あの夏の日を忘れない
26 越賀羽side
 メールを送り、椎名に視線を戻す。椎名の手が自身のポケットに触れた。スマホでも入っているのだろうか。逃げなよ。促す越の内心に反し、椎名は諦めたように手を下ろす。

 くつりと喉が鳴る。
 そうか。諦めるのか。写真を一枚チラつかされた、ただそれだけで折れてしまうのか。愉快な気持ちが奥底から湧き上がるのを自覚し――、越は顔を歪めた。
 思い悩むように目を瞑る椎名は、祈りを捧げる聖人のように越の目に映った。ああ、と嘆息する。今から俺はこの聖人を汚すのだ。

 逃げてほしい。逃げないでほしい。背反した気持ちでぐちゃぐちゃだった。

 椎名由を追い詰めろと命じられたのは夏休み中のこと。腰を掴み気怠そうに告げた彼の目は、ここではないどこか遠くを見ていた。珍しく爛々と輝きを見せたその瞳が、心底憎いと思った。考え事に返事の遅れた越が不愉快だったのか。彼が乱暴に腰を打ち付ける。人形を相手にしているかのような扱いにも関わらず、越の体は快感を拾う。あんと高い声で喘ぐ自分の汚らわしさに、何かが死んでいくのを感じた。

「聞いてんのかよ、なぁ」
「ひっ、あッ、聞いてますっ」

 ガツガツと中が抉られる。背中が仰け反る。快感を逃がそうとする越を、彼は容赦なく引き寄せた。

「追い詰めて追い詰めて絶望した由に優しくしたらさぁ! アイツは俺を見るのかなぁ、見るよなぁ!? いや、いっそぐちゃぐちゃに壊して、手元に縛り付けるのはどうだろう! タバコの煙で肺が真っ黒になって体がボロボロに崩れ落ちるまでキスをして、中が擦った跡で爛れて溶け始めるまで俺のものになったらさぁ、最高だよなァオイ!」
「やっ、ぁあああッ、まっ、ひァっ。ぁッ、」

 びくびくと腰から下が痙攣してもなお中を穿つ凶器は止まらない。頭が反れ、開きっぱなしの口からはだらだらと唾液が漏れた。涙が伝う。悲しくて泣いているのか、許容量を超えた快感に泣かされているのか、もはや自分でも分からない。

 悲鳴のような喘ぎ声に彼は顔を顰める。バシンと頬を打たれた。

「うるさい」
「ひゃ、あ、あ、あっ、ごめっ、〜〜〜〜ッ?!」

 自分の快感だけを追う身勝手な動きに、慣らされた体はあえなく何度目かの絶頂を迎える。白濁を吐き出すと彼の顔が不愉快そうに歪められた。

「チッ、汚れた。しかもうるせぇし」

 ちょっと黙れよ。
 オモチャで遊ぶかのような気軽さで首を掴まれる。ひゅ、と呼気が漏れる。死ぬ、死んでしまう。
 苦しさに視界が霞む。目の前の彼が、薄らとした視界で自分に微笑むのが見えた。優しげな笑みに初対面の頃が蘇る。最初の頃はその微笑み通りに優しかった。それが変わったのはいつからだったか。

 懐かしい表情は、温もりに似つかわしくない言葉を吐き出す。

「お前、こんなのでもイっちゃうのな」

 声が嘲る。蔑む声に自身の体を見下ろす。ガクガクと痙攣を続ける体は、自分がイきつづけていることを示していた。不意に泣きそうになり、目を伏せる。目を伏せてもなお彼の嘲笑は続く。

「お前の親父も馬鹿だよなァ。ヤクザに借金拵えて息子売り飛ばしてはした金もらって? お前のウリ、一回二千円だぜ、二千円。はっはははひっ、ひひひ!」

 耳元に彼の口が寄せられる。

「越くん、もう女の子なんて抱けないね」

 初めて会った時さながらの清廉さが越を詰る。ア、とか細い声を上げて越は目を見開いた。確かに絶望を感じた筈だったのに、

「ほら、こんなんでもイっちゃうじゃん。ど淫乱」

 びくり。体が震える。自分の意識と乖離してあっさり快楽に手折られる体に胸が詰まる。頭の中がチカチカする。酸素が足りていないからか。それすらも気持ちがいいのか。首から手が外れる。空気が流れ込む。げほげほと咳き込みながらも体は絶頂する。つらい、苦しい。痛いのは嫌だ。訴える内心に反し体は全てを快楽に変換する。

 荒い呼吸を繰り返す越を視界に入れもせず、彼はくつりと笑う。楽しげな笑みはすでに越に向けられていなかった。

「ああ、楽しみだなぁ。あの顔が歪んで、泣いて、叫んだら最高に楽しい。余計なことしかしやがらねぇクソガキもたまにはいい仕事をする。最高だッ。はは、ふっ、ははは! ――綺麗なものが自分のために損なわれるのは気分がいい」

 いっそ。

 狂ったように笑い出す彼に越は思う。

 いっそ……。

 ぴたりと笑い声を止め、彼が振り返る。にこりと人好きのしそうな表情で、彼は口を開いた。

「お前は汚いから貶めたとこで楽しくもなんともないけど。この役立たず」

 いっそ、甲斐樹が自分を愛してくれていたら全てを許せたのに。

 憎い憎いと吐き出し続けながら、願うのは真逆のこと。

 正当な理由がほしかった。
 自分が貶められるのを仕方ないと諦められるだけの理由が。

 椎名が目を開く。先程までとは明らかに様子の違う彼に、汚してしまったと思った。自分が、汚したのだ。

 高揚と絶望の入り交じった気持ちが越の胸中に去来する。もう訳が分からなかった。目の前の聖人が自分と同じように貶められればいいと思ったのは確かだ。だが同時に逃げてほしいとも思うのだ。彼を貶めれば最後、甲斐の言うとおりただの汚い存在へと成り下がってしまう。否、墜ちた場所から戻れなくなるとでも言うべきか。

 ――アイツは俺を見るのかなァ。

 最中に自分の恋を語る、最悪な声。望んでもいない快楽と苦痛を人に与えながら、どこまでもその瞳には映らない。

 なんで。なんでかなぁ。
 俺を好きだと。ただ一言そう言ってくれたら諦められる。

 思い、越はハッと笑う。自嘲を含んだそれはどこか甲斐の笑い方に似ていた。
 





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