あの夏の日を忘れない
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 目は自然と下を向いた。司会に促され順に自己紹介をしているようだが、緊張から内容が全く頭に入ってこない。繋がれた手はいつの間にか離されている。そりゃま、そうか。これからやることを思えば手を繋いでいるというのは不可解だ。

 バレないように深呼吸をする。うん、少し落ち着いてきた。司会が青に話を振る。

「それで、夏目委員長。皆さんお相手は椎名副ということでよろしいですか?」
「ああ」
「倍率高くて困っちゃうよねぃ」

 牧田はさらりと同意する。ちらりとこちらを見る気配に小さく心臓が跳ねた。てっきり宮野たちが勘違いをしているのだと思っていたのだが。分かっていなかったのは俺の方だったらしい。

「では、どなたから?」
「僕から行きます」

 神谷が司会からマイクを受け取る。

「僕が告白したこと、すっかり忘れてたでしょう。相変わらずへっぽこですね」

 神谷が切なそうに笑う。枷になりたいと抱きしめる体温を思い出した。もうあれから三カ月ほど経ったのか。返事は要らないという言葉に甘えてここまで来てしまった。なぁなぁに誤魔化した関係は相手を傷つけるのだと、橙の件で分かっていたのに。

「……冗談です。告白以降何もしなかったうえ、あんな騒動の中心にいたんです。忘れるのも無理はない。だから今日はフラれにきました」

 先輩と珍しい呼び方をして神谷は口を開く。

「好きでした。守りたかった。笑わせたかった。本当はもっと優しい言葉を囁いて、泣いてる時には涙を拭いたかった。……生きる理由になりたかった」
「……ごめん、嬉しいけど、でも」
「なんで謝るんですか。あったま悪いですね」

 神谷の好意を汲めない自分が情けなくて。俯く俺を、神谷は軽く笑い飛ばした。

「こういう時はお礼を言うもんですよ」
「……、ありがとう」
「どういたしまして。先輩、」
「ん?」
「先輩は返事要らないって僕の言葉を優しさだと思ったみたいですけど。本当は違うんです」

 僕、あの時はフラれたくないなって思ってたから。

 へらりと笑った神谷の目から、ぼろりと涙が零れ落ちる。

「ほら、僕は案外ずるいんですよ」

 ずるいものか。
 傷ついてほしくないと、心配をさせてほしいのだと。らしくもなく叫んだ奴のどこがずるい。長らく返事をしなかった俺の卑怯ささえも引き受けて、自分はずるいのだと笑うだなんて、

「馬鹿みたいに優しいよ、お前はさ」
「っ、はは」

 ありがとうございます。
 礼を言う神谷が優しくて、悲しくて。おうという返事は無様に掠れた。

「さあさ! お次はどなたが?!」

 空気を変えようと司会が明るい声を出す。わっと短い悲鳴を上げた司会と入れ替わるように橙が現れる。右手にマイクを持っているところからして、司会から無理矢理奪い取ったらしい。ぐっと息を詰まらせた俺に、橙は薄く微笑む。

「椎名センパイ。俺を買わない?」

 ……は?

 思った言葉がそのまま口からまろび出る。予想外の言葉に固まると、愉快そうに橙はぴんと人差し指を立てた。

「俺、考えたんだ。俺にあるものを」

 とんと拳で胸を叩き、橙は視線を合わせる。

「まず、割と頭がいい」
「おう」

 そりゃま、編入試験の特待生枠をパスして俺についてきたくらいだ。そこは間違いないだろう。

「で、俺は一般家庭の出だから継がなきゃいけない家業なんてない。つまるとこさ、俺だけが何の憂いもなくセンパイに一生付きまとえるんだよね」
「付きまとうって」
「フラれたからって、そばにいないとは言ってないよ」

 不敵に笑う橙。つられて思わず笑みを零す。

「買った」
「ッしゃ! ははは、見たか! バーカバーカ! 一生邪魔してやるからな!」

 誰に宛てているのか分からない勝ち鬨を上げ、橙はマイクを司会へ返す。いつもと変わらぬ態度で接してくれる橙がありがたかった。そうだ、告白を受け入れなかったからといってここで関係が終わる訳ではない。ほっと息を吐く。安心、したのかもしれない。

 ご機嫌で列に戻る橙に、小さく言葉を零す。

「……跡取り、かぁ」

 そうだよなぁ。

「どうした」

 隣の青が小さく尋ねる。
 なんでもない。答えた言葉は嘘だった。






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