あの夏の日を忘れない
42
 次は、と司会が言うより早く牧田が二村を制すように前へ出る。制され憮然とした表情の二村に、牧田はふっと笑みを零す。

「菖ちゃあん、またカッコつけようとしたでしょ。俺より早く言って後の俺が言いやすいようにしようとか思ってたんじゃない?」
「ハッ、そんな訳」
「それが嘘だって見抜ける程度には一緒にいるんだよねぃ、俺ら」

 ま、見ててよ。

 ひらひらと手を振り牧田が向き直る。
 本当に告白されるのか。思わず身構える。俺の表情にやんわりと首を傾げた牧田だったが、何かに思い至ったらしい。拗ねたように唇を尖らせる。

「どいつが言ったんだか」
「……なんのことだ」
「べっつにぃ、大方お節介な坊主頭が漏らしたんでしょ」

 すまん根岸。何も言ってないのにバレた。
 頭の中の根岸が「まぁ予想してましたけど」と溜息を吐く。まったく、牧田も根岸も勘が良すぎやしないか。同じく頭の中の宮野が「ポンコツだからね」と頷く。こいつら想像のくせに失礼だ。

「後でしめるからそれはいいんだけどねぃ。……椎名」

 色素の薄い瞳がこちらを見る。茶色の虹彩が照明に照らされて透ける。

「椎名、ステージの上で見ると瞳が深く色づくんだな。目の瞳孔がほんのり青みがかってる」
「なんだよ急に」

 同じようなことを考えていたらしい。どきりとした内心がバレなかっただろうか。誤魔化すように笑ってみせる。

「椎名が笑うとさ、ふわってすんだよ。すげぇいいものもらったみてぇな。どうしようもない気持ちになる。椎名。分かるかな。……今の椎名なら、分かるよねぃ」

 今の、俺なら。

「うん。……分かるよ」

 そっか。お前も知ってたんだな。知ってて、そばにいてくれたんだな。

「椎名、だめだよそんな顔しちゃあ。言ったろ、笑ってくれるだけでうれしいんだよ」
「お前、どっか行ったりしないよな」
「俺が? 冗談」

 軽口をたたいた牧田は、ぐいと顎を突き出し俺の鼻を指で弾く。

「ンなことするほど俺は悲観してない。椎名ァ俺を救い上げたんだ。最後まで離れてもらえると思うなよ。骨までしゃぶりつくすぞ」
「救い出すって」
「椎名にそのつもりがなかったのは分かってる。俺が勝手に共感して、勝手に救われただけ。だから俺が椎名に好意を持つのも俺の勝手だ。今報われなくともこの気持ちを投げ出すつもりはない」

 知らなかったでしょ。

 悪戯っ子の顔で牧田が囁く。

「俺、案外気が長いんだよねぃ」

 親に見てほしくて優等生やってた我慢強さ、なめるなよ。

 自虐的なそれを誇るように告げた牧田に、進んでいるのだと実感する。進み、変わっていくのだ。牧田も、俺も。

「初めのころはこっちを試すみたいに言ってたのにな」
「不幸自慢なら負けないだっけぃ? 知った口きかれてマジイラついたわ。懐かし」
「ハイハイ。つかこんなステージで言っちゃってよかったわけ?」
「べっつに。どうでもいい」

 ふざけた表情から真面目なものに。

「お前が俺にそう思わせたんだよ、椎名」

 好きだ。

 間延びした緩い喋りも何もかも取っ払って。やけに甘い声が耳を擽る。それが無性に悲しかった。

「好き。すげぇ好き。ありがとう、ずっと椎名にお礼を言いたかったんだ」
「俺に……?」

 短く肯定した牧田が泣きそうに笑う。

「俺の不幸話を流したこと、徒競走で一等とったこと、俺を椎名グループに誘ってくれたこと、F組をまるっと拾い上げてくれたこと。その一つ一つが、俺をただの朱満にしてくれた。ありがとう椎名。全部全部、ありがとう」

 愛してるよ。

 牧田は俺の手を掬う。すり、と掌に顔を寄せられてくすぐったい。掌からちゅ、と小さい音が聞こえる。

「椎名。返事を聞かせて」
「まき、まきた」
「うん。ゆっくりでいいよ。言ったろ、気が長いんだ」
「あの、俺。俺さ」
「……、うん」

 なぁに。
 甘やかす声色。優しさが痛い。くしゃりと歪んだ顔を、無理矢理笑みに変える。その方が好きだと言っていたから。

「俺、牧田をそういう目で見たこと、なくて。ごめん、多分今後もそういう目でみることはない」
「……今後って。言い切るねぃ」

 肩を揺らし笑う。笑い声が徐々に湿り、顔が俯く。

「牧田、」
「だいじょーぶ。……大丈夫」

 長く、長く息を吐く。手で顔を覆い隠していた牧田だったが、ぐいと前髪を後ろに撫でつけるようにして顔を上げた。

「ありがと、椎名」

 すっきりした。
 そう呟く牧田はどこかさっぱりとしていた。

「椎名、いいこと教えてあげる」
「んっ?」

 マイクを司会に返しながら牧田が口を開く。

「掌へのキスの意味は懇願。……末永く一緒にいられますようにってね」

 切なそうに細められた目。多分、部分的に嘘をついているのだろう。それを追究するつもりはない。見て見ぬふりをするのがこの場の正解。

「……うん」

 分かってるけど。

「牧田」
「んっ?」
「椎名グループで待ってる」

 牧田の目が驚きに見開かれる。お前の求めるかたちとは違う。知ってる、でも。俺だってお前のことが大切なんだ。







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