引越し、しました


3


 ほぼ終了した引越し作業は、残るは不足分の買い物だけとなる。と言っても大した量ではないはずだと縁側に腰を降ろしてリストアップし始めた。

「物は大概足りたから、消え物とかだな。石鹸とか、そういう」
「あぁ、そっか」
「食い物も買っとかないと。ここ台所広いから前より色々作れるぞ」
「嬉しそうだね南郷さん」
「んー、まぁそれなりにな」
「あぁそうだマット、それと布団一式」
「布団もか?持って来たのあるだろ」
「ベッド、ちゃんと見てないの?」
「へ?」

 前に住んでいたのは若夫婦でベッドは一つ。つまり二人用なのである。ダブルベッドに乗せるには持って来た布団はやや小さかった。

「だ、ダブル・・・」
「ほら、良いよねベッド」

 悪漢の笑みが炸裂した。
 南郷は頬を引き攣らせながらそれを右から左へ流して無駄に元気良く立ち上がる。

「よし!大物はマットぐらいだな!」
「すぐ買おう。今夜までに運ばせよう」
「・・・そ、そんな焦らずともいいだろ」
「そいつは通らねぇな」
「布団も、一応あるんだし」
「あぁ、そうか。まぁ布団でもいいよね今夜は」

 何を言ってもこれは止められない、と悟った南郷は覚悟を決めるしかないのであった。昨晩、許可を出してしまったのは他ならぬ自分なのだから。
 気を取り直して、とりあえず買い物に行こうとした矢先、貸し主の老人がちょうどよく訪れて来た。時間は夕方に踏み込んだ頃で、今を逃せば今日は買い物を出来そうにない。南郷が迷っていればアカギが、南郷の手から買い物リストを取り上げる。

「俺が行ってくるよ」
「でも」
「いいから」

 アカギはさして困った様子も無くそう言い残すと、老人に軽く会釈をしてから家を出て行った。南郷はそこは素直に甘える事にして、老人に挨拶をしてから中に入れ、茶を出しつつちゃぶ台を挟むようにして向かい合いに腰を降ろした。

「すいません、わざわざ来て頂いて」
「いやこちらこそ。片付け終わった頃かと思ったが、もう少し後のが良かったかね」
「いえそんな。気を使っていただいて」
「大方、終えられたようですな」
「えぇ、元々大した荷物もありませんし」
「どうですか」
「え?」
「いやまぁ今日から住むのに、まだどうも何も、ですわなぁ」

 老人は笑いながら皺を深くして見せる。
 きっと自分の思い出残る家に誰かが住むのが嬉しいのだろう。優しく穏やかな声だが、どこか子供のように軽やかでもあった。

「これからが、楽しみなんですよ、俺」
「ほぉ」
「この家はとても暖かい感じがします」
「そうですか」

 老人は殊更に嬉しそうに目を細める。

「俺とアイツの思い出も、これからここに刻まれてくんでしょうね」
「さっきの青年、ですかね」

 しまった、と咄嗟に南郷は焦る。
 二人で住む事を暗には匂わせていたが、今のはあからさま過ぎた。今だ経済の安定しないご時世、男二人暮らしでもいくらか言い訳は効くが、この老人に通用するだろうか。見た目では、親子か兄弟とはなかなか判断されないだろう。

「あ、その・・・」
「あの子は、難しい顔をしとりますな」
「え?」
「あれは、難しい子だ」
「・・・」
「だが悪い子じゃぁない」
「えぇ」
「それに、アンタは良い人だ」

 内見のときにもそう言われた。南郷は何も言わずただはにかむ。
 老人は、どこまで察しているのかただ静かに微笑んでいた。気付いた上でただただ懐が広いのか、それとも何も気付いていないのか、嫌悪はされていないのだけ感じる。
 それから思い出したように数枚の紙を取り出し、書名と捺印を求められたのでそれを終える。どうやらほぼ手製の書類であるようだった。本当に道楽で貸しているだけのようで、特に決まり事もなく、保証人も求めず、書類も形式的なだけ。夜逃げされた事も昔にあったようで、けれど老人は大して気にはしていないようであった。下手に壊されたりしなければそれで良い、と。住んでくれる事が嬉しいのだ、と素直に口にした。

「人が住まなくなれば、家なんてすぐに荒れてしまうんでねぇ」
「そう、ですね」
「だから、本当に嬉しいんですよ。アンタみたいな良さそうな人が来てくれて」
「なんだか照れ臭いですよ。そんな風に言われるような者じゃないです」
「この家も、あの子もね」
「はい?」
「内にアンタが住んでくれれば、荒れはしないでしょうよ」
「・・・」
「ねぇ、南郷さん」
「・・・はい、そう願ってます」

 老人はうんうんと頷いて、茶を一口啜った。安物のそれを、美味いと言って笑みを深める。
 そして記入を終えた書類をそれぞれ一組ずつ南郷と自分で分けた老人は、何かあったときの連絡先や、家賃の振込先、近くの親切な電気屋や、駅前の商店街の美味い店、近くでお奨めの商店などを教えてくれた。
 通達事項にプラスアルファのあれこれを一通り話し終えれば、老人は重い腰を持ち上げる。南郷は玄関まで送った。

「それじゃぁ、南郷さん、この家をよろしくお願いします」
「こちらこそ、これから末永く、よろしくお願いします」

 やはり老人は嬉しそうに笑うのだった。
 去っていく老人を垣根の外まで見送れば、既に日が落ちている事に気付く。有り難いことに電球はほとんど付いたままだったので、部屋の明かりには困らなかった。
 グッと背伸びをすれば、南郷はふと自分の匂いが気になった。昨日今日と汗だくなので、当然である。それから早速いそいそと風呂の用意を始めた。内風呂がよっぽど嬉しいのか、鼻歌交じりに湯を張る。その間に夕飯でも、と思うが、冷蔵庫が空なのを思い出した。調味料や乾物の類は持ってきたものの、生物はさすがに処分してしまった。

「アカギ、遅いな」

 リストの数を思えばそう時間は掛からないはずだが、慣れない町だと考えればおかしくはない。少しだけ不安に心が揺れたとき、玄関の扉が開く音が響いた。南郷は台所から駆け出して玄関に向かう。

「お、おかえりっ」
「ただいま」

 アカギは腕に大量の荷物を抱えての帰宅であった。
 一度玄関にそれらを置いてから、立て付けの悪い戸を閉める。

「けっこう、買ったな」
「うん、何が良いか分かんなくて、とりあえず一通り」

 そうだった、と南郷は思わず自分の額をピシャリと軽く叩く。
 アカギに買い物をさせるなんて、油断していたにも程がある。買い物が出来ないわけではないが、買い方が滅法荒いのだ、この青年は。とりあえず並ぶ大荷物を居間へ運んで、中身を確認する。

「何をどう買えばこんな量になるんだよ」
「雑貨屋で適当に」
「というかよく選べたな」
「店員にリスト見せて、あと、引っ越してきたばっかだって伝えたら、勝手に選んでくれた」
「・・・なるほど」

 見れば生活用品は無駄には買っていないようで、そこは安心した。
 考えれば石鹸など種類が多いわけでも無いのだから、数さえ無闇に買わなければまともな買い物である。どうやら引越ししたばかりというワードのお陰で、リストには書いてなかった生活必需品までも店員が付け足してくれたようだった。チリ紙や歯磨き粉、台所用洗剤まで。素直に有り難いものから、既にあるものまで。だがあって困りはしないので南郷は良しとした。
 残る袋の中身はほとんどが食材であった。これこそ買い過ぎである。

「これは、お前、さすがに、なぁ」
「商店街歩いてたらやたらに声掛けられるからとりあえず買った」
「・・・お前が色町以外でそんなに声掛けられるのもなかなか無いな」
「まぁね」

 否定はしない辺り、やはり年相応では無い。
 本来なら触れるものみな傷付くぜ的なオーラ全開のアカギに、一般の商店が声を掛ける事はあまり無いのだが、今日に限って魚屋八百屋肉屋に総菜屋が寄ってたかって声を掛けて来たのは理由があった。つまりはアカギにそんな鋭いオーラが見えず、かつ浮き足立っているようにさえ見えたからであり、そして何故にアカギがそんな状態だったかと言うと、その理由となったものがちょうど今、届いた。
 玄関越しに配達員の声が響く。

「ん?なんだ」
「良いタイミングだ」
「アカギ、何買ったんだ」
「決まってるじゃない」
「へ?」

 アカギを追うようにして玄関に向かった南郷は、目を瞬く。
 そこに運ばれていたのは見慣れないサイズのマットと布団一式。そこまで馬鹿でかいわけではないが、今まで使っていたものより一回り大きいのはすぐに分かった。
 確かにリストアップの最中に出た話ではあったが、さすがアカギ、抜け目無い。しかもどうやら高級品であるような、ボリューム感。アカギは勝手にサインをして、配達員を見送った。

「お前、これ」
「なかなか良いだろ」
「ホントに買ったのか」
「言ったじゃない、今夜中にって」
「いや、だが」
「一番良いやつって言ったから、きっと寝心地いいぜ」

 よく見ればタグには羽毛の文字。
 南郷は嬉しいやら恐ろしいやら、何故か肩から力が抜けたのであった。

「俺運んでおくからさ、飯作ってよ」
「あ、あぁ」
「ほら、そこどいて」
「そうだアカギ、いくらしたこれ。今・・・」
「いいから」
「良くないだろ」
「俺らの家なんだろ?」
「それは、そうだが」
「違うの?」
「っ・・違わない!」

 南郷が慌ててそう返せば、アカギはニッと笑みを浮かべ、狭い廊下をズリズリと引きずるようにしてマットを運び始めた。南郷は照れ臭そうに頬を掻き、まぁいいか、と居間へ戻る。改めてアカギの買ってきた食材を見れば、食うには困らないがむしろ傷む前に食い切るのが大変そうだと肩を竦め、それらを冷蔵庫に仕舞っていった。その途中で、南郷はハッと思い出したように風呂場へ急ぎ、溢れる寸前の湯を止める。そして蒸気に包まれた風呂場で、思わずニヤけた。やはり内風呂は良い、と入る前から思わずにはいられない。
 そこへアカギが顔を覗かせた。

「何してんだアンタ」
「あ、あぁ、風呂の湯をな」
「入れたんだ」
「そりゃ入れるだろ。せっかくの内風呂だぞ。そして初風呂だぞ」
「とりあえずアンタが嬉しそうで何よりだよ」
「おぅ。アカギ、背中流してやるからな」
「一緒に入っていいんだ」
「・・・」

 年甲斐も無くはしゃいでいた南郷が笑みのままに固まる。

「こいつは嬉しいお誘いだ」

 口角を持ち上げてやらしげな笑みを浮かべたアカギは、後でね、とヒラヒラ手を振り、風呂場を去っていく。ちなみに言われずとも今夜は南郷と共に無理矢理にでも風呂に入る気だった事は今更伝えずおく。

「お、俺の、馬鹿・・・」

 残された南郷は一人小さくそう呟くのだった。
 短い一人反省会の後でようやく台所へ戻れば、居間の方ではアカギがテレビを付けて既に寛いでいた。まるでもう慣れた我が家の如くである。だがアカギならばどこへ行ってもそうなのであろう。借りてきた猫のようにしているアカギなどまず想像が付かない。
 それはさておき残りの食材も仕舞えば更に下からは出来物の惣菜がいくらも出てきて、これは今日明日辺りで食い切らなければと南郷は困ったように笑った。

「アカギ」
「何」
「今夜は惣菜でいいか」
「あぁ、うん。そういえば買った気がする」
「大量にな」

 新しい台所の威力は発揮出来なかったが、今夜はまぁいいかと南郷は惣菜を皿に並べていった。それらを居間に運べば、昼間に買っておいたビールも同じく並べる。
 そして新居一日目の夕食を迎えた。お疲れさん、と互いに缶を打ち鳴らし、南郷は一気に煽ってぷはぁと満足気な声を漏らす。

「一日で片付いて良かったよ」
「そうだね」
「あ、お前の着替えとかな、寝室の押入れの左の方に・・・」
「南郷さんが知ってればいいよ」
「そう、か」
「うん」
「お前の鞄も、寝室にあるぞ」
「そう」

 いつもの小さなボストンバッグ。
 彼はこれ一つで、西へ南へ、奔放に出歩くのだろう。雀鬼を求めて、修羅に飢えて、どこへでも。バッグを隠してしまっても意味が無い事はさすがに分かっているけれど、それをしてしまいそうになった自分が居た事を、南郷は言わず胸に仕舞っておく。
 あらかた食べ終えれば、満足気に腹を擦る南郷。商店街も良い店が多そうだ、とこれからの新たな楽しみをまた見つけたようだった。二人で二缶目のビールに手を付ければ、穏やかな静けさが居間を包んだ。家が変わっても、やはり二人は変わらない。安堵と、喜びと、少しの不安。それらを常に抱えて、けれどこうして無意識の微笑が浮かぶ時間が生まれる。

「アカギ」
「ん?」
「庭になんか植えようと思うんだが、何がいいかな」
「それより先に垣根、何とかしたほうがいいんじゃない」
「あぁ、それもそうだな」
「あと植えるなら木がいい」
「木?」
「まぁアンタが植えたいなら花でも野菜でも好きにしたらいいけどさ」
「いやさすがに野菜は無理だろ」
「でも端っこに、一本だけ、とにかくでかくなるやつ」
「なんで」
「時間かかるやつがいい」
「樹木は全部そうだろ」
「何十年もかかるやつ」
「それは、ちょっと難しい、かもな」
「いいから」
「うーん、例えば?」
「木の種類なんて知らねぇよ」
「んー、楓とか、あ、銀杏とか美味いよな。梅もありだな。桃、は無理か」
「食いモンばっかだな」

 アカギはクックッと可笑しそうに肩を揺らした。

「なんだよ。それじゃぁ、あぁ、桜は」
「・・・いいね」
「庭で育つもんなのかな」
「なんとかなるんじゃない」
「うーん、やってみるかぁ?」
「何年くらいかかるの」
「いやさすがに知らねぇよ」
「咲くまでは数年かな」
「でもちゃんと世話すりゃ何十年も何百年も咲くよな」
「聞いたことはあるけど」
「そんな樹齢になる頃にはそこの庭にゃ収まらん大きさだろうな」
「それもそうだ」
「第一、俺が生きてねぇ」
「駄目だよ、ちゃんと最後まで面倒見なよ」
「無茶言うなよ」
「・・・桜の寿命が、アンタの寿命なわけだ」
「そうなるかもな」
「それじゃぁ俺の寿命もその桜と変わりゃしねぇな、きっと」
「変な事、言うなよ」
「咲いて散るのが、桜だろ」
「アカギ・・・なんで、木が良いんだ」
「別に、理由なんてねぇさ」

 それだけ言って、二人はまた黙った。
 暫くして、また南郷が小さく口を開く。

「桜、植えるよ」
「・・・」
「育てられるかどうか分からんが、でも、そこで咲いてくれんなら最高だ」
「ウチで花見が出来るしね」
「そうだな」

 笑いながら、南郷は缶をアカギの方に向けて掲げる。

「今日からは新しい家で、よろしくな。いや、今日からも、かな」
「・・・なんか恥ずかしいな、南郷さん」
「うるせぇよ」
「ん・・・よろしく」

 ようやくアカギからも缶を寄せて、カツンと乾いた音を響かせると、二人で小さく笑い声を零した。
 秋の木枯らしはもうすぐそこまで来ているのに、この部屋は、この家は、とても暖かくて、南郷は持ち主である老人の皺だらけの笑顔を思い出す。自分もあれくらいの歳になれば、さすがのアカギも爺になってるだろう、そしたら爺さん二人でそこの縁側に並び茶を飲むのも悪くない、いやむしろそんな未来でありたい。皺だらけの顔が二つ、同じ桜を見上げながら、笑ってられたら、何も言う事はない、と、そう願う。
 だが修羅を生きる目の前の青年が、どこまで生きていてくれるか、いつまで自分の元へ帰ってきてくれるか、それは分からないし、きっと何かの拍子に分かるものでもない。南郷自身、人間であればこそいつ死ぬかなど分からない。
 だがアカギは言ったのだ。桜の寿命が南郷の寿命なら、己の寿命も桜と同じだ、と。決して縁起の良い話ではないが、南郷は心の隅で嬉しく思ったのも事実だ。本当に桜の木を植えたなら、きっと甲斐甲斐しく世話をして、いつまでも、いつまでも、その命の先を願うだろう。
 言葉にはしない己の欲深さに苦笑しつつ、南郷は残り少ない缶の中身を飲み干した。空のそれをテーブルに置いた所で、ふと思い出す。

「いかん、風呂」
「ん?」
「湯が冷めちまう」
「あぁ」

 アカギも思い出したように返事をすれば、同じく残りを一気に飲み干し、おもむろに立ち上がった。

「んじゃ、入ろうか」

 そして浮かべる、悪漢の笑み。

「一緒に」
「・・・」

 南郷はもちろん、既に諦めの境地にあったのだった。
 今宵は新居で初の内風呂、初ベッド。盛り沢山過ぎるイベントに、二人はそれぞれ違う意味の笑顔を浮かべる、初秋の夜。


END


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引越し完了〜。これで気持ち的に19編が一段落です。新居でめくるめく愛欲の日々を書きたい(笑)ご拝読ありがとうございました!

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