あの夏の日を忘れない
7
 青が実家に連絡すると、程なくして車がやってきた。運転席の片岡さんの姿に、こんばんはと頭を下げる。片岡さんと会うのは実に夏休みぶり。当時は青と付き合ってもいなかったんだよなぁと考え、照れくささに自滅する。やめよう、意識すると恥ずかしくなる。
 青に続く形で車に乗り込む。

「すみません坊ちゃん、遅くなりました」
「いや、大丈夫だ。急に呼び出して悪かったな」

 窓の外の景色はぐんぐんと遠のいてゆく。青と片岡さんの気心知れた会話に混じるのも気が引けて、俺はむっつりと黙り込んだ。

「父さんは家にいるのか?」
「いえ、畠様にお話をしなくてはとまだ病院に。奥様も旦那様が晩ごはんを食べるか心配だからと病院へ」

 もしかしなくても、母さんと俺の面会の件だろう。事前に取り交わされていた約束の中に俺と母さんの面会の制限があったことは想像に難くない。最終的に畠が了承したとはいえ、今回の件とこれからのことを相談する必要が出てしまったのは分かり切ったことだった。

「俺のせいで、」
「赤のせいじゃねぇよ。もとはといえば俺が病院の電子カルテを盗み見たからで」
「坊ちゃん、それについては片岡から申し上げたいことがございます。後ほどお時間いただいてもよろしいですね?」

 バックミラー越しの片岡さんの目が蛇のように細くなる。青はびくりと肩を震わせ、小刻みに頷く。蛇に睨まれたカエルとはこのことか。
 青の珍しい姿にバレないよう声を殺して笑うと、横からじっとりとした視線が投げられる。拗ねたような表情をした青が、視線を逸らしたまま俺の手に指を絡める。なんともないような素振りで片岡さんと話し続ける青はしかし、しっかりと俺と手を繋いでいた。どくりと心臓が脈打つ。背徳感に唾液を飲むと、青がこちらを一瞥する。
 青、と制止に口を開きかけ、言葉を引っ込める。

「……どうかした?」

 ふっと口角を上げ、こちらを流し見る視線の色っぽさに頭が沸騰する。繋いだ手を、青の指先が挑発するようにゆっくりと撫でる。ぞくりとした感覚が背中に走り、窓の外へ目を背ける。

「――ッ、なんでもないっ」

 おいバカ変な触り方するなとこの狭い車内で文句を言える筈もなく。苛立ちを誤魔化すように青の爪先を踏みつける。ならよかったと涼し気な表情で答える青に、これはもうどうしようもないなと臍を噛んだ。


***


 青の家に着いた。
 青の家は存外大きくないようで、邸宅というにはやや手狭だった。寧ろ別荘の方が立派なくらいだ。とはいえ決して狭いという訳ではなく、広さは一般的な三〜四人家族の住まいといった具合だ。
 二階建て二階部分に青の部屋はあるようで、四つほどあるドアの一つに『HISASHI』というピンク色のプレートがかけられていた。

「なぁ、アオイって誰?」

 隣の部屋のドアプレートに首を傾げる。「兄弟だよ」と返った答えに内心驚く。青の口から兄弟という言葉なんて、今の今まで一度たりとも出たことがなかったから、てっきり一人っこだとばかり思っていた。

 隣の部屋には渦中の兄弟がいるらしく、ドアの隙間からは微かに音楽が漏れていた。青は自分の部屋の扉を大きく開け放ち、俺を招き入れる。

「じゃあここが俺の部屋。ちょっと待ってて。片岡さんに叱られるついでに飲み物取ってくるから」

 あっけらかんとした物言いに半ば呆れつつ、青の部屋にお邪魔する。
 ベッドが一つと、丸テーブルが一つ。ドア近くの小さな本棚には教科書や病院運営に関する本が雑然と積まれていた。
 身の置き場に迷い、ベッドが背もたれになるよう床に座る。背もたれに頭を預けると、馴染みのある陽だまりのような匂いがした。不思議と鼓動が高鳴る。少し吸い込むと青に抱きしめられているかのような心地がして、そっと溜息を吐く。

「久志、おかえり――ってあれ、お客さん?」

 扉が開く音とともに不意に声が聞こえる。びくりと体を跳ねさせ声の方向を見ると、見知らぬ人がこちらを見ている。
 高すぎず低すぎないハスキーボイス。男にしてはやや長めの髪にすらりとした体躯。中学で同級生だった谷口くんがいれば、「イケメンだ!」と叫んだであろう爽やかな顔。とんでもない場面を見られたかもという焦りから一周回って落ち着いた頭が「アオイさんか」と正体を導き出す。

Q)恋人のご家族に挨拶をするより早く、恋人のベッドを嗅いでいるところを見られました。どうしたらよいですか?

A)もうどうしようもないので元気よく挨拶をしましょう。

「………こんにちは」


 へら、と諦めの滲む笑顔を浮かべてお茶を濁す。どうしようもない、最悪だ。





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