大学の食堂は結構広い。
広くてお昼時じゃなくても大体人は多くて、そして定位置なんて決めていないので俺が座る場所は毎回バラバラで。それなのに小学校から俺のことばっかり考えていたとかいう変態はいつも一発で俺を探し当てる。そろそろスマホのバッテリーの減り方とか気にした方がいいのかもしれない。いやぁ、今更か…。
「しょーくん見ーっけ」
「あ、人違いです」
「間違ってないんだよなぁそれが。そんなに疑うなら今度卒アル持ってくるよ。しょーくんの学校の」
「何でお前が持ってんの?卒業したの別のとこだろ?」
「そうなんだよなぁ。代わりにおれの子どもの頃の写真全部見せるから、今日うち来てよ」
「誰が行くか」
「あとおれの見逃したしょーくんの成長見たいからそっちの卒アル持ってきて。幼稚園から小中高、全部」
「重いし実家にあるしやだわ」
「じゃあ今度ご実家にご挨拶に行くね」
「行くな来るな息するように顔を近づけるな」
いつもは俺の目の前の席に陣取っていたくせに、どうやらあの日から…俺が名前を呼んで、忍が過去を話してくれた日からタガが外れたようにスキンシップが激しくなった。それは大学内でも公共の道路でもカフェでも関係ないらしく、今まで以上に困っている。何に困ってるって、嫌じゃないから困ってる。
このままじゃいつかこいつの押しに負けて、気がついたら一緒に暮らしてるなんてことも夢じゃない。全然あり得る。それは俺の部屋にいつの間にやら増えた二本目の歯ブラシやマグカップが証明しているが…。断じて、俺はまだこいつとキス以上のことはしていない。まだ…。いやまだってなんだ、これからもない!
…多分。
というかこいつ絶対楽しんでるよな、やっぱクズだ!
ぐぐぐっと近寄りつつあるお綺麗な顔を両手で押し返していると、聞いたことがあるようなないような声たちが俺たちの近くから降ってきた。
「ストップ!」
「そこまでよ!彼から離れなさいクズ野郎!!」
「場所わきまえなさいよクズ」
めっちゃクズクズ言われんじゃん…。まぁ俺も心の中でも外でもじゃんじゃん言ってるけどさ、そんなにみんなして言わなくても…いやいっか、本人は全然気にしてなさそうだし。
いや本当に気にしてないな?存在すら気に留めてないな?
全く何事もなかったかのようにキスしようとしてくるな?
「ちょちょちょ、ストップストップ、ステイ忍!」
「………ちぇー」
これは最近得たライフハックだが、この変人は名前を呼ぶと概ね言うことを聞いてくれることが多い。絶対じゃないが、まだ俺から名前を呼ばれることに耐性がないらしい。よし、何とか離れたな…顔は。
身体は全然だけどとりあえずはいい。もう言ってたらキリがないから、肩に手を置かれてるとか腰も抱き寄せられてるとか、とりあえずは気にしないでもっと気になることについて話を進めよう。
「なぁ誰あの子たち。忍知ってる?」
「知らない。覚えてない」
見もせずにそれはどうかと思うよ。と思いつつ、俺も俺でどっかで見たことあんだよなぁと記憶を手繰り寄せる。
あ、あれだ、後ろの方で髪を弄ってる子、グループワークで一緒だった子じゃん。告白してきたかと思ったら忍に何を言われたのか舌打ちしてどっか行っちゃった子だ。あの告白は本当じゃなかったんだろうなって思ってるけど、今の今まで忘れてた…。俺も結構クズなのかなぁ。
俺たちを…というか忍の方をやや軽蔑の眼差しで見下ろしながら、三人いるうちの一番前の黒髪ショートカットの子が口を開いた。両手を腰に当てて、かなり気の強そうな印象の子である。誰、マジで。
「私たちは、冬樹くんから立藤くんを守りたい!会の会員です」
「「なにそれ」」
あ、忍もさすがに反応した。
いや、というか本当になにそれ。どんな会なん。名前だけで大体想像つくけど、一体どういう経緯で出来上がったのその変な会。活動内容とかも気になりすぎるんだが。
ポカンと呆気に取られて口を閉じられないままでいると、気の強そうなリーダーっぽい子が俺に向かってピシャリと言った。
「立藤くんあなた、本当にこの男でいいの?クズだよ?」
「来るもの拒まずの浮気性クズよ?」
「あたしたちに乗り換えな?」
「あ?誰が誰に乗り換えるって?もっぺん言ってみろやブスども」
「こらこらこらこら」
リーダーっぽいショートカットの子を筆頭にボロクソ言われ、遂にクズもといハーフアップヤンデレひっつき虫野郎がプッツン来たようだ。怒るにしてもそんな怖い顔しなくても。
「もう、そんな怒ることないだろ」
「しょーくん、浮気はだめだかんな」
「そりゃ…まぁ、そう…だけども」
いやちょっと待ってくれ。浮気も何も、俺とこいつの今の関係性って何だ?好きとか言われたっけ?
え、マジで思い出せない。「欲しい」って言われたことは覚えてるし、事あるごとに「こいびと」って言ってくるからまぁそういう…。
あれ、俺も自分の気持ち伝えてない。え、俺の気持ちってなに…?
混乱し始めた俺を見て、何を思ったか忍はよしよーしと犬を撫でるみたいに頭を撫でてきた。距離感!て言っても今更か…。続けて、俺の方をじいっと見つめながらまるで安心させるような穏やかな口調で「おれはさ」と話し出した。
「もうしょーくんとしか寝ないし浮気しないよ。やっときみがゆるしてくれたからね」
「えっと…?」
俺、何を許したの…?
ていうか、いやいや、俺も寝ないですけど?うん…?
頭上のはてなマークが消えない俺に、誓いを立てるように手の甲にキスが落とされた。だがそれどころじゃない俺はふにふにと弄ばれる手をそのままにやっぱりぐるぐると考えを巡らせている。
俺ってもしかして…このクズのことが、好き?
すると気づいたばかりの鈍感な俺の心を読んだかのように、何とかの会の、今度はロングヘアーの子が呆れるように言った。
「全く…。立藤くんはこんな見た目だけしか取り柄の無いクズの一体どこがいいの?」
「俺も分かんない」
「分かんないくらい好きってこと?嬉しいなぁ」
超ヘラヘラしてんじゃん、もう腹も立たないよ。
マジで俺、流されすぎでは…?本当にこれのどこがいいんだ…?ううんと…。
「強いて言うなら、めちゃめちゃ強いて言うなら、そういうポジティブなとこだよ…」
はあぁーと大きな溜め息を諦めとともに吐き出すと、忍はヘラヘラした笑みから太陽のような眩しい笑顔に変わった。眩しすぎる、サングラスがいる…!こんな嬉しそうな顔されるとは…。名前呼んだ時の反応といい、こいつ結構俺のこと…。いや、今はやめよう。顔が熱い。
あぁ、遂にこの変人への好意を肯定してしまった…。
「てわけで、おれらラブラブだから邪魔すんな」
「ラブラブじゃねぇし」
「超ラブラブだから邪魔すんな。ていうか何のこのこ顔出してんだてめぇ」
ギロリと遠慮もなく綺麗な顔で睨みつけられれば、誰だって怯むと思う。こいつの反応から察するにやっぱりあれは偽の告白だったんだろうなぁ。俺も忘れてたくらいだし、割とどうでもいいんだけど。忍はそうでもないらしい。
すると睨みつけられた子は今度は怯むこともなく、さらりと凶暴な番犬…もとい忍を無視して俺の方を真っ直ぐに見た。あ、何か大丈夫そう。そうして彼女は俺に向かって一度ぺこりと頭を下げた。さらさらの髪が一緒に流れるのを見ながら、あぁ、軽く見えたけど結構本気で謝ってくれてるんだなぁと感じられた。変なの。
「あの時は本当ごめんね、立藤くんを騙そうとして」
「あ、やっぱそういう。別にいいよ、気にしてないし」
ガルルルって言ってそうなくらい威嚇してるこいつは知らんけど。
そして彼女はそのまま引き下がるのかと思いきや、また番犬…じゃなくて忍を華麗に無視して俺に視線を合わせた。
「でもね、これだけは言わせてほしいの」
「はあ」
「立藤くんって、趣味悪いね」
「謝る気あるの?ないの?どっち」
ハーフアップの番犬の唸り声が大きくなった気がするんだけど。
でもまぁ。
それは俺も、本当に思う。
「周りの目なんか心底どうでもいいんだけど」
「まぁお前はそうだろうな」
「でも、しょーくんがどうこう言われるのはムカつくから」
「はあ」
威嚇するのをやめて俺に向き直った彼はいつものヘラヘラ顔だった。キラキラして見えるのは自覚してしまったせいか、ただの陽の光の反射か。後者だ、後者であれ。
「だからこれからは、しょーくんはめっちゃ趣味が良いって思われるように努力するね」
「ハーフアップポジティブクズめ」
大きな溜め息を吐いていたせいか、気づかなかったし止める隙もなかった。
やがて気づいたのは顔に添えられた手の温かさと、唇に触れたなにかの感触。それから一瞬間を置いて、食堂中に響き渡った「きゃあああ!!」とかいう悲鳴のような歓声のようなうるさい声たち。
「うるさっ」と耳を塞ごうとする俺の目の前には、これまでで一番無邪気に、それに妖艶に微笑むハーフアップの彼がいた。どの歓声よりもうるさく、彼の…忍の感情が流れ込んでくるようで耳を塞ぐことすら忘れてしまう。
はあ。観念しよう。
俺はどうやら、かなり、すごく、ものすごーく厄介な奴に捕まってしまったらしい。
「はは、赤くてかわいいね。昇くん」
「うるさいクズ忍」
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