あの夏の日を忘れない
31
「わぁお……お元気そうで、お兄様」
「ああ、おかげ様で。で? 今度は何を隠してるのかなァ、由くん?」

 誤魔化されてはくれないようだと思いつつ目を逸らす。ずいと円は正面に回る。

「……それ」

 首元に落とされる視線。
 ぎくりとした内心をひた隠し、てへっと軽い笑みを作る。

「噛まれちゃった!」
「ああ?」

 ぎらりと円の目が光る。睨みつける兄の眼光の鋭さに逃げ腰になる。喧嘩も暴言も怖くはないが、この兄が怒るのは怖いなんて。隣の二村が聞いたら笑われそうだ。

「〜〜犬の話っ!」
「犬?」
「さっきの! 二村と! 犬の話してた!!」
「ほぉ?」

 白けた視線に首を竦める。控えめに円の表情を伺うとぴくり、眉根が跳ねる。

「……恥ずかしいから、」

 苦しまぎれに口を開く。

「騙されたことにして、くれねぇ?」

 耳朶に熱が宿る。手で擦るようにして色を隠すと、深い溜息が落とされた。

「……分かった。由は二村菖と仲良く犬について話してたんだな。そういうことにしておく」

 円の手が頭を撫でる。子供の我儘を聞くような仕草に顔を背ける。くすりと聞こえた声に睨みつける。

「ふっ、ふふそんな怒るなよ。悪かったから拗ねるな」
「拗ねてないっ」

 こうも楽しげにされるとこちらが大人げないように思えてくる。溜息をつき気持ちを切り替える。ふと二村を見れば同情するような眼差しをこちらに向けている。元はといえばお前も同罪だろうに。イラっとしたので二村の爪先を踏んでおく。こんにゃろ、と小さく呟かれたが聞こえないフリだ。

 まだ少し熱を持った頬を誤魔化しながら円を見る。

「あれ」

 小さな違和感。

「あ」

 違和感の正体に気付いた。そうか。どおりで昔と同じような感じがすると思った。それは円の話し方のせいもあったのかもしれない。でも一番は、

「円、メガネは?」
「あ。忘れてた」

 そうだ。裸眼なのだ。気付かなかったと目元を探る円に二村が鼻で笑う。

「もうボケてんのか」
「あ? ボケてねぇわ黙っとけ」

 二村の声に一瞬だけ不機嫌そうに目を細める。実の兄の珍しい暴言に背筋が冷える。

「だてメガネなんだよ」

 賢そうに見えるだろ、と吐き捨てるような物言いに思い至る。
 もしかしたら。もしかしたら、だが。俺が髪を金に染めたように、円にとってのメガネも一種の自己防衛策だったのかもしれない。

「……馬鹿の兄貴も馬鹿野郎か」

 ガシガシと二村が頭をかく。にこり、円の口角が持ち上がる。

「ひぇ」

 あ、怒る怒るっていうか怒ってる〜〜〜!
 笑顔のまま怒りをにじませる円に一歩距離を取る。

「二村菖」
「あ?」
「……お前、F組の待遇改善で生徒会に直談判してたよな?」

 F組と円。
 思えば初めて会った時も俺を円と間違えて掴みかかってきた二村である。生徒会との間に確執は確実にあったのだ。円と二村が対峙する。先ほどまで小馬鹿にするような態度だった二村も、円につられるように姿勢を正した。

「あの時、真面目に取り合ってやらなくて悪かった」
「……おう」
「記憶が戻ってからずっと謝らなくてはと思ってた。思ってた、が」
「……おう?」

 怪しくなってきた雲行きに二村が怪訝そうな顔をする。

「思ってたんだがな? 由にオイタをしたお前に謝る必要性を見失ったからこれで謝ったことにしていいか? いいよな?」
「……ああ」
「うん、よかった。二村菖、感謝する」

 強引である。二村の表情をまるっと無視した円は、「で」と俺へ視線を戻す。

「由。俺がいなくなった後、お前に何があったか教えてもらおうか」
「……別に何も、」
「ダウト」

 円は呆れた調子で俺の頭にチョップを入れる。

「仕方ない奴だな」

 まるきり甘やかす口調に居心地が悪くなった。ふっと円の唇が弧を描く。宝石を扱うように丁寧に俺の手を救い上げた円は、俺を先へと導いた。

「さ、一つ一つ解決してくぞ!」

 ああこれだから。
 俺は地獄の淵にいても円を嫌いになれなかったのだ。





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