言い訳1
ある夏の夜に、ウォーターセブン市長主催の夜会が行われることになった。
サン・ファルドやプッチ、セント・ポプラの権力者を招いての大掛かりなパーティーである。
主催者が他でもないアイスバーグなので、もちろんのことながら船大工たちも職長クラスは全員参加だ。
普段からスーツはもちろん礼儀作法すら知らない船大工たちは四苦八苦だが、尊敬するアイスバーグに恥をかかせないようにと皆が真剣に取り組んでいる。
そして、ガレーラカンパニーで唯一の女性職長であるノエルも例に漏れずに悩んでいた……。
※※※※※※
「ツナギじゃまずいよなぁ」
ついに夜会が明日に迫った日の仕事終わり、休憩室で腕を組んで考え込んでいたノエルがぽつりと呟いた。
本人は独り言のつもりだったが、きちんとカクに拾われてしまった。
「まずいじゃろ。ちゃんと正装せんと、アイスバーグさんの恥になるぞ」
「それはやだ!……正装かぁ。やっぱりスカートじゃなきゃダメかなぁ」
深々と溜息をつきながら、天井を見上げるノエル。
走ったり、飛んだり跳ねたりすることが多いノエルは、基本的にスカートをはかない。
伯父の家に預けられていた時に男物の服しか着せてもらえなかったせいかもしれないが、どうもスカートというものが苦手だ。
とりあえず、あのひらひらしていて心許ない感じがダメなのである。
けれど、一応は女の端くれである以上、カクたちのようにスーツを着て出るわけにもいかないだろう。
「あー……。面倒くさい」
すっかり不貞腐れながら椅子に身体を預けていると、カクに肩を叩かれた。
何事かと顔を上げると、何故か仁王立ちしたカクが得意気な顔でノエルを見下ろしている。
「ノエルは分かっとらんのう」
「何が?」
「パウリーにノエルが女の子じゃと意識させるチャンスじゃぞ」
カクの言葉にきょとんと目を丸くする。
パウリーとは1番ドックの職長で、ノエルの好きな人のことだ。
いつもいつもノエルのことを子供扱いしていて、好きになってもらうどころか意識すらしてもらえない相手。
どうして、ここで彼の名前が出てきたのかが分からない。
「いつもとは違う服装で、大人の女ということをアピールするんじゃ」
「なるほど」
確かにいつものツナギ姿では大人の女をアピールすることは出来ないが、パーティーという常とは違う装いの場なら不自然にならずに新しい印象を植え付けることが出来る。
常にパウリーに子ども扱いされているノエルからすれば、願ってもないチャンスだ。
「これで大人の女だって意識してもらえれば、着替え用に持ってたスポーツブラを落とした時に『おい、腹巻き落ちてるぞ』て平然とした顔で指摘されずに済むわけだね」
「………………」
「やだなぁ、カクってばそんな悲しそうな顔をしないでよ。レースのヤツなら問題なかったんだよ。ただ、レースのは少し体重が落ちただけでカップが浮いちゃって……………ちょっと、カク?ここ笑うところだからな。泣くところじゃないから」
妹分の不憫過ぎる話に、カクは涙を拭うことしか出来なかった。
涙を拭いながら決意する。
可愛い妹分のため、ここは自分が一肌脱ぐとしよう。
「よし、今からショップに行くぞ!パウリーを悩殺できる服を選ぶんじゃ!!」
「のーさつ……?」
力強いカクの言葉に曖昧に頷くノエルであった。
※※※※※※
正直な話、パーティーなんて窮屈なものは嫌いだ。
慣れないスーツも、豪華な食事も……会場内が禁煙だということも、何もかもが気に食わない。
しかし、恩人であるアイスバーグのためにも欠席は出来ないし、恥をかかせることも出来ない。
葉巻を吸えない口寂しさを隠すように、パウリーは飲み慣れない上等なワインを口に運んだ。
会場内ではすでにパーティーが始まっていて人でごった返しているが、こんなパーティーに知り合いなどいるはずもない。
視線は自然とガレーラカンパニーの船大工たちを探してしまう。
会場に少し遅れて到着したせいで、ルッチたちとはまだ顔を合わせていないのだ。
「パウリー、こっちじゃ」
名前を呼ばれて視線を向けると、カクがこちらに向かって大きく手を振っている。
傍にはルッチやルル、タイルストンもいる。
おそらくはノエルもいるだろうが、小柄なために人に埋もれて見えない。
空になったグラスをボーイに預けて、そちらに向かった。
「間に合ってよかったな」
「ああ。出掛けにちょっと借金取りに追いかけられてな」
言いながら、パウリーは船大工一同を見つめる。
帽子のないカクに、寝癖のないルル。
タイルストンのスーツは特注だろう。
そして、妙にスーツの似合うルッチに何となく腹が立つ。
いつもとは一味違う一同を興味深く眺めていると、淡いクリーム色のドレスが視界に入った。
「?」
視線を向けると、そこには青色の髪を結って上品なドレスを身に纏った少女が立っていた。
全体にプリーツが入った美しいシルエットのワンピースは、上質なシフォンで出来ている。
胸の辺りに弛みを作りながらサテンのリボンを首に結んでいるので、中に着ているチューブトップの露出が嫌味に見えない。
二の腕まであるレースの手袋がよく似合っていた。
一瞬、目の前に立つ少女がノエルだと気付かなかったのは、7cmもあるピンヒールを履いていて普段と視線の位置が違ったからだろうか。
それともいつもすっぴんの彼女が淡く化粧をしていたせいだろうか。
ともかく、パウリーは呆気に取られて目の前の少女を見つめるしかなかった。
「どう、大人っぽい?カクが選んでくれたんだよ」
照れたように頬を染めて、スカートの裾を持ち上げながらパウリーを見上げるノエル。
「は……っ!」
「は?」
華奢な肩を露出したドレスに『ハレンチだ』と言い掛け、パウリーは慌てて言葉を呑みこんだ。
パウリーにとってはお決まりの台詞。
だが、ノエルにだけは使ったことがない。
理由は彼女が子供だから。
………子供だと思っていたいから。
「は……ハンバーグあったぞ、あっちに………」
先ほどまでいたテーブルを指しながらの誤魔化しは我ながら最低なものだった。
ノエルの顔が引き攣る。
当たり前だ。
珍しく着飾って感想を求めると、まさかのスルー。
船大工たちの……特にカクの視線がパウリーに突き刺さる。
「ほんとー?」
ノエルが引き攣っていたのは一瞬のことで、彼女はすぐにパウリーに笑い返した。
彼女のことを深く知らない人間が見たなら、本物だと思ってしまうような笑顔。
周囲は彼女のことを知りすぎているほどに知りすぎているので、それが無理して浮かべたものだと分かってしまうのだが。
ともかく痛々しい。
「じゃあ、ハンバーグ食べてこようっと」
『俺も行くッポー』
履き慣れていないピンヒールの靴でよたよたと歩き出すノエル。
その後をルッチが着いていく。
ふらつくあまりに、どこか別の場所に行ってしまいそうなノエルの肩を掴んで軌道修正している。
二人の姿が人混みに紛れて消える。
笑顔でノエルを見送っていたカクが、ノエルの姿が見えなくなった瞬間に悪鬼のような顔でパウリーに詰め寄った。
「お前、いい加減にしとけよ……。今すぐそのクソの役にも立ってねェ脳みそ叩き潰してやろうか?あそこでハンバーグはないだろうがっ!?」
「カク、落ち着け。アイデンティティが迷子になってるぞ」
パウリーの胸倉を掴んで殴りかねない勢いのカクをルルが止める。
怒りのあまり口調が崩壊しているカクだが、流石に夜会の席ということもあり声は潜めている。
「どうしろっつーんだよ?」
そう言って、パウリーは胸倉を掴むカクの手を振り払う。
確かに悪いとは思っているが、ここまで怒ることはないではないか。
パウリーの言葉に口の端を引き上げて、ハァ?とばかりの表情を浮かべるカク。
「褒め称えるに決まってるじゃろうが」
きっぱりと即答する。もちろんながら目はマジだ。
「どうしろって聞くところが意味分からん。あのノエルを見たじゃろ?可愛いとか愛くるしいとか可憐とか天使とか妖精とかいくらでも言うことはあるじゃろうが!!」
ノエル馬鹿を舐めていた。
可愛いや愛くるしいまでは確かにパウリーも感じたが、天使や妖精という単語まで出てくるとは……。
どうやらカクはノエルに対しては何やら特殊なフィルターがかかっているらしい。
「まあ、お前がそこまでのことを言えるたぁ思っちゃいねェが……。ありゃ、流石にノエルが可哀想だろ」
パウリーの肩を軽く叩きながらのルルの言葉に顔をしかめた。
ルルの言う通りだ。
あの空気を壊さないようにと無理して浮かべた笑顔は、確かに胸に痛かった。
「ノエルは自分から何か望むような奴じゃねェんだ。少しは気を利かせてやれ」
そう言って押し出すようにパウリーの背中を叩く。
ルルに続いてタイルストンも思いっきりパウリーの背中を叩いたので思わず咽そうになる。
「行ってこい、パウリー!!!」
タイルストンの大声に周囲の人々が何事かとパウリーたちに視線を集める。
気持ちはありがたいが物凄く恥ずかしい。
パウリーは人々の視線を逃れるように、慌ててノエルの元に向かった。
210/07/04