「ただいまー」
古いアパートの一室で、床に敷かれた布団の上に寝転がって、真っ白い髪のアイノコの少年が音楽雑誌をめくっていた。
彼は18歳で、普通のアイノコと同様にそろそろ身体の成長や老いもとまってくるという頃だが、髪の毛だけは生まれつき老人のように真っ白い。それが何故なのかはいまだに分かっていないが、アイノコにはごく稀に部分的にハイスピードで老いていくという変異があるので、その類だろうと思って大して気にしたことはなかった。
「おっそい」
帰宅した彼の師匠に向かって、白髪の少年、ミソラは一言ぼやく。
「ちょっとじゃん、厳しすぎ」
彼の師匠、カレンは艶やかな黒髪を揺らして笑った。彼女は背が高くすらりとしていて、端正な顔立ちで、弟子であるミソラから見ても美しい人だった。
「あーどっこいしょ。疲れたー」
「やめろよそれ……」
ミソラが眉をひそめるのも気にせず、カレンはベッドにどすんと腰を下ろし、茶色い革のハンドバッグを投げ飛ばした。そして白い七分丈のパンツを履いた長い足を組むと、
「ミソラ、ビール」
と、当然のように命令する。
「はいはい」
彼はため息をつきながら立ち上がった。
「今日何してきたの」
「ちょっと会社寄ってきた」
「なんで最近会社行くわけ?」
ミソラは冷蔵庫からビールの缶を取り出しながら、早口に質問した。
「だから私のお兄ちゃんとか弟がいるって言ってるでしょ、何度も。同い年だからお兄ちゃんか弟か知らないけどさ」
「いまさらなんの用があるんだよ、40年会ってなかったんだろ」
「色々よ、色々。私たち兄弟には複雑な事情があるの! 5人もいるからごちゃごちゃするのよ」
そう言いながらカレンは後ろにばたんと倒れる。
「ほらカレン、ビール! 寝るなら引っ込めるぞ」
「だめー、飲むー、起こしてー」
ミソラはまたため息をついてから、カレンの腕を引っ張って起こした。
ビールの缶を開けて、彼女はごくごくと一気にかなりの量を飲み干した。
「っぷはー! うめえ」
「おっさんかよ、さっきから」
「これが私なのよ、慣れなさいあんたが」
「もうちょっとどうにかしろよ、そんなんだからいつまで経っても恋人できないんだっつーの」
「余計なお世話! 私はそんなのいらないもの」
ミソラは呆れてそれ以上何も言わず、黙って彼女の横に腰を下ろした。
「会社もさあ、今アレで忙しいんじゃないの? 連続婦女殺傷事件の」
「ああ、うん。そうよ、その話で通ってるの、私」
「え?」
なんということもなく答えるカレンに、ミソラは目を丸くした。
「私が捜査の力になれるかもしんないんだって」
「それが兄弟のこととどう関係があるっていうんだよ」
ミソラの問いに、彼女は一瞬その目を見つめた。それがいつになく真面目な表情だったので、ミソラは面食らって視線をそらした。
「それは秘密!」
次の瞬間、カレンはにんまり笑う。
「なんだよ……」
一瞬本気で心配してしまったのが恥ずかしくなって、ミソラは片手で目を覆った。
「ていうか、捜査の力にって、カレン、駄目だぞあんま危ないのは」
「何言ってんのよあんたは……私に過保護すぎんのよ」
「そっちが何言ってんだよ、俺の役目がそれじゃん! 用心棒じゃん! カレンがなんかやるっていうなら、俺は絶対ついてくからな。ひとりでなんか絶対やらせないぞ、わかってんのか」
「駄目よ今回ばっかりは私たちの問題でもあるから、あんたに首突っ込んでもらっちゃ困るの」
「じゃあ具体的に何すんのかだけでいいから教えてくれよ」
カレンはまたぐいっとビールを飲んでから低い声で答えた。
「だからさっき秘密って言ったじゃない」
「言えないようなことか? 絶対駄目だ」
「違うってばー……」
彼女は面倒くさそうに言ってから、まだ中身の入っているビールの缶をミソラに手渡すと急に横になった。
「もう寝るから明日話そう……おやすみー」
「はあー? なんだよそれ……」
ミソラはそれ以前に少しだけ彼女の兄弟について聞いたことがあった。5人兄弟は長崎で生まれ育ったが、16歳のときにそれぞれ決別して上京してきたらしい。
そして、師匠の死と同時に全員が家を出たのだが、本当の決別の理由は、5人のうちひとりの少女が謎の失踪を遂げたことなのだそうだ。自分たち家族以外に知り合いもいなかったので、行くあてがないであろう彼女が生きている可能性は低かった。カレンはちょうどそのとき高熱で寝込んでいたらしく、彼女以外の男3人は死に物狂いで探し回ったが、ついに見つからず。彼ら4人の中で誰かが彼女を殺したのではないかと疑心暗鬼になり、互いを信じられなくなっていざこざが起こり、そのまま絶交して上京してしまったそうだ。
そのうち二人は国営霊媒会社に就職、カレンは個人霊媒師をやっていて、あとのひとりはどこで何をやっているか分からない。
“偶然会ってないだけで、きっと全員近場で生きてるわよ、ちゃんと”
と、いつだかにカレンが言っていた。ひとりひとりで確立してしまった今の生活に、互いが今更介入する必要もないと全員が思っているから、40年も会わずに生きてきたのだろう。寂しいことのように思えるが、それはそれで、平和だったのかもしれない。彼らにとって。
それが急に、なんのためらいもなく接触するようになったのだとすれば、一体彼らに何が起こったのだろう。
すべてを共有させてくれない師に苛立ちを覚えながら、ミソラは彼女の身体に布団をかけた。
「くそー、いつまでも子供扱いしやがって……」
半世紀以上生きていても、カレンの寝顔はあどけない。それなのにまだ、彼女に追いつくことなど到底無理な気がして、彼はその歯痒さに顔をしかめた。


アイノコの活動時間は、霊媒の都合上、夜だ。なので朝方に寝て、夕方に起き出す、人間とは真逆の生活をする。
翌日、ミソラは仕事があったので夕方にはもう起き出したが、カレンは日が落ちきるまで寝ていた。そして、目を覚まして早々に、
「今日、朝方まで家空けるよね? ミソラ」
と、尋ねた。
「……そうだけどカレンがなんかしようってんならついてくよ」
「またそれ? 仕事にはちゃんと行かなきゃダメよ」
「ちゃんと説明してくんなきゃ行かねえ」
ミソラは昨日よりも強い口調で断固として言い張った。カレンはため息をついて頭をかき、ベッドからのそりと起き上がった。
「私ちょっとシャワー浴びてくるから絶対その間に家出ててね」
「俺がいたらダメなんだろやっぱ!」
「じゃなくてちゃんと仕事行けっつってんの!」
ついにカレンも声を荒げた。
「絶対俺説明してくれるまでここ動かないからな!」
「馬鹿言ってないでいい加減ちゃんとしてよ、早く仕事行って。もうこの時間には出るって昨日言ってたじゃない」
「だけどー……」
ミソラは彼女がしだいにあせり始めたのを感じて、不審に思った。と、そのとき、家のインターフォンが高く響いた。
カレンはため息をついて両手で顔を覆った。
「だから言ったのに……はあめんどくさ。ミソラ、出ないでいいからちょっとそこで待ってて。顔洗ってくる」
彼女はそう言い残して洗面所に走っていった。ミソラは何がどうなっているのか分からず、ただそこに呆然と立ち尽くしていた。カレンは顔を洗って髪を少し整えただけで、ジャージ姿のまま玄関へ出て行った。
「はいはい、ごめん今起きたとこだったの」
「そんなこったろうと思ったよ」
男の声がした。ミソラはそこでやっと、慌てて玄関に向かった。カレンの背の向こうに立っていたのは、黒い背広を着た国営の社員らしき男だった。もしかして、と思った矢先、カレンが振り向いて、
「あ、この子が私の自慢の息子。ミソラくん」
と、紹介した。
「ああ、そうなんだ。初めまして、カレンの古い古い友人のホタルです」
話には聞いていたが、ミソラが彼に実際会うのは初めてだった。
“いつもへらへら笑いの仮面をつけてるみたいな、本心の読み取れない気味の悪い男よ。才能もあるし見た目もいいけど、なんかダメなのよ、あいつは”
カレンはいつだかこの兄弟に関してそう言っていた。薄茶色の巻き髪に、げっそりと痩せこけた頬と、刻み込まれたような目の下の隈。それとは反対に眼光ばかりがぎらぎらと鋭い印象だった。そして、すべてを嘲笑するような愛想笑いが口元には常に浮かんでいる。
ミソラがその男から発せられる異質な雰囲気に圧倒されて何も言えなくなっているうちに、
「この人も一緒だし、ミソラ、あんたがそう心配することないわよ。さっさと仕事行ってきな」
と、カレンに言われ、背中を押された。とっさに玄関に出しっぱなしにしてあったサンダルに足を通す。
「えっ、だから、カレン、何すんのか……」
「いいから行ってらっしゃいって!」
半ばはじき出されるようにして、外に出された。
「おい、なんでだよ! 入れろよ、説明しろよちゃんと!」
外からドアをドンドン叩いて叫んだが、返答はなかった。
もちろん鍵は持っていたが、ミソラには戻ることはできなかった。彼女の焦った顔と、ホタルが訪れてからの緊迫した表情から、彼なんかのわがままが通用するはずもないことがだんだん分かってきてしまったからだ。しかし、なおさら心配だ。兄弟とは言え、怪しいにおいのする男と、彼女をふたりきり部屋に残していくなど。
「どうした? 兄ちゃん、大声出して」
下から声がした。ミソラがそちらに振り向くと、アパートの下に、一台バイクが止まっていて、それにまたがった男がヘルメットをしたままこちらを見上げていた。カーキ色のモッズコートを着ている。
「彼女にフラれたか?」
そう言って笑いながら、男はヘルメットをはずす。暗い茶髪で、大きな黒ぶちの眼鏡をかけた、アイノコの男だった。

('12/08/03)

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