優しい世界:ブルーノ
うしさんは寡黙だ。
「あ、これ〜〜〜にて〜〜〜!あ、ごめ〜〜〜ん〜〜〜!!」
そう言って見得を切るらいおんさんにわたしは拍手喝采した。
らいおんさんは歌舞伎というワノ国の伝統芸能を演じてくれたのだ。
きつねさんの着物もそうだし、きりんさんの刀もそうだし、ワノ国は本当に独特の文化があって面白い。
ただらいおんさんは普段からあのしゃべり方だから、なかなか話が進まなくて困る。
「ここにいたのか」
らいおんさんの部屋のドアが開いて、うしさんが入ってくる。
うしさんはわたしの姿を見つけて、ホッとしたように息をついた。
「何処かに行くときは、俺かカクかカリファにちゃんと言わなければ駄目だろう」
「ごめんね、みんな忙しそうだったから………。でも、一応ふくろうさんには言っておいたんだよ」
「それで、島中の衛兵たちが居場所を知ってたのか」
どうやらふくろうさんは、ちゃんとわたしの居場所をエニエス・ロビー中に広めてくれたようだ。
人選が間違ってないようで良かった。
わたしはワンピースの裾を直しながら立ち上がってらいおんさんにお礼を言うと、うしさんの隣に立ってらいおんさんの部屋から出て行った。
ここに来てから三カ月ぐらいが経つけど、不思議なことがいくつもあった。
わたしにとっては、この島にいる人たちはみんなが初めて見る人たちだった。
いや、この先で出会う人たちみんなが初めて見る人たちだろう。
だって、わたしには記憶がないから。
自分のことさえ誰なのか分からないんだから、会ったことがある人たちのことだって覚えているわけがない。
それなのに、みんなどこの誰かも分からないわたしをとても可愛がってくれる。
彼らが何者なのかはよく分からない。
島の人たちは彼らをCP9って呼ぶけど、わたしにはそれがどんな意味を持つのかなんて知らない。
でもね、たまに思うんだ。
おおかみさんやきつねさんたちとは違って、うしさん、ひつじさん、きりんさん………それから、ねこさんとハトさん。
彼らはわたしのことを………記憶を失くす前のわたしを知ってるんじゃないかなって。
だから、彼らはわたしを一人にすることを嫌う。
まるで、わたしが何処かに消えてしまうのを恐れるかのように。
わたしは彼らのことがとても好きだから、そんなこと絶対にしたりはしないのに。
「ねえ、うしさん」
うしさんの隣を歩きながら、わたしはうしさんを見上げる。
他の誰にも聞けないけど、何故だかうしさんには聞けそうな気がした。
「うしさんたちは記憶があった頃のわたしが好きだったの?」
わたしの質問にうしさんは少しだけ息を止め、それから間を置いて………頷いた。
「ああ。カクもカリファも………俺もお前が好きだった。きっとルッチもそうだろう」
「ありがとう」
うしさんの言葉にわたしは嬉しくて微笑んだ。
わたしもみんなが大好きだから。
「………なんで、わたしは記憶を失くしちゃったんだろう?」
わたしも彼らが好きで、彼らもわたしが好きで………とても幸せだ。
それなのにわたしは記憶を失ってしまった。
大好きなみんなに愛されていたという記憶を。
「思い出そうとすると、頭が痛くなるの」
時折、何かが頭を掠めることがある。
それを追おうとすると、ひどい頭痛がわたしを襲う。
まるで、思い出してはいけないことだとでもいうように。
「思い出したいのか?」
「分からない。今のままでも幸せだから………でも」
時折、感じることがある。
本当はみんな、わたしに記憶を取り戻してほしいんじゃないかって。
思い出さなくていいって言うし、思い出してほしくなさそうにするけど。
でも、本当は………。
「うしさんは思い出してほしい?」
「俺は………お前が望む通りでいいと思う」
そう言ったきり、うしさんは黙ってしまった。
寡黙な牛
「うん、分かった」
それだけを言って、わたしはうしさんの手を取って歩き出した。
答えをもう少しだけ先延ばしにして。
→彼女12/01/30