携帯電話のバイブレーションが、テーブルのうえで暴れるように鳴り響いた。
男はパソコンの画面を睨んだままそれをとり、「はいこちら“個霊”」と短く答える。普通なら「こちら個人霊媒師の○○です。悪霊祓いのご予約ですか?」と丁寧に出るところを、だ。男の刺々しい口調に驚いたらしく、電話口で依頼人の女が「あっ、」と息をのみ、
「ナ……ナギサさんですか?」
と、びくついた声で聞き返した。
「そうですけど。悪霊祓いの予約?」
ナギサと呼ばれた男はそっけなく言った。言いながらテーブルのうえのメモ帳を引き寄せて、携帯を左手に持ち替えて右手にボールペンを構えた。
「そうです」
「ちなみに若い女性の一人暮らしなら女の霊媒師紹介してやるけど、俺でいいの?」
彼はとりあえずそう聞いたが、依頼を受け付けるホームページに男だと記載しているので、知っていてかけてきているのだろうとだいたいは分かっていた。大抵若い女が彼のような男の個霊に依頼するのは、それらの類の男にしか興味がない変な女である場合がほとんどだ。少数派とは言われているが、これが実際結構存在しているらしい。反して、“彼らの種族”では人間の女を好むものは本当に一握りだ。
「構いません」
ナギサはその言葉にあからさまに溜息をついてから、
「分かりました。じゃあ住所と名前、あと職業」
と、サービス精神が微塵も感じられない口調で情報を要求した。
女は都心のアパートに住む21歳の女子大生で、名前は金原愛子といった。
「で、何を見たか詳しく教えてくれ」
「ああ、えっと……」
最初はびくびくしていた愛子だが、話を聞くうちにだんだん砕けてきて、途中からはべらべらとよく喋るようになった。
「夜とかしょっちゅう物が勝手に落ちたり、閉めた棚とかが開いてたりー、そういうのはずっとあって怖いなーと思ってたんですけどー、この前金縛りにあって、そのとき変な男が枕元に立ってたんです! 立ってるだけで何もしてこなかったんですけど、すっごい怖くて。それでしばらくしたら消えて、金縛りも解けたんですけど、私、のど渇いたんでお茶飲もうと思ってキッチンまで行ったんです。そしたら後ろから誰かに首絞められて、気を失って……気付いたら朝でした。死んでたかもしれないと思ったらすごい怖くてー」
枕元の男の亡霊と首を絞めた亡霊が同一人物とは思えなかったが、後者に関しては人間に触れられる以上、かなり強力な悪霊であることがうかがい知れた。そのわりには彼女が興奮してまくしたてる様子が、ナギサには少し不気味に思えた。亡霊に対して警戒心も薄く、その恐ろしさも理解していないのだろう。そして代わりに、いらない好奇心ばかり抱いている。
恐らく後者の亡霊は今、世間を騒がせているあの強力な悪霊であろうとナギサは予想した。若い女ばかりを無差別に狙っており、今まで実際に何十人も殺している。ただし、一度失敗したところにまた訪れる可能性はゼロに等しいらしく、世紀の大悪霊をしとめるのは俺には無理か、などとナギサはぼんやり考えた。霊媒業界はその話題で持ちきりになり、国有の霊媒機関、国営霊媒会社でもこの亡霊を追っており、負けじと多くの個人霊媒師までもがこの悪霊の首を狙っている始末だが、未だに目撃情報すら出ていない。そんな状態がもう3ヶ月以上続いている。
「男の亡霊は死んだ知り合いか?」
「いえ、知らない人です」
「顔覚えてる?」
「ぼんやりと……」
「じゃあ特徴を教えてくれ」
「え、あの、もし他にもお化けいたら、退治してくれますよね?」
「亡霊一体退治するのにかかる料金書いてあっただろ? そんなに出せるならいいよ、そりゃ」
女は一瞬黙ってから、しぶしぶ男の特徴を話し始めた。




死神の記憶




20××年、日本。
冥府には入り口と出口が存在する。丑三つ時には毎日きっかり冥府の出口が開き、人間界に悪霊がなだれ込む。その所為で人間の歴史にはいつでも亡霊の存在が絡みついていた。古代から亡霊による殺傷は後を絶たず、今日、先進国ではどこでも悪霊に対する防衛措置がとられている。
成仏しないで人間界に入り込む亡霊の多くは、悪事を働く悪霊だったが、稀に、愛するものとの死別の苦しみに耐えかねて、戻ってきてしまう亡霊もいた。
「ナギサさんってやっぱり、その、“アイノコ”なんですよね?」
夜、愛子の家に訪れると、亡霊に悩まされて精魂尽き果てているようなほかの依頼者とは違って、彼女は目を爛々と輝かせながら彼にあれこれ話しかけ続けた。
「そりゃそうだよ、霊媒師なんだから」
常識のある大人なら話題に出すこともしない“種族の問題”を、彼女は気にするそぶりもなく口に出した。ナギサは顔をしかめながら答える。
「どうぞ、狭いですけど適当に座って。今お茶出しますね! 私霊媒師さんとお話するの初めてです、街でたまに見かけたりすると、綺麗だなーとか思って見ちゃうんですけど」
「綺麗なもんかい、人間とちょっと見た目が違うだけだろ」
「綺麗ですよ、だってー、人間と亡霊の“間の子”なんでしょ? それでずーっと年もとらないんでしょ? 神秘的っていうかー」
愛子はお茶を運んできてからもしばらくひとりで盛り上がっていた。
確かに彼女が言うとおり、霊媒師というのは、“アイノコ”が就く職業であって、“アイノコ”というのは亡霊と人間の許されない性交渉によって生まれてしまった子供のことを、蔑んで呼ぶ差別用語だ。
アイノコは青白い陶器のような肌と、男女の境目がはっきりしない中性的な外見を持ち、16,7歳になると成長や老化が止まり、死ぬまで同じ姿でいる。身体能力、体力の面では人間をはるかに超えるが、寿命は人間と同じぐらいだ。人間から見れば当然気味の悪い見た目をしており、愛子のようにそんな種族を綺麗なんていうのは相当変わった趣味に違いなかった。
そしてナギサも、そのアイノコのひとりだ。
彼は愛子の話を適当に聞き流して、彼女の家にいる間、じっとそこに座ったまま何をするでもなく時が来るのを待っていた。
愛子が眠りについて、数時間立ち、丑三つ時に入ると、ほどなくして彼女が言っていたとおりの男の亡霊が現れた。直接危害を加える様子はないが、愛子は明らかに金縛りにあっている。
ナギサは着ていたカーキのモッズコートのポケットから、日本刀の柄のようなものを取り出し、一度空をかいてそれを振った。すると柄の先に、青く輝く透き通った刀身が現れる。この刀を使えるのはアイノコだけで、この刃は亡霊とアイノコしか傷つけることができない。そしてこの刃で亡霊を、人間を死に至らしめる要領で傷つければ、成仏させることができる。少々手荒に思われるやり方ではあるが、古代からこの方法しか存在しておらず、これより効率のよい霊媒方法は生み出されることはなかった。
「お前はこの女になんの恨みがある?」
ナギサは声を落として男の亡霊に問いかけた。
男がふらりとこちらを向く。そして焦点の合っていない目でナギサを見た。ふら、ふら、と一歩ずつこちらに迫ってくる。
「喋れないのか? 言い残すことはないな、悪いけどこの狭い部屋じゃ大乱闘はできない。一瞬で楽にしてやるから動くなよ」
ナギサは早口にそう言って亡霊の喉元をすばやく刀で掻っ切った。モッズコートのすその金具がテーブルの上の何かに当たってキーンという音を立てた。
男は一瞬うめき、そのまま倒れ、姿も飛び散った血も見えなくなった。
「……ナギサさん?」
金縛りが解けた愛子が起き上がって彼の名前を呼んだ。
ナギサはとくにあわてるそぶりもなくまたナイフを振った。青い刀身は姿を消し、刀の柄はまたポケットにしまわれた。
「なんですか、今の」
そう言われて、ナギサは突如パチンと指を鳴らし、
「はい、忘れた」
と言った。
言葉のとおり、愛子は一瞬見えた青い光の記憶を消し去られて、ぼーっと彼の顔を見つめていた。
「前払いでさっき金はもらったね、じゃあ、しっかり亡霊は退治したから、俺は帰るよ。またご贔屓に」
ナギサはそうとだけ言ってそのままさっさと家を出た。
つまらない、やりがいもへったくれもない仕事だ。剣術を習得する段階だけは楽しいが、そんな少年時代はもうとっくの昔に過ぎ去っている。まだ少し肌寒い初夏の真夜中、マンションの階段を下りながら、ナギサはふと昔のことを思い出した。
アイノコは実の親と暮らすことはおろか、会うことすら許されない。彼らは師匠と呼ばれるアイノコの里親に育てられ、血縁関係のない寄せ集めの弟子たちと、兄弟として生活する。ナギサの家は5人兄弟で、全員が同い年だった。優しい師匠のもとで、海に近い田舎町の大きな平屋で暮らしていた。もう56年も生きているナギサにとっては、もう40年以上前のことだが、今でもその楽しかった頃のことは鮮明に覚えている。
師匠が死んで、16で東京に出てきた。
兄弟たちにはずっと会っていない。
ナギサは忘れかけていた淡い後悔の念を思い出しながら、愛用の黒いバイクにまたがり、真夜中の静かな住宅街を駆け抜けた。

('12/08/01)

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