短編小説 | ナノ

 遅い春がやってくる(2/2)


私の家は、酒癖の悪い父と世間体を気にしすぎる母と歳の離れた弟の四人で暮らしていました。

父の酒癖は、年を追うごとに悪化の一途を辿っていて金遣いの荒さにも頭を悩ませることが多くなってきました。

そんな父を見限った母は、私たちに何も言わずに家を出て行ってしまい……その後、何処で何をしているか分からない状況になってしまい、それが更に父の癪に障ったようで酒癖が悪化していきました……

何処かで働いているわけでもなく、家を長期間開けることなんてしょっちゅうで……どこかで賭博をしているということは容易に想像できました。それが証拠に、私がお給料を貰えた日の晩に必ず家に帰ってきてはお金を全て取り上げてまた何処かへ行ってしまっている日が半年以上続いていて……

少しでも手取りが減っていると、「勝手に金を抜いてるんだろ!?」と怒鳴られては殴られることだって少なくないし、先月と金額が変わらなくても殴られることだってあった。


「雪村さんが指摘してくれたことは当たっていて、ここ最近は父が家にいることが多くていつ罵声や手を上げられるか分からなくて、ずっと怯えていて眠れない日が続いるんです。働いているのは私だけだから少しでも稼ぎを取らないといけないし、それに加えて家にずっと置いている弟が父に何かされてないか気になって仕方がなくて……」

「不安要素ばっかりじゃねーか」


そう言葉をこぼす野村君の言う通りで、ここ最近は気になることが多くて気が休まっていないのだ……


「あの、これは知り合って間もないことを承知でお話しすることなんですが……」


ご飯も食べ終え、箸を置きながら話してくれているのは相馬君だ。


「少しでも構わない、父親と距離を取ったほうが良いと思います」

「父と……?」

「今すぐに、というのは難しいとは思いますが……現状を打破するには、今の環境を大きく変える必要があるのではないかと思って……」


相馬君の提案にとても賛同したいけど、もし距離を置くことになった場合の住む場所を探さなくてはいけない。

身内のほとんどは、父に愛想をつかせて離れてしまい頼れる人がいないから……


「もし、住む場所や賃金のことがきなるようなら……いっそのこと、新選組の屯所に来てはどうかしら?」

「い、伊東さん!?」

「確か雪村君の隣の部屋、空いていて誰も使ってないのよね? 人が二人転がり込んだところで問題ないでしょうし、周りがとやかく言うなら私にだって考えがあるわ。君の弟を、私付きの小姓にする、とかね」


まさか、新選組のお偉いさんでもある伊東さんからそんなお話をされるだなんて思いもよらなくて……

なんだか知らないうちに話が進んでいるようにも見えるし……これ以上ご迷惑は……ッ


「……これくらい、良いじゃないですか」

「え……?」


顔色を悪くする私に、穏やかに話しかけてくれたのは雪村さんだ。


「今までずっと、頑張ってきたじゃないですか。少しでも構わない、こうして貴女のことを知って関わりたいと思っている人たちに頼ってみるのは悪いことではないと思います。誰も悪く言いませんよ?」

「でも、ご迷惑をかけるわけには……」

「気にすんじゃねーよ」


周りに迷惑をかけないように、ひっそりとでも構わないから穏やかに生活がいたい。ずっとそう思って、父からの暴力にも耐えながら弟を守ってやることしか考えていなかった……

だから、手の届くような距離にいる人たちからの声に……甘えてしまいそうだ。

そのきっかけが生まれたのは、真っ直ぐ私を見つめてくる三木さんなんだ……


「お前が俺の女になってくれるなら、これくらいどうということはねーよ。これでも足りねぇって言うなら、要望を言えよ。いくらだってしてやるから」

「……三木さんって、物好きですよね。私なんて、何の取り柄もありませんよ?」

「なくて構わねぇよ。俺が、お前に一目惚れをしたんだから」


嗚呼なんて、純粋で真っ直ぐな言葉なんだろう。どうしてこの人は、私のことをこんなにも気にかけてくれるのだろうか……一目惚れだなんて、誰も信じないかもしれないのに……

それなのに……私も、彼と同じ理由で惹かれてるなんて……気付かないふりをするのも、限界なのかもしれない。


「……なら、少しだけ、甘えても良いでしょうか?」

「勿論よ! 憧れてた義理の妹が来てくれるなら、なんだってしてあげるわ!」


他の誰よりも嬉しそうに言葉を弾ませる伊東さんに、心なしか笑みを浮かべてしまう。

すると、そんな私たちの様子を見守ってくれていた女将さんが私の元へと駆け寄ってきてくれた。


「良い知り合いが出来たようでよかったわ、翠ちゃん」

「あ、女将さん……もう休憩は終わりですか?」

「そのことなんだけどさ、折角の機会だ……アンタは父親と区切りをつけてきちゃいなよ。今日の午後は臨時休業にしようと思ってたし、少し早いけどお給料渡してあげるから」


ハイ、と手渡してくれたのは……いつも見慣れている封筒だ。中にはいつもの金額が入っていて、目を丸くさせながら女将さんへと視線を向ける。


「この定食屋をずっと支えてくれてる看板娘が、一日でも早く元気になれるよう動いてくれる人がいるなら、善は急げだよ! 今後も頼りにしたいんだから……気がかりは少ないほうが良いだろ?」


恰幅の良いこの定食屋の女将さんは、私がここで働き始めてからずっと親身になって相談したり愚痴を聞いてくれている大事な存在だ。母親のように気にかけてくれていることもあって、数少ない私の頭の上がらない人ともいえる。


「折角の機会ですもの、さっさと話し合いをつけに行きましょうか! 翠ちゃん、お住まいはどちらになるのかしら?」

「えっと、ここから少し離れた集落で……」

「そんじゃ、早速行こうぜ!」


手渡されたお金を握りしめながら、私は三木さんたちと一緒にお店を出て自宅へと向かう。背後では、武運を祈るように大きく手を振って見送る女将さんが、姿が見えなくなるまで見送ってくれていた。







定食屋から離れた場所にある集落……ここは、諸事情で身寄りがない人や手取りが少ない人、そして世間からワケありで隠れるように住んでいる人など、色んな事情を抱えている人たちが住んでいる場所でもある。

とはいえ、ここ全体を管理している大家さんのような役割を担っている体格のいい男性の方は、怒らせると怖いけれど事情を説明すれば賃金などの納期の調整や金額交渉にも進んで取り組んでくれる優しい方だ。

集落へと足を運ぶと、丁度大家さんとお会いすることが出来て事情を話すことが出来た。一緒に来てくれた三木さんたちを紹介すると、彼は目を丸くさせながら深々と頭を下げる。


「まさか新選組の方々とお知り合いとは、翠ちゃんの人柄は凄いね。あの馬鹿男とはえらい違いだよ……」

「大家さん……一応、私の父ですのでそのような言い方は……」

「分かってるさ! とはいえ、父親と距離を置きたいっていう気持ちは分からなくもない……賃金の滞納はまとめて父親に請求するから、君は気にしなくていいからね」


ポンポンと頭を撫でられ、何度も頷いた。こんな優しい方だから、父のことで嫌なことがあっても今までやってこれたんだ……


「翠ちゃんの父親なら、さっき帰ってきたばかりだから家にいると思うよ。相変わらず無一文みたいだけどね」

「そうでしたか……わかりました、ありがとうございます」


頭を下げながら大家さんと別れると、伊東さんがムフフと笑みを浮かべながらいつの間にか持っている扇子で手を叩いていた。


「ここまでくると、天が私たちに味方をしてくれてるようね。さ、行きましょうか翠ちゃん」

「は、はい……!」


普段なら、帰りたくなくてたまらない我が家だけど……今は違う。私の見方になってくれる人に支えられているから、酷いことを言われても大丈夫だと自分に言い聞かせる。

大きく深呼吸をしながら、見えてきた年季の入っている家の前に立つ。震える手を抑えながら、意を決したように扉を開いた。


「やっと帰ってきやがったか! 遅ぇんだよ!!」


日もまだ高くて、普段なら帰ってくる時間帯でないのは誰が見ても明らかだというのに……部屋の奥から罵声を上げる父は気にする様子もないみたいだ。


「お父さん、今日は帰ってきてたのね」

「あぁ? 帰っちゃいけねぇみてぇな事いうんじゃねぇよ!」


まあ、一応ここは父の家でもあるから……言いたいことは分らなくもないけれど。

そう思いながら、お酒を手に飲み続ける父を横に部屋の奥へと進んでいく。そこには、身を小さくさせながら震える小さな存在がいるから。この子は優斗、私の弟だ。


「優斗、ただいま」

「お姉ちゃん……!? まだお仕事してるはずだよね?」

「うん。今日は早めに帰ってこれたのよ」


目を丸くさせる優斗は、ギュッと私に抱きついてくる。父がいるからか、ずっと肩身が狭い思いをさせてしまったみたいだ……

だけど、もうこんな日は今日で最後にさせよう。


「お父さん、実は大切な話があるんだけど……」

「あ? なんだよ、まさか手取りが少なくなったとか言うんじゃねぇだろうな!?」


空になったであろう酒瓶を机に叩きつけながら怒鳴る父に、身を振るさせながら小さく首を振る。


「そんなことじゃないの……今日は、早めに給料がもらえたんだけど……」

「おぉ!! そんなことだったのか、ホラ、さっさと出せよ!」


目の色を変える父に、眉間にしわを寄せながら……私はお金の入った封筒を机の上に出す。


「私、優斗と一緒にこの家を一時的に出ることにしたの。このお金を最後に、もうここに足を踏み入れることはないから」

「は……? なに、言ってんだよ……!!」

「お姉ちゃん……?」


状況がうまく呑み込めない優斗は、分からないなりにもこの場に包んでいる雰囲気を察して私の服をギュッと掴んでくる。


「私たち、距離を置いたほうが良いと思うの。このままじゃ、お互いにダメになってしまう……だから――」


お世話になりました。

そう言い残し、私はこの家から出ようとしたんだけど……優斗はパタパタと部屋の奥へと行ってしまう。心残りでもあるのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。すぐに戻ってきたあの子は、薄汚れたぬいぐるみを抱えていたからだ。


「これ、お母さんがくれたやつで……宝物だから、持っていきたい」

「そっか。良いと思うよ」


そう言う優斗の言葉に、私もふとある物が脳裏によぎった。そして、慌てながら部屋の片隅にある箪笥の引き出しを開けて……丁寧に畳まれている布を取り上げる。

そこには、母が出て行く前に渡してくれた髪飾りが入っていた。とても高価なもので、父に見つかったらすぐに売られてしまうのを恐れて奥深くにしまい込んでおいたのだ。


「……それじゃ、行こうか」

「うん!」


もう、心残りはない。大事な宝物も手にしている物だけだし、特別なことがない限り戻ってくることはないだろう……

背後から「待ってくれよ!!」と叫ぶ父の声が聞こえるけれど、動揺しているからかこちらまで走ってくる気配がない。出て行くなら今のうちだと直感する私は、すぐさま家を飛び出して勢いよく戸を閉めた。


「お疲れ様、翠ちゃん」

「!」


バクバクと心臓が早鐘を打っている私に、優しく声をかけてくれたのは……伊東さんだ。


「さっさとここから離れるわよ! 貴女の父親が下手に追いかけてきたら大変だもの」

「は、はい……!」


その後、私は伊東さんたちの保護されながら新選組の屯所へと向かうこととなった。

新選組の屯所は男所帯、そんな場所に女性である私がご厄介になるわけにもいかない……そう思っていた私の気持ちとは裏腹に、局長だと話す近藤さんは「伊東さんのお知り合いならば」という理由で私を一時的に住まわせてくれることとなった。

この屯所にいる間は、掃除に洗濯に食事の準備まで、なにかしら力になれることは進んで協力することが条件となった。そのくらいはお安い御用だし、手伝いをするのは当たり前のことだと思っていたから内心ホッとしたのである。

そして、私と三木さんの関係はというと……第三者から見ると、三木さんが一方的に私を口説き落とそうとしているように見えるのだと、雪村さんが話してくれた。

私も三木さんのことが好きで、いざ気持ちを言葉にしようと思っても……恥ずかしくてできない日が続いていて……


(うう……大事な一歩が、踏み出せないのが悔しい……!)


自分の気持ちを葛藤しているのを、少し離れた場所から近藤さんや伊東さんが見守ってくれていることに気付かない私は、大きく深呼吸をしながら三木さんへ想いを打ち明けようと必死になっているのだった。

私たちに、遅い春がやってくるのは……もう少し先になりそうだ……


END

2018/4/15




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