▼ 遅い春がやってくる(1/2)
「ねえアナタ達、これから時間あるわよね? 一緒に来てほしいところがあるの」
時は、もうすぐお昼に差し掛かろうとしていた。私は洗濯籠を手に庭で洗濯物を干している仕事の真っ最中で、途中から相馬君や野村君が合流して一緒に仕事をしている時のこと。
廊下を歩いていた伊東さんが、手をヒラヒラと動かしながら私たちに声をかけてきたのが……全ての始まりだった。
「いや、俺らは小姓としての仕事が残ってるし……勝手に動き回れませんって」
唇を尖らせる野村君の言葉に、私や相馬君は同意するようにコクコクと頷いた。
食事の支度だって取り掛からなくてはいけない時間だから、早く勝手場へと行かないと……
だけど、そんな私たちの気持ちなんて露知らずな伊東さんは人差し指を立ててきた。
「あら、心配は無用よ。近藤局長から許可は頂いているし、特別に私と一緒であることを条件に屯所の外へ出ても良いという話も頂いてるわ。今日の昼餉は外食よ! 私の奢りだから、早く準備なさい」
「奢り!? マジですか!?」
「お、おい野村……!!」
……なんだか、あれよあれよと話が進んでいってしまってる気がする。伊東さんも、あまり接点がない一介の小姓である私たちに声をかけたのだろう?
聞きたいことは沢山あるけれど、今この瞬間で分かることがあるとすれば……
(伊東さんが、私たちに何かしてほしいことがあるっていうこと……かな?)
理由は分らないし、私の直感でしかないから自信がない……
と、とにかく……二人に置いていかれないように、私は洗濯物を全部干し終えてから身支度に取り掛かるのだった。
♪
身なりを整え、屯所の出入り口で待つ伊藤さんと合流してから私たちは外へと足を踏み出した。
巡察での同行以外で外に出るなんて初めてで、変に辺りを見渡してしまう。父様の聞き込みが出来たらいいけれど、伊東さんが一緒だから今回は難しいだろうな……
「あの、伊東さん……これからどちらへ向かわれようとしてるのでしょうか……?」
「定食屋よ、て・い・しょ・く・や」
不安がぬぐえない相馬君に、何故か機嫌良く伊東さんの返事が聞こえてくる。
今日は良いことがあったのだろうか? 首をかしげながら、一歩先へと進む伊東さんの背中を見つめていると……唐突に彼の動きが止まる。
「ぅおっと、どうしました?」
「ま、外食は口実なんだけど……実は、私と一緒にアレを見てほしくてね」
「?」
コソッと内緒話をするように話してきたことに疑問を抱きながら、伊東さんが指さす場所を見て……私たちは目を丸くさせる。
「あれって、三木さん……だよな?」
そう、野村君が言った通り……通りを挟んだ道の先には三木さんがのんびりと歩いている姿が見えた。
「もしや、普段は外食されてるのでしょうか?」
「いつもってわけじゃないわ。ここ一か月前からってところね」
ということは、ここ最近になって外で食事をされるようになったということだ。
屯所の食事がお口に合わないのだろうか……少し分に思っていると、三木さんは一軒のお店へと入っていった。どうやら定食を扱っているお店らしく、店の扉は常に解放されていて中の様子がよく見える。
三木さんは、声をかけてきた一人の女性と何かお話をされているみたい。どんな話をされているか分からないけれど、会話をする三木さんが心なしか嬉しそうに見えるのは気のせいではなさそうだ。
そして、何故か三木さんが女性の顎を持ち上げながら真剣な眼差しで何かを話されてるようで……
「なあ、これってさあ……アレだよな」
「恐らく、口説いてるんじゃないかと……」
首をかしげる相馬君に、私は目を丸くさせる。
「えぇ!? な、なんで……!?」
「そうそう、そーなのよ! この私が知らない場所で、何をしているのかと思ったらって感じよ! だ・か・ら」
ニヤリ、と人の悪そうな笑顔を浮かべながら……伊東さんは私たちの腕を引っ張りながら定食屋へと一直線に歩いていった。
って、ちょっと待って! これって相当不味いんじゃ……!?
サァァと顔色を悪くさせているのは、私だけでなく相馬君も同様なところを見ると、思っていることは同じなのかもしれない。バタバタとさせながらお店の中に入ると、席に座っている三木さんが目を見開かせてガチッと動きを止めていた。
「あ、兄貴……それに雪村たちまで……ッ」
「あら三郎、こんなところで会うなんて偶然ね」
偶然、という言葉がとてもわざとらしく聞こえたのは聞き間違いじゃないだろうなぁ……
でも、動揺する三木さんには気付かれていないようだ。
「な、なん、で……!?」
「ここの定食屋、素朴な味わいで美味しいという評判を聞いたのよ。彼らは私の付き添いで一緒に来てもらったところなの。局長の許可も得ているから、問題ないわ」
ニコニコと、満面の笑みを浮かべる伊藤さんに三木さんは動揺を隠せていないみたいだ。
言葉に言い表せない妙な空気が漂ってきて、私たち三人は顔を見合わせながら様子を見守っている。
そして、有無を言わせない雰囲気を出しながら三木さんの座る席へと私たちは腰を下ろすこととなった。
「いらっしゃいませ、初めてのお客様ですか?」
「ッ!」
そんな私たちに声をかけてくれたのは、長い髪を一つにまとめている可愛らしい女性の方だ。さっき、三木さんに声をかけられていた人で間違いない。
ふわりと微笑むその表情に、心なしかホッとしてしまいそうだ。湯呑を置きながら、彼女は話を続けた。
「今の時間はお勧めの定食を提供していますが、何かご注文ありますか?」
「そうね〜……なら、貴女の話すお勧め定食を人数分頼むわ」
「はい、かしこまりました」
そう話す彼女は、視線を三木さんへと向けていく。
「三木さんは、どうされますか?」
「いつものやつだ、あとだし巻き卵も追加してくれ」
「分かりました、すぐにお持ちしますね」
ムスッとさせながらの対話だというのに、彼女は特に気にすることなく優しい笑顔を向けながら奥の勝手場へと向かった。
一部始終を見ていた伊東さんは、事前に出されていた湯呑を手にする。
「良い子じゃない」
「ここの看板娘だ。客の大半が、アイツ目当てで着ているようなもんさ」
「あらそう」
湯呑には、程よい暖かさのお茶が入っていて……一口飲んでみると、とても後味がさっぱりとするお茶で飲みやすい。
「ところで」
伊東さんも湯呑のお茶を飲んで一息ついてから……こう言い放った。
「あの子が私の義理の妹になるのはいつになるの? 早く紹介してほしいわね〜」
「ブッ!!」
まさか、そんなことを言われるなんて思わなくて……三木さんだけでなく私や相馬君も飲んでいたお茶でむせたのは言うまでもないだろう。
「あ、兄貴……なに、言って……ッ」
「あら、違うの? てっきり、あの子に惚れてるものだとばかり思ってたわよ」
「ッッ……」
さ、流石伊東さん……三木さんのことをよく理解しているが故に、踏み入れにくい話題をあえて選んで話を進めていく。
対する三木さんはというと、耳まで真っ赤にさせながら片手で顔を覆う始末だ……
「こ、こんな三木さんは滅多に見れないぜ相馬!!」
「ば、馬鹿! それ以上何も言うなよ野村!!」
相馬君と野村君は、外野ということもあり波風立てないようにと必死になって様子を見守っている状態だ。
下手に騒いでは、屯所に帰った後で三木さんに何をされるか分からないから……あえて会話に加わらないような立ち位置を選んでいるのかもしれない。
「ふふ、なんだかとても賑やかですね」
ギャーギャーと騒ぐ私たちに、先ほどの女性が定食を運びながら話に入ってきた。
何回か往復繰り返して、ようやく私たちの前に美味しそうな食事が並んでいく。
「では、お邪魔してはいけませんし奥に行きますね」
「あらアナタ、この様子だと昼餉はまだかしら?」
「え? えっと、今から賄を頂くことになってますけど……」
頭上に疑問符を浮かべる彼女に、伊東さんはキラーンと目元を輝かせた。
「折角だもの、お客さんも私たちしかいないし……良ければご一緒にならない?」
「お邪魔になるんじゃ……」
「そんなことないわ! 個人的に、貴女とお話したいと思ってたところなのよ!」
眩しい笑顔を向けている伊東さんを前に、断るという選択肢が出てこない様子の彼女は……観念したように「今から食事を持ってきます」と言い残してこの場から離れていった。
そして暫くすると、食事一式が乗っているお盆を手に彼女が戻ってくる。
「皆さんの様子を見てましたが、三木さんのお知り合いさんですよね? なんだか見ず知らずの私が輪の中に入るのも、なんだか抵抗があります……」
「気にしなくていいわよ! 私、伊東甲子太郎というの。三郎の実兄よ、ヨロシクね」
「え……!? 三木さんの、お兄さんでしたか……! は、初めまして。この定食屋で働く翠と申します」
「あら可愛い名前! ヨロシクね」
彼女の名前を知れたからか、更に伊東さんは機嫌がよくなっているように見える。
そして、折角だからということで私たちも自己紹介をすることになった。とは言っても、相馬君や野村君は局長付きの小姓であること、私は副長付きの小姓であるということくらいしか話が出来ないわけだけど……
パクパクと食事を口に運びながら様子を見守る私は、伊東さんとの対話を楽しんでいる翠さんの様子を見て首を傾げた。すると、そんな私を不思議に思ったのか彼女もまた私を見て首を傾げてくる。
「雪村さん、どうかされましたか? もしかして、お口に合わないとか……」
「い、いえ! ここの定食はとても美味しくて、気に入りました! えっと……」
こんなこと、聞いても良いのか抵抗はあるけれど……疑問に思われるのも申し訳ないし……
「私の気のせいだったら良いんですけど……」
「?」
「翠さん、なんだか顔色が悪いですね。ここ最近、あまり睡眠がとれていないように見受けます。疲れも取れていないようですし……何処かご無理をされていませんか?」
私の問いに、彼女は目を見開かせて驚いているようだ。それに畳みかけるように、私は話を続けていく。
「あと、髪の毛で隠れていてあまり目立ちませんが……頭皮に近い部分に痣が出来ているようです。しかも、ここ最近できた新しいものみたいですし……もしかして、誰かに殴られたりとかされていませんか?」
「…………雪村さんって、人のことをよく見られている方なんですね。小姓をされているから、尚更かもしれません」
否定することなく、観念したように話す翠さんに伊東さんや三木さんは驚いて私たちを交互に見ていた。
「流石雪村君ね、君を連れてきた甲斐があったわ」
「そ、それは……」
まさか伊東さんに褒められる日が来るなんて……少し気恥ずかしく思いながらも、翠さんへと視線を向ける。
「皆さんは、これからご用事とかありますか? もしないようでしたら、少しだけ……私のお話を聞いていただけませんか?」
少しだけ不安そうな表情を浮かべながら話す彼女に、私たちは穏やかに微笑みながら「大丈夫です」と応えた。
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