あの夏の日を忘れない
8
 こんにちはとつられて頭を下げた(暫定)アオイは、暫く俺を見つめ、小首を傾げる。

「君、赤って人?」

 その質問が来るとは思わなかった。表情が全てを語っていたのだろう。目を瞬かせる俺に、(暫定)アオイは「いやね、」とネタばらしをする。

「久志の口から出る友達の名前なんて赤って人のくらいだからさ」

 それはそれでどうなんだと思うが、青の口から嬉々として橙の名前が出たりというのは想像できない。時間の長さで言うと橙もなかなかのものであるから、話題に上るのは決しておかしなことではないはずなのだが……。いがみ合ってはいるものの仲が悪くはないし、さりとて仲が良いとも言い難い。奇妙な距離感の橙よりは、まだ牧田や二村の名前が挙がる方が自然に思えた。なんだかなぁと苦笑いを零すと、目の前の尋ね人は俺のことをまじまじと見つめる。

「え……っとアオイさんで合ってるかな? 俺の顔に何か?」
「ああ、自己紹介がまだなのにじろじろ見ちゃってごめん。久志が好きそうな感じだなぁって思ってさ。僕は蒼生(アオイ)。武蔵野学園に通う、久志の下のきょうだいだよ」
「武蔵野かぁ……なんというか人気がありそう、だね?」

 『久志が好きそう』に動揺しかけるもなんとか態勢を整える。緩みかけた頬がばれてないといいんだが。
 微笑ましいものでも見たかのように口元を緩めた蒼生は、俺のリアクションに触れることなく髪をかき上げた。

「君が言う? 君だって絶対学園で人気あるだろう」
「いや、そうでもないよ」
「嘘だね。親衛隊があると見た」
「ないよ」

 公式の親衛隊は。

 俺の言葉遊びにも似た言い草に気付いたのか、蒼生はふぅんと楽し気に息を吐く。

「まぁ、そういうことにしてあげるよ」

 さいで。
 
「ところで久志は? 僕、まだ晩ごはん食べてないからどうするか聞きに来たんだけど」
「夏目なら一階で片岡さんに叱られてるよ」

 もうすぐ来るはずと言いかけたその時、階段の軋む音が聞こえる。

「あれ、蒼生。どうかしたか?」
「どうしたじゃないよ、晩ごはんの時間だから聞きに来たの。どうする? 今日は母さんご飯作ってないから出前にする? 僕ピザ食べたいな。チーズ増し増しの」

 耳馴染みのある声にようやく人心地つく。人見知りという訳ではないものの、付き合ったその日に恋人の家族と一対一というのは些か荷が重い。
 ましてや初対面で布団に頭を埋めているところを見られただなんて――とそこまで考え、はたと気付く。

 しまった、俺の失態を言いふらさないよう口止めをしておくんだった。そんな大事なことを失念するなんて、自覚していた以上に気が動転していたのかもしれない。青と話す後ろ姿を祈るように見つめていると、視線を感じたのか蒼生が振り返りウインクを投げる。なんであの子はやることなすこと一々様になるのだろう。きっと学園でのあだ名は王子だ、間違いない。
 告げ口の心配は不要そうだと再び肩の力を抜く。

 そうこうしている間に青と蒼生の話は終わったようで、蒼生が「寿司だーっ!」と階段を駆け下りる音が聞こえた。ピザはどうしたんだろう。

 ……そんなことより。蒼生の姿を見てから青にずっと言いたいことがあったのを思い出す。

「おい青。いくら片岡さんがいるとはいえ、ご両親のいない日に俺を泊めるのはよくないんじゃないか」
「さすがに俺も付き合った初日に手を出すつもりは」
「っじゃねーよ! 手を出されるとかどうのじゃなく! 両親のいない日に兄貴の同級生が家に泊まるなんて妹さんが困るだろ!」

 意外といった表情で青は瞬きをする。至って常識的なことを口にしたつもりだったが、このリアクションは何だろう。

「赤……」

 恐る恐るの口調に何を言われるのかと身構える。

「蒼生が女だってよく気付いたな?」
「は?」

 何言ってるんだ、こいつ。

「あっそれ僕もびっくりしたんだよ!」

 寿司の出前注文を終えたのか、蒼生が会話に入ってくる。

「びっくりさせようと思って自己紹介の時に武蔵野って言ったんだけどね、僕が女子高に通ってることに全然ん表情を変えないの! 逆に驚かされちゃった」
「お前の鉄板驚かせネタに? 流石赤だな」

 したり顔で頷く青は俺の話を遥か彼方へ忘れ去ったらしい。こつりと手の甲で丸テーブルを叩くと、青の意識が引き戻される。

「青。もう一度言わないと答えられないか? 『ご両親のいない日に俺を泊めるのはよくない』よな?」

 さぁて青。片岡さんに引き続き、第二ラウンドといこうじゃないか。





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