼用心棒」
「俺は個人霊媒師のナギサだ。カレンと同い年。お前カレンに惚れてんのか?」
ナギサは自己紹介から流れるようにそう問うた。うしろで「うっ」とミソラが息を詰まらせるのがかすかに聞こえて、彼は笑った。
「ほ、惚れてなんか、ねーよ」
「お前分かりやすいなー。まあ心配すんな、昔からカレンはホタルのこと相当嫌ってたからたぶん平気だよ」
「その話はもういいよ! そんなことより、カレンは昨日、連続婦女殺傷事件の捜査のこと言ってたんだ、詳しくは教えてくんないんだけど」
「連続婦女……ああ、あれか。言ってたって?」
「捜査に協力するだのなんだの」
「国営がやってる捜査にってことか?」
「らしいよ。ホントに俺は詳しいことよく分かんないんだ」
「なんでカレンが……」
ナギサは首を傾げた。自分たち兄弟と、この事件に何の関係があるというのだろう? それとも捜査のためにカレンの能力を必要としたホタルが、ただ個人的に彼女に依頼しただけだろうか。
「お前、カレンの特殊能力については知ってるか?」
「もちろん。亡霊の記憶が見えるんだろ? それを慰めて成仏させる」
「そうだ、もしかしたらその能力が捜査に必要だったのかもしれない。それだけだとしたら俺は用なしだし、とりわけ騒ぎ立てる必要もないが……もし、」
ナギサはそこまで言って口をつぐんだ。
胸騒ぎがする。
彼女のことがふと脳裏をよぎったのだ。
「……どうした?」
「いや、」
「なあ、カレンが心配なんだよ。俺に何も説明してくれないってことは、何か危ない作戦でも実行しようとしてるかもしれないんだ、あんた分からないか、あのふたりが何をしようとしてるか」
ミソラは必死にまくし立てた。その声からは一途に師匠の身を案ずる心が感じられて、彼のために自分が何かできることはないかと考えてはみるのだが、
「わ、悪いけど、今は俺にもまったく見当がつかない」
そう答えたナギサの声は、少しだけ震えていた。
「ただ、ぼんやりと推測すれば……俺たち兄弟の中で、失踪したひとりのことに何か関係しているのかもしれない」
失踪したひとり――ナナミは、ナギサの恋人だった。兄弟とはいえ血のつながりは全くなく、当時は大所帯も多かったので兄弟同士で交際する例はよく見られた。ふたりも幼い頃から約束を積み重ねて、ずっと愛し合ってきた幸せな恋人同士に過ぎなかった。しかし、あの日ナギサの明るかった人生は地に落ちた。大好きな師匠と愛する恋人を一度に失い、加えて兄弟たちとの絆も失った。ナナミの失踪から数日間は、足を伸ばせるかぎりどこまでも駆け回って彼女を探したが、ついに亡骸すら見つかることはなかった。
それ以来、ずっとひとりきりで生きてきた。
この40年間、ひとりも恋人を作らなかったわけではない。寂しさを紛らわせようとしていた。しかし、夢に見るのは美しい郷愁、そしてその景色の中にうずもれる笑顔のナナミ。本当の愛は、彼女にしか向けることができなかったのだ。
もしも彼女が今もどこかで、他の兄弟たちのように、姿は見えずとも元気に生きていて、もう一度会えるなら、会いたい。そしてあの幸せだった日々を取り戻せるなら、どうせなら、兄弟5人で、あの日々に帰りたい。
でもそれは、ただの我侭にすぎないと、彼は自分でも分かっていた。
「電話番号教えとくよ。お前とカレンの力になれるなら、なりたい。何かあったら連絡してくれ」
「……ありがと」
そうして別れて、ナギサとミソラはそれぞれ仕事に向かったが、お互いにさまざまなことが気がかりでならず、うわの空のまま一日を過ごした。


翌日になって、ミソラからの電話で目を覚ました。
「……もしもし?」
「なんか俺、今度こそマジで追い出されそうなんだけど」
電話口で押し殺した声のミソラが言う。ナギサはベッドに寝転がったまま聞き返した。
「ホタルは今日は?」
「来てない。今日はカレンも俺もオフなんだけど、ちょっとやることあるから出てけとか言われた」
横柄な態度の彼女の言い方が目に浮かぶようだった。ナギサはため息をつきながら起き上がって、
「しゃーねーな。俺が会いに行ってやるよ。俺の顔見たらちょっとは考え直すだろ」
と言った。ミソラは、自分と彼女の間に他の男がどんどん介入していくこの事態を芳しく思っていないだろうが、本人にはもうどうすることもできないので、「頼んだ」と渋々答えて電話を切った。
ナギサはすぐに家を出てカレン宅までバイクを飛ばした。アパートの前に、白髪の少年が大きな身体を折りたたんで小さくしゃがみこんでいる。
「もう追い出されたのか?」
「おうよ」
よく見ると彼は足元の蟻の行列を眺めていた。
「おら、何してんだ、行くぞ」
明らかにテンションの低いミソラが、とぼとぼと彼の後をついてくる。敬愛する師匠にここまで拒絶されたら、誰だってそうなるだろう。
インターフォンを押した。
「はい」
インターフォン越しでそう答えただけでは、カレンの声だなあとはあまり思えなかったが、
「俺です、ナギサ」
と言った後、数秒おいて、
「ナギサ!? 嘘でしょ!?」
と叫んだ声に、懐かしさを感じた。バタバタと走ってくる音がして、勢いよくドアが開いた。出てきたのは、40年前と変わらないカレン、その人だった。きりっとした目鼻立ちの端正な顔つきに、恐ろしくバランスの良い長身、そして艶やかな黒髪。何もかも昔のままだ。驚きを隠せない彼女と目が合って、ナギサは思わず少し笑った。
「久しぶり」
「ホントに……ナギサだ……」
「ホントにナギサだよ。カレン、お前の弟子ね、家に入れてやってくれないか。どんな事情があるか知らんが、こいつ本気で心配しているんだよ」
カレンはナギサの後ろに立っているミソラを冷たい目で一瞥してから、くるりと踵を返して部屋の中に入っていった。
「なんでこの子とナギサが一緒にいるの!? ちょっと私頭が混乱してきたわ、ちゃんと説明して! ふたりともあがって頂戴」
「俺にはなんにも説明してくんないくせに!」
と、ミソラが靴を脱ぎながらカレンの背中に叫んだ。
「はいはい分かったわよあとでちゃんと説明するってば。それよりナギサ、あなたのことのほうが先」
部屋はごちゃごちゃと散らかっており、カレンのものらしいベッドがひとつ、そのすぐ横にミソラの布団が敷きっぱなしになっている。カレンが「ミソラ、布団かたして」と命じたのにたいして、ミソラは相当憤っている様子であったが意外にも素直に応じて、そのあと隅によせてあったちゃぶ台を真ん中に引きずり出してきた。
カレンがしようとしていることに関して、真相を聞くのは正直少しだけ怖かった。もしナナミのことと関係があるなら、もちろん彼女を取り戻したいと彼は思っていたが――。
ナギサは一瞬頭に浮かんでしまったカレンへのよからぬ疑いを頭から振り払い、ちゃぶ台のそばに腰をおろした。

('12/08/04)

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